『子育ちは やすらぎ抱き あふれ出る』
■徒然子育て想■
『学力?』
学力といっても,主として目指すものが何かで内容は異なります。もちろん目指すものは,時代と共に変わります。昭和20年代は「生活志向の学力」が求められ,生活を営む力の形成に努めました。昭和30年代は「基礎志向の学力」であり,基礎学力の充実が図られました。昭和40年代は「科学志向の学力」になり,課程を構造化して科学的探求への思考を中心にしました。昭和50年代は「人間性志向の学力」へと移り,知性重視の学力観から,人間性を豊かにする学力を目指しました。
平成の時代に入り,「主体性志向の学力」となり,自ら学ぶ意欲,思考力,判断力,表現力,それらを総合した生きる力が学力と考えられるようになりました。経験したこと,学んだことをもとにして,新しい課題を自ら発見し,自発的に関わり,自ら考え,判断し,表現しながら,体系化する能力の獲得が,これからの時代には必要になってきたのです。先進国になったので手本を学ぶことができなくなったために,何を学ぶかを自ら決めなければならないということです。
先が見えないと言われることがありますが,実のところ教育の世界でも何を学ばせるか見えていないようです。仕方がないから,自分で考えて自分で学ぶ能力を身につけさせておこうということになっています。学ぶものが見えないからといって,学ばなくてもいいということにはなりません。実のところ,身の回りには学ぶことがたくさんあります。自分が知らないことがあるという自覚を子どもに持たせることが,やらなければならないことです。
【設問22-03:お子さんのやすらぎを感じていますか?】
○こんなこと・あんなこと!
大人と子どもは別の世界に住んでいるような感じがあります。大人の都合と子どもの都合はずれていることばかりです。ですから,夫婦間の些細ないざこざは子どもには全く無関係だろうと思ってしまいます。家族というつながりを考えると,葛藤は巡っていって弱い子どもを巻き込みます。子どもは「心配な子ども」という役割を演じるようになり,夫婦の目を自分に向けさせて,夫婦の葛藤を和らげ協力させようとします。やすらぎを得ようとする子どものせつなさです。
頭のよい人が心配性になる傾向があるようです。悪い方に考え,小事にこだわることで,悪循環に嵌っていきます。人が生きていくということには,何が良いか悪いかは長い目で見なければ分かりません。今の子どもの状況で「ここがダメ」と想定される基準からの外れを気に病むと,子どもはすべてに管理され,愛されていないと感じるようになります。「ここまでできて良かったね」と受け入れて,50%の達成を大事にしてください。やがてできるようになるのが育ちなのです。
2歳の女の子が一週間程「ごめんなさい」と何度も泣きながら,指しゃぶりして眠りにつくようになりました。ママはその寝言を耳にして,娘の気持ちを感じ取り反省しました。「2歳の子に対して自分は何を焦っているのだろう」。そう思うと気が軽くなり,眉間の縦皺が消えていきました。「ママ,笑っている,久しぶりね」,女の子は眠ったまま何度も笑い声をあげ,目覚めるとダッコをせがんできます。それまでのやすらぎを一気に取り戻そうとするように!
「さっさとしなさい,グズグズしないで」。日々の忙しい暮らしを切り盛りしているママは,つい邪険な言葉を子どもに向けます。手の掛かる子というママの気持ちは,子どもに届いたときには邪魔な子というメッセージに変わっていきます。マザーテレサが,「人間にとって一番不幸なことは,その人がこの世に必要でないと思われることです」と語りました。拒否されて孤独になるほど辛いことはありません。大事なママとのつながりの中に子どもの安らぎはあります。
○ママへのメッセージ!
親は子どもを保護しようとしています。その際に押さえておくポイントがあります。安全と安心をセットにすることです。子どものためを思って安全圏に閉じこめていると,育てなくなります。競争で転んで怪我をした子どもに,「痛かったでしょう」と治療しながら競争を止めるように言いたくなります。安全優先です。競争で負けて「悔しいな」と父親が気持ちを受け止めてやれば,ホッとした安心を与えることができます。安全の確保は管理に進み,安心を奪います。
子どもの社会性は友だちグループを作ることから始まります。グループの中で陰口を耳にした中学生が,別のグループに入ろうとします。うまく受け入れてもらえず,悩みを持つようになり,母親が担任の先生に相談させました。先生は教育の一環としてグループの子どもたちに話し,さらには公開討論に進めました。相談した中学生は立場を失い,登校できなくなりました。「時間を元に戻せ,記憶を消せ」と母親に迫りました。母親は一緒に悩む時間を持たずに,解決を焦りすぎました。
子どもが持つアイデンティティの第一歩は,「私はこの父と母の子どもである」という自信です。そこから人生は好意的であるという実感が生まれます。もちろん,親からの働きかけがなければなりません。
(1) 子どもを歓迎すること。(いるからうれしい!)
(2) 子どもの所有権を表明すること。(私たちの子!)
(3) 空間的な距離を縮めること。(抱きしめる!)
(4) 一緒に食事をすること。(愛情を添えて!)
親の愛は,あるがままの子どもを愛すのであり,あるべき姿を期待してではありません。
○「産まなければよかった」。道を踏み外しかけて生活の乱れた子どもに,注意をしても無視する態度をされ,とうとう言ってしまいました。子どもは家に寄りつかなくなりました。自分の存在を棄却されるのですから,子どもにすればこれ以上の残酷な言葉は無いでしょう。せめて逃げているしかありません。たった一度の繰り言であったはずですが,傷の深さを癒すのは並大抵のことではありません。我が子だから何を言っても大丈夫と過信しないでくださいね。