*** 子育ち12章 ***
 

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「第 22-08 章」


『子育ちは 自分に向かう 真剣さ』


 ■徒然子育て想■
『創造性への四つの扉?』

 どんなことでも一回でできることはありません。準備から完成までには,いくつかの作業段階があります。手間暇を掛けないと,よいものは生まれません。人の資質である創造性も,じつはいくつかの扉を開ける鍵を持っていなければ拓くことはできません。

 (1) 知識や技能の獲得
    何でも知っていたり,身に付けておくようにします。(体験)
 (2) 分析できる力
    何が本物か見極める眼力を磨いておきます。(感性)
 (3) 組合わせる能力
    自由に組合わせて試行錯誤をします。(定説,常識,流行は邪魔)
 (4) 評価する価値観
    これが一番難しいのですが,多数決方式は馴染みません。
    簡単にいえば,自分の信念に照らし合わせることです。

 世間の風潮に流されていくのではなく,自己確立を目指して自分の能力を磨き,信じる道を歩む孤高さに耐える忍耐も,創造性にとっては大事な資質になります。



【設問22-08:お子さんの社会感覚を磨いていますか?】


 ○こんなこと・あんなこと!

 社会生活を営む上で,ことの成りゆきを見通す想像力は必要な能力です。例えば,河原でビンを石垣に向かって放り投げて割る遊びをする子どもがいます。ガラスの破片が危険物であると思い至っていません。こうしたらこうなるという道理が身に付いていないということです。また,自転車盗が横行するのも,持ち主の迷惑を想像することのできない幼稚さの現れです。他人の目で自分の立ち居振る舞いを見直す,もう一人の自分が育っていれば,自然に想像できるはずです。

 社会生活には,さらに行動を規制するルールがあります。しかし,意味が分っていても,訳が分っていない例があふれています。例えば,車のスピード規制がありますが,誰も見ていないと簡単に規制を無視します。他人だけではなく自分に対しても危険回避のためであるという訳が分かっていません。子どもの場合には,叱られるから守る!,叱られないと守れないという屁理屈が生まれます。ルールの応用が出来ないばかりか,ルールの条件を変更し無効化する厚顔無恥は許されません。

 古い話ですが,1977年にパリで唐招提寺展が開催されました。その際に鑑真像が展示されたときの話です。会場作りの職人は,像の前を通るときは必ず立ち止って軽く頭を下げていました。見学している小学生の団体は,おしゃべりが像の前に来るとぴたっと静かになりました。館内の警備員も,像の前を横切るとき恭しく帽子を脱ぎました。異国の古い仏像に対して敬意を表す姿勢がゆかしさです。文化を身につけるとは,頭での理解ではなく,謙虚さの振舞いの中にあるようです。

 美しく食べるということにもっと気を遣った方がいいようです。例えば,空き袋を投げ捨てるという不作法は,食べ方の躾が出来ていないためです。きれいな身なりをしていても,下品な食べ方をしていては台無しです。器に顔を突っ込むようにして食べる様は,獣のようです。お上品ぶる必要はありませんが,食べ方にも美しさがあります。食事は人の大切な行為であり,美しく食べる心掛けは人生の財産になります。もちろん,普段から訓練していないと急にはできません。


 ○ママへのメッセージ!

 人は普通に暮らしているときがしあわせです。良くもなく悪くもなく,平凡であることが何よりです。たまには良いこともありますが,同じくらい悪いことも出てきます。ところで,子どもが手伝いをすれば,良いことと褒めてやります。手伝いしないのは,普通のこと! 子どもが言い逃れで嘘をつくと,悪いことと叱ります。嘘をつかないのは,普通のこと! 良いことも悪いこともしない普通の領域を持ちましょう。それが余裕なのです。良いことをしないと叱っては,苦しいだけです。

 どんな仕事でも,後始末は嫌がられます。例えば,手伝いの場合,買物から配膳までの手伝いは,食べたい欲求につられて意味を感じます。ところが,片付けは自分にとって何のメリットもないので,めんどくさいとなり,どうしてしなければという理由を要求します。「最後までやり遂げる」,それは責任を持つことであり,頼りがいが備わり,信用が得られる要件です。中途半端では,人は信頼してくれません。片付けは次への準備であり,中途半端は次につながらないからです。

 パル君という少年がいました。父はナイジェリア人,母は日本人で,祖父母の国である日本の小学校に通っていました。母国語を忘れるパルを見て,母は国に呼び帰して,水汲みをする貧しい生活に戻しました。ふてくされるパルを母は涙ながらに諭し,十カ条を守るように言いつけて,日本に帰しました。
    (1) 人に優しくする
    (2) 威張らない
    (3) 目上の人を尊重する
    (4) 弱音を吐かない
    (5) 人には手を挙げない
    (6) 自分で決めたことはやり抜く
    (7) 人に仕える喜びを知る
    (8) 最後は自分で決断しても,他人の意見も聞く
    (9) 上には上があることを忘れない
    (10) ナイジェリア人の誇りを持つ
一つひとつは当たり前のことであり,真剣になればできることばかりです。できないと思うとき,それは既に甘えている証拠です。社会感覚とは,自分に対して真剣に向き合うことなのです。人には厳しく自分には甘い,それは育ちの未完成です。


 ○顔の表情について,向田邦子さんが書いています。若い役者に「幸せな顔をしてみて」といっても,誰一人出来ない。どんな顔になるのかというと,自慢そうな顔になっている。優劣の世界にしか済んでいないせいで,人は豊かな表情を失っているようです。例えば,テレビを見ていると,バックに笑い声がはめ込まれています。誰もいないはずなのに,画面のこちら側に誰かがいるような設定です。気をつけて聞いていると不気味です。笑わせられていては,自然な笑顔も忘れてしまいます。

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