『子育ては 明日への願い 子に持たせ』
■徒然子育て想■
『励ましと貶し?』
落ちこぼれたり,道を踏み外す子どもは,ほとんどが自分に対して負のイメージを持たされています。「あなたは何をやってもダメね」,「あなたはいつもそうなのね」と日常的に貶され嫌みを受けているからです。できない自分,ダメな自分と思っていたら,がんばることなどできませんし,どうせ自分は何をやってどうにもならないと見限るしかありません。自棄になったら,行く道は真っ当な人の道から外れていきます。真っ当な自分ではないと思っているからです。
親のいうことを聞かない反抗は自分の思いを主張するという行動ですが,それには2種類があります。一つは自分を育てようとするために親の世話を免れようとすること,もう一つは自分を救うために親の干渉を排除しようとすることです。前者は育ちに必要な反抗であり,後者は育ちを逸らす反抗です。親のつれない仕打ちに対する復讐として裏の道に踏み込んでしまいます。そのまま進むと,家ではいい子ぶっているが外では全く別人格という二重性を持つようになります。
親に信じてもらえない子どもは,自分を信じる力を持てなくなります。子どもが邪魔であったり憎いという極端な親については論外ですが,子どものことを過敏に心配する親も,子どもの育ちを信じないという点では,子どもにとっては不安な親となります。親にも信じてもらえない自分と思っていると,育とうという気持ちは萎えてしまい,閉じ籠もるしかなくなります。それがさらに親の心配を増幅していき,反復状態に嵌り,逃れようがなくなります。
親は子どもの心配をするものです。心配をするから見守ります。そこまではいいのですが,あまり先の心配まで引きずり込んではかえって親子共につらいことになります。「今のままでは大きくなってから困る」といった類の心配は無駄であるだけではなく,負のイメージを造り出します。一年先のことなど分からないし,一年経てば子どもはかなり育ちます。その育ちを信じてやるのが親の務めです。大丈夫だからがんばろうね,励ましを親自身の胸に向けてください。
【設問21-12:お子さんは,後始末がきちんとできていますか?】
○挑戦の結実!
山のあなたの空遠く 幸い住むと人のいう・・・。未知の世界への憧れは,古来からの人の本性です。家を出たい,故郷を離れたい,遠い国に行ってみたい,そんな空間的な距離感を広げていくという夢があります。子どもは休みの前に「どこかに連れて行って」とパパにせがみます。それが遊園地のような遊びの世界であっても,日常を離れた世界に入りたいからです。遠くにはいいことが待っているような気がするものです。
知識の泉という未知の世界もあります。なぜ,どうして? 人だけが持つ未知の世界です。知恵の世界は学びという道が通じています。「そうだったのか!」という理解ができたとき,知る喜びがあります。ところが,子どもたちがもっとも嫌がる学習の世界です。自らが疑問を持つという準備ができていないからです。知りたいという気持ちを抱いていないとき,押し付けられる学びは苦になります。「どうして勉強しなければ?」という後ろ向きな問しか出てきません。
もの作りへの挑戦もあります。絵を描くという挑戦もあります。完成予想図やイメージ通りにできたら楽しいものです。子どものうちは練習ですから,最終的な目標が分かっています。分かっていてもできないというもどかしさを乗り越えながら,完成までのプロセスを逐一経験することが大切です。新しいものを作りたいときに手助けになります。もちろん新しいものは完成イメージが持てないこともありますが,プロセスが進むにつれて見えてくるはずです。
未知の世界への挑戦は,未知の世界への夢や期待を持っているからできることです。未知の世界に対して分からないという不安を感じるときには,挑戦という言葉は削除されてしまいます。何かいいことがある,いいことができる,いいことが待っている,そんな明るいイメージを信じることができれば,前向きに生きる力が生じてくるはずです。無駄な挑戦はありません。挑戦をすることは必ず実りを生むと,子どもに教え込んでください。
・・・現状から飛び出そうというとき,夢や期待を持つことが必要です・・・
○こんなこと・あんなこと!
一般的には後始末をすることは,あまり楽しい仕事ではありません。ママであれば,流しに山と積まれた残滓や使用済みの食器の後片づけは,ため息の出る仕事です。でも,片付けておかないと翌日が困ります。後片づけとは今日の終わりではなく,明日への準備なのです。暮らしは一日一日終わるように見えて,実は今日は明日につながっています。明日を滞りなく迎えるために,今日の終わりを明日につなぐのが後始末です。
駐車場で眺めると,頭から突っ込んでいる車とバックして止めている車があります。すぐ出られるように止める前に準備しているかどうかの違いです。次の行動を考えて準備をしておく余裕が大事です。そんなことぐらいという他愛のないことですが,後始末をする癖がついているかどうかはあらゆる場面に現れるものです。やりっ放しという状態に対して何かが抜けていると感じるものですが,それは次への気配りなのです。
勉強面のことを考えておきましょう。家庭学習のポイントは予習です。教科書は子どもに読解できるように書いてあります。子どもが自分で読めば分かりますし,分からなければいけません。もちろんすべて分かるとはいかない場合もあるはずです。「書いてあるけど,どうしてかな?」。その疑問を持つことが,学校での授業を楽しみに聞く準備になります。「そうか」という喜びが授業から得られます。同時に,明日持っていく物の準備もできてしまいます。後始末完了です。
遠い将来のことではなく,すぐ後のこと,次のこと,明日のことといった直近の先を気にしておく癖を子どもに付けてください。そのためには,後始末がもっとも良い経験素材です。何故後始末をするのか,後始末をしたら後のことがどんなスムーズに運ぶのか,しっかりと手伝わせながらしつけてください。一事が万事というのは,一つのことを覚えたら他のことにも使えるということです。因みに,頭のよい子とは後始末ができる子どもだそうです。
・・・次を見て後始末をしていけば,大抵のことは想定内に収まります・・・
○大きくなったら何になりたい? そんな質問を子どもに向けることがあります。子どもはそれなりになりたいことを答えています。なりたい,したいという夢を語るのは簡単です。大事なことは,自分には何ができるかということです。「自分はこれができる」と言えるためには,挑戦の積み重ねが必要です。したいことがあり,それに向かって挑戦する,そんな育ちをさせてやれたらいいですね。もっとも,あれやこれやと出直しをすることになると思います。