*** 子育ち12章 ***
 

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「第 22-02 章」


『子育ちは 他者と自分が ぶつかって』


 ■徒然子育て想■
『お祝い?』

 育ちには今も残っている節目があります。心を込めてお祝いをしてやるのも,しつけになるでしょう。昔から親たちが込めようとしてきた願いをしっかり復習しておきましょう。

 「七五三のお祝い」があります。3歳,5歳,7歳の子どもを連れて宮詣する行事です。関東地方の行事が明治以降に全国に普及したそうです。所によって違いますが,古くは女の子は3歳または7歳の時,帯の祝いといって,着物の付けひもを取ってはじめて帯を締め,男の子は5歳の時袴着の祝いを行っていました。期日はもとはこの月の吉日を選ぶだけでしたが,いつしか15日ということになりました。また,江戸浅草寺境内で売り出された千歳飴も,今では至る所で土産になっています。

 「子どもの日」は,国民の祝日の一つとして,昭和23年に制定されました。子どもの人格を重んじ,子どもの幸福を図ると共に,母に感謝するのを法定の趣旨としています。もとは端午の節句でした。端午とは月の初めの午の日のことでしたが,今では5月5日に指定されています。第9回国連総会において,各国が適当な日を「世界子どもの日」とすることに決まりましたが,日本は5月5日を子どもの日にあてています。子どもにとっては母に感謝する日であるというのを忘れないください。

 誕生日は,個人的なお祝いです。誕生日に歌われる歌があります。「Happy birthday to you」です。この歌はもともと1893年に出版された「幼稚園の歌物語」という本の中に,「グッドモーニング・トゥ・オール」として発表されたものでした。ケンタッキー州ルーイヴィルのヒル姉妹によって作られたこの曲は,誕生祝いにではなく,朝子どもたちを教室に迎え入れるときに歌う歌として書かれました。これがのちに盗作され,2番が「ハッピーバースデー・トゥ・ユー」で始まる歌詞に変わっていて,もとの歌で「グッドモーニング・ディア・チルドレン」というところは,「ハッピーバースデー・ディア・(名前)」となって,誕生日の歌に変わりました。



【設問22-02:お子さんのわがままを抑えていますか?】


 ○こんなこと・あんなこと!

 何もできない赤ちゃんは,生きるためにママに全面的に頼ります。わがままでなければ生きていけません。育っていく中で自分のことは自分でできるようになると,わがままが次第に薄れていきます。ところが,成人してもわがままが残ってしまう人がいます。自分さえよければ意識であり,暮らしの場ではポイ捨てや自転車盗などの違反行為が止められません。自分と人間社会との調和を図ることができず,社会性が欠落します。自分と他者を相対視できるもう一人の自分が未成熟なのです。

 わがままとは自分の思い通りにならないと気が済まなくて,傍迷惑な行動をすることです。自分の思い通りにならないことがあるということをきっちり自覚させる必要があります。断固わがままは拒否する厳しさです。そこから自分に出来ることはしようという育ちが始まり,もう一人の自分の出番となります。きついな,面倒だな,恐いな,嫌だな,しなくても,といった自分の思いに対して,もう一人の自分が主導権を持って,自分で何ができるかを考えるようになります。それが自立です。

 思い通りには誰もしてくれません。自分でなんとかするしかないのです。思い通りではなくても,取りあえず間に合わせることができればいいとする考え方が必要な場合もあります。何でも完全にしなくては,そう思うから行き詰まります。台風に襲われたとき,110番や119番に「戸がガタガタして恐い,眠れない」,「雨が漏ってきた,なんとかして」,「窓ガラスが割れた」という電話が全体の80%に達するそうです。取りあえずしのぐために今自分にできることは?

 わがままは甘えであり,他人頼りな面があります。「自分に出来ることは?」と考えることのできるもう一人の自分が育っていません。「自分は何が出来たか」と確認して,自分の力を知るように導いてやりましょう。「こうすればいいのよ」としてみせ,させて,「できたね」と子どもに自覚させます。もう一人の自分が自己を肯定できるようになれば,わがままは乗り越えられます。自己を肯定できれば他人も肯定でき,仲良くできるようになります。


 ○ママへのメッセージ!

 成長というのは,それぞれの個性づくりでもあります。「困り抜いて人格の深奥に届いた後に出てくる考えこそ個性の表現である」と言った方がいます。思い通りにならない壁に突き当たり,自分の不甲斐なさを嘆きながらも納得せざるを得ない状況に追い込まれ,自分を投げ出す覚悟で打開の道に進む経験が個性となって刻まれます。子どものわがままは個性を刻むチャンスです。なんとなくやり過ごすのではなく,キチッと向き合わせることが後々の大きな問題行動を封じることにもなります。

 人は社会的動物であるといわれます。そのことを子どもにどのようにしつけたらいいのでしょうか? 育ちの道具は言葉です。「私たち」という言葉を覚え込ませればいいのです。私たちと自覚することが社会性です。そして,その自覚から本当の「私」が分かるようになります。私たちの中にいる私という意識です。この自覚が持てない間は,私という意識は単なるエゴイズムに止まります。わがままが傍迷惑なのは,私たちという言葉が行動の核になっていないからです。

 エリクソンという学者が,アイデンティティ人間の条件を次のような形で提示しています。
   1.自分が何者であるかを明確に定義し,価値観を持つ人
   2.内的な道徳律と自己コントロールがあり,自我理想に
     従って行動する人
   3.複数の社会的役割としての自分を秩序づけており,自
     己と他者に対して行動に責任を持っている人

 学者の言葉は固いですが,平たく言うと,もう一人の自分が,他者との関係の中にいる自分を知り,自分の役割に向けて自分を導き,生かしているということです。わがままの壁を突き抜けることが,育ちにとって大事な課題になっていると知っておいてください。


 ○他人に頼るということは,他人の都合に従いながら思うがままになることです。自分で決めて自分の手でできることをした方が,気持ちは落ち着きます。自分のペースでことが運ぶからです。言われてすることにはいい加減な気持ちがつきまといます。自分でやろうと思うことは真剣になれるものです。その真剣さが育ちには何より必要です。自分が決めてする,それが人の生きる力になります。子どもにもしっかり伝えたいものです。

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