*** 子育ち12章 ***
 

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「第 22-10 章」


『子育ちは 明日を良くする 希望道』


 ■徒然子育て想■
『苦労の三原則?』

(1)苦労の量は喜びの量に等しい
 苦労知らずの育ちをしたら喜びもないでしょう。苦労した後だから,苦労が喜びに熟成します。そんなことを言われても,日々の苦労に追いまくられていると,喜びを感じる暇がないのが実感です。若い時代は苦労しかないようです。それを忌避したら,その時から将来の道を違えることになると思うしかありません。みんなそうして人生を歩んでいるのです。

(2)納得のいかない苦労ほど自分を鍛える
 どうしてこんな苦労をしなければならないのか? 何の意味があるのか? そう思うことがたくさんあります。それが当たり前です。分からないまま時を過ごしていると,なんとなく分かるときがやってきます。今は分からなくてもいい,正確には分かるはずがないのです。納得というのは,長いスパンで手に入るものです。そのことに気付かされる鍛錬が,苦労を背負うということです。

(3)自分のためにする苦労は身につかないが,人のためにする苦労は身につく
 苦労なんて身につかないでほしいと思うのが人情です。もちろん,それとこれは意味が違っています。苦労という試練が後味のよいものになるのは,傍にいる人に向けた苦労だけです。あなたのためにする苦労を自分の中に込めたときです。こんなに苦労しているのにと相手に苦労を向けると台無しです。自分のためにする苦労は永続きしません。苦労が中途半端に終わるのです。



【設問22-10:お子さんの夢や希望を守っていますか?】


 ○こんなこと・あんなこと!

 盛者必滅。歴史から学ぶ第一原理とも言えます。強いものは必ず滅びています。強さは度を越すと滅びる引金になります。例えば,男の子の好きな恐竜の中には体長30〜40mの大きさを誇るものがいます。神経の伝達速度は1秒当たり12〜13mなので,数秒かかることになります。哺乳類にかみつかれても反応は鈍いので,更に大きく強くなり,更に鈍くなるという悪循環に入ります。成功したパラダイムには頂点があります。今の強者は,今のうちだけです。子どもの将来を考えるときは,注意深く!

 ドングリの本望。ドングリは樫の木になりたいという潜在力を持っています。自己実現とは精神的な潜在力が引き出されることであり,その道を歩むときに生きる喜びが生まれます。季節が花を引き出すように,潜在する可能性を引き出すのが育成ということです。ドイツの学者カール・ビューラーは,潜在力が発揮したときに感じる喜びを「機能快」と名付けました。例えば,子どもは歩けるから歩きたい,歩くことに快感があるのです。学びにも快感があります。強いたら苦痛に変わります。

 しつけと束縛。真っ直ぐ育つようにと,逸れないための導きをするのがしつけです。ところが,育てるために,こうしなさいという条件を課し過ぎることがあります。束縛となり,子どもは身動きできなくなります。選択肢がなくなると楽なように見えますが,選ぶための考えることを奪われると何をしているのか悩むようになります。この身動きできないという気持ちは,まじめな子どもほど陥ります。しなければという枠をはずして,小さな賢さを認めてやれば,そこから夢が生まれます。

 幸せの在処。冷蔵庫に食料が一杯,車も別荘もゴルフ会員券を持ち,豪邸に暮らしていれば,幸福になるでしょうか? そんな暮らしをしたことがないので,実感として分かりかねます。それらしい人がテレビに登場することがありますが,幸せという風には見えません。幸せを身に纏っているだけのような感じがします。僻みでしょうか? 人間は受けてばかりいると幸福感が失われるといわれます。貧しくても与えている側に立つとき幸せであるそうです。庶民の幸せを信じましょう。


 ○ママへのメッセージ!

 知恵遅れ。三人兄妹の真ん中の子がそうでした。ある日のことです。三人に二つのケーキを食べさせるとき,母親は兄妹に半分,真ん中の子に一個を差し出しました。贔屓をしたのです。その子は食べようとしませんでした。すぐに気付いた母親は,自分と半分にすると,喜んで食べました。兄妹が半分で,自分は一個。それでは食べられない。世間は知恵遅れと呼ぶが,知恵は遅れていないのです。「知識遅れ!」にすぎないと素直に見る目が,大人に求められています。

 エミールが言っています。「子どもを不幸にする一番確実な方法はないか? それをあなたは知っているだろうか? それはいつでも何でも手に入れられるようにしてやることだ!」。例えば,「皆が持っている,仲間外れにされる」と泣きつかれると,親は弱いものです。欲しがるものを与えれば,子どもは喜びます。その喜びは一時のことでしかなく,次の新しいものを欲しがります。我慢とは欲望を断つ抑制力であり,そこから何とかしようという希望を見つける旅が始まります。

 教育と治療。医者は悪いところを治してくれます。教育は悪いところを正すのではなく,正常をより大きく,より良いものに伸長します。学校が治療をする病院になっていないでしょうか? 例えば,親が言っても聞かないので,先生から注意してください? 子どもたちの悪いところを見つけようとしているからです。どこが「悪いか」ではなく,どこが「欠けて」いるかを教えなければなりません。ちゃんとできないのは,悪いのではなく,教えていないだけなのです。教育は希望への誘いです。


 ○臨界質量(Critical Mass)。100人のうち他と違った考えを持つ人が1人,2人と増えていきます。その人数がある規模に達したとき,今までと違った力になり得ます。量の変化が質の変化に転ずる臨界量というものがあり,全体の流れを変えることができます。この臨界質量は必ずしも多数である必要はありません。例えば,ファッションは,3割の方が受け入れると定番として定着するようになります。選挙でも,投票率6割で過半数の得票は,全体の3割程度です。

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