*** 子育ち12章 ***
 

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「第 22-13 章」


『子育ちは 暮らしの中で 生きること』


 ■徒然子育て想■
『童心?』

 母親と男の子が水族館に出かけました。説明が流れています。「ここに泳いでいるのは,世界で最も小さな鯨の一種です。スナメリと言います。大人になっても2メートルにしかなりません。横の階段を上がると,水面で呼吸をする状態がよく観察できます」。「あーっ来た来た。砂色だ。いるかにそっくり」。小学5年生くらいの少年は,呼吸を弾ませて見入っています。

 「ほら,この上で,詳しく観察できるんだって,上がってみよう」と母親が促します。わが子の興味・関心を引きだし,それを持続させようという姿勢に見えます。でも,本当のところは,母親自身が関心を持っていたのかもしれません。子どものためと思うのは無理があり永続きしません。子どもと一緒のときは,子どもになってしまうのが楽です。童心を失わないように。

 もう一組の母子がいました。「あーっ来た来た」までは同じ年頃の少年らしい驚きの言葉でした。このとき,母親が突然叫びに近い声を発しました。「さあ,行くよ。食堂が混んじゃうから」。母親らしい言葉ですが,子どもの自我を羽交い締めしています。関心がこれから膨らもうとしている出鼻をくじかれています。飽きっぽい方に押しやっていきます。うちの子は飽きっぽいんだから,とは言えなくなりますね。



【設問22-13:お子さんの生きる力を育んでいますか?】


 ○こんなこと・あんなこと!

 和食。それは明らかに他人を信用しています。どういうことでしょうか? 日本料理は完成の一歩手前で出されます。食べるときに各自で作れる所を必ず残してあります。例えば,刺身はワサビとお醤油を自分流に味付けしていただきます。ご飯とおかずの組み合わせもそれぞれの好みの分量で口にします。食べる人の決定を尊重しています。この調理をする側の食す人への思いやり,それを「いただきます」と受け取ります。自分の存在を認めてくれていることへの感謝と言えます。

 ハサミ。若い人に多いのですが,鋏を渡すときに,握りの方を持って,刃先を人に向けることがあります。「刃先を自分が持つと危ない?」ということでしょう。自分をあくまで大切に,自分を基準に考えています。相手に怪我をさせないようにという発想が育っていません。もし,自分が刃先を向けられたら,はっとするはずです。そして,「危ないじゃないか」と咎めることでしょう。人の振り見て我が振り直すという生きる力の獲得をしておきましょう。

 交流。本読みを喜ぶ子どもたちのクラスがありました。先生はその様子を参観日に親に見せようと思いました。クライマックスになったところで,いつも落着きのない子が「オシッコ」と叫びました。後はガヤガヤとなり雰囲気は乱れてしまいました。先生が見せようとしたことで,子どもとの心の交流が薄くなりました。不安定な子は敏感に反応して,「オシッコ」で先生との関係を結び直そうとしたのです。子どもは真剣に生きています。邪念は通用しません。

 技量。ナイフで鉛筆を削れないという状況は定着しました。それは単なる象徴に過ぎません。手の器用さが育っていないということですが,それは例えば表現能力が未熟ということにつながります。ビィーナスのような彫刻,モナリザのような絵画が生れる技量は手の能力です。子どもが思うように手を使えなくて癇癪を起こしますが,感性だけでは表現には至らないのです。美術を鑑賞,批評出来ても,作者を越えることはできません。口ばっかりという不甲斐なさを味わうでしょう。


 ○ママへのメッセージ!

 縦横。親子共に進学競争の縦糸に操られ,友もなく遊びもないという中で,青春を孤独に過ごしていきます。かつての激しさ程ではないにしても,二極化した中で傾向は変わっていません。家庭でも,母親は子どもと,父親は会社と,それぞれが縦のつながりをメインにしています。家族には夫と妻の間という横の関係があります。この糸がしっかりしていないと家族は分離していきます。子はかすがいと言われますが,直接夫婦がつながっていた方が,子どもに生きる力を与えられます。

 生活技術。それこそが生きる力の根源です。生きるということがどういうことかを身につける演習です。魚を下ろす,下ろし金で。千切り,みじんに。そんな例はよく聞かれます。電気釜の内釜の底に小窪みができて,スイッチの接触不良で故障修理に持ち込まれました。技術者が「手で研ぐだけでどうしてこうなる?」と疑問に思い確かめると,手で研ぐと手が荒れるから泡立て器で米を洗っていたということでした。お米を慈しむ気持ちがあれば,手を添えるはずです。

 愛。愛があるから,という言い方があります。ある(存在)のではありません。愛するという行為です。あると思うから,なくなったということも出てきます。あると思うから,見えない愛をプレゼントという形にしようとします。そんなモノに勘違いしていては,愛する関係は持てないでしょう。子どもを愛するためには,傍にいて触れ合うことが基本です。行為は遠くには届きにくいからです。生きる上で愛するという行為は大事ですから,しっかりと伝授しておきましょう。


 ○子育て羅針盤の第22版が完結しました。次号からは「子育ち12迷路」というテーマで第23版に移行します。スタイルの変更はありません。段落毎に読みきりとして書いていますので,好きなところだけお読みいただけると思います。書いている方は話材を揃えるのに難儀しますが,なるべくいろんな局面を盛り込もうと努力しています。

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