*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 22-06 章」


『子育ちは 言葉の質が 別れ道』


 ■徒然子育て想■
『和顔愛語?』

 出稼ぎで北海道から東京へ出ていた父親が,年末になって帰郷してきます。年末の風物として,ある家族がテレビ局の取材を受けていました。父親の帰りを待ちわびる家族の気持ちを捉えようと,小学2年生の女児に的を当ててインタビューがされました。「お父さんが帰ってきたら,なんて言う?」。「分からない。言うことがいっぱいあるから」。女の子は何を言おうか,考えあぐねて返事に困っています。

 インタビューはさらに突っ込みが入ります。意地悪ですね。「駅で出迎えて,お父さんの姿が見えてきたら,なんて言う?」。しばらく考え込みました。その光景を思い浮かべていたのでしょう。やがて出てきた答えは,「笑う」という言葉でした。普通なら「お帰りなさい」でしょう。でも,帰ってきた父親を迎える自分の気持ちを伝えるためには,うれしい笑顔が一番と思ったのです。笑顔は心を開いて丸ごと受け入れようとするサインです。父親にとって,最高の出迎えです。

 おそらく女の子は笑顔に囲まれて育ってきたのでしょう。笑うという所作が,何か面白いものごとに付随するものとして限定されていないでしょうか? テレビが提供する「押し付けられた笑い」に馴染んでいると,自発的な笑顔を忘れていきます。フッと横を見ると,そこに親の優しい笑顔が待っている,そんな温かい笑顔を子どもにたくさん見せてやってください。そう心掛けていると,肩の力も抜けて,子育てが楽しくなってくるはずです。



【設問22-06:お子さんの言葉遣いを導いていますか?】


 ○こんなこと・あんなこと!

 かつて若者言葉の不明瞭さが指摘されました。例えば,語尾が伸びたり上がったりする(次の語を考えている)。話が長々と続き切れ目がない(ズバリと言い切れない)。感覚的で曖昧な表現が多い(「やっぱり,とか,なんか,みたいな感じで,…」)。語彙が少ない(限られたつきあい範囲)。発音が曖昧(あごの力が弱い)などです。はきはきとした話し方が,聞いていて気持ちがいいと教えてやってください。小さいうちに良い癖を付けてやるのが,しつけです。

 体験不足が,現実からの無意識の逃避を植え付けています。意見を明確に言語化する能力は持っているのですが,言葉そのものを批判しない所があるために,考え方がすごく単純です。現実に対面しないで,言語で語ればすべてを言い尽くし理解したと思い込んでしまっています。例えば,「バスで席を譲る」と言うことはできるのに,実際にはできない弱さに気付いていません。言葉と現実のせめぎ合いを経験しないと,言葉が卑しくなります。

 人工的な暮らしの空間では人や自然と直に触れ合う機会が少なくて,五感が鈍っていきます。その結果,無感動が蔓延しているようです。表情が硬く,白けていると見えます。優しい笑顔,哀しい目,冷たい風,温かい日射し,流れる雲,輝く水面,心を動かすことがたくさんあるはずですが,それを言葉で表現させましょう。無感動を治すには,豊かな言葉を覚えさせることです。例えば,「ありがとうございます」ではなく「どうも」と言っていると,感謝がなく,頭も下がりません。

 私立高校の体育館で,3年生の男子生徒が喧嘩をして死亡するという事件がありました。喧嘩の原因は悪口を言った,言わないというすれ違いでした。コミュニケーションがうまく機能していないせいです。ある文化人類学者は,「人は友好的関係を作り出すために"言葉"を発明したのでは」と言っています。例えば,「俺はお前を殺さない」がお辞儀に,握手は敵意が無いという表現です。心は,人の声,言葉によって満たされるものなのに,現実は言葉が通じていないようです。


 ○ママへのメッセージ!

 コミュニケーションという言葉の,コム(ラテン)は"一緒"という意味で,コムニカーレとなると"共有すること"になります。そこで,コミュニケーションとは,何かを共有することの確認作用であり,そのことが対話の目指すものです。さらに関連を辿ると,情報とは情に報いることであり,対話という手続きは「聞く+話す」のセットでなければなりません。相手の意にきちんと報いなければ返って来ません。共感するということが対話の目的であることを忘れないでください。

 子どもは分ってくれる分だけ話します。大人は話せば分ると思っています。何が分かるのでしょう? 実は,話せば違いが分ります。お互いの違いを明らかにして,その現実を受容することが必要です。話すとは,言って聞かせることではありません。そんな話しかけでは,口が達者になるだけです。例えば,「これは魚?」,「馬鹿ね,どじょうでしょ」。これでは話は続きません。「違うね!」とだけ言います。「じゃ何?」と考えようとします。次に進むことが大事なのです。

 母国語というように,子どもは母の言葉によって人としての育ちをします。子ども時代にしっかりとした言葉を覚え込まないと,高校まで12年間の学習についていけなくなります。学習とは母国語を使って知能回路を組み上げる営みだからです。質のよい言葉でなければ,良い学習はできません。言葉は最も大事な教養であり素養なのです。子どもの言葉遣いをしつけることで,頭のよい子に育てることができます。美しい日本語が学習の優れた道具であることを知っておいてください。


 ○人は言葉を使って心の扉を開閉します。子どもの心を開く言葉は,「そうか,おもしろいね,もっと知りたい,どう思う,言ってごらん」などです。閉じる言葉は,「ばかだね,だめだよ,つまらないこと言って,それは未熟な考え」などです。違いは分かりますね。聴く耳を持っていれば,それに相応しい言葉が浮かぶはずです。自分に向かって言葉を真っ直ぐに向けさせるには,受け止めようときっちりと構えてみせることです。導きは受け止めてこそ完成するものです。

「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第22-05章に戻ります
「子育ち12章」:第22-07章に進みます