*** 子育ち12章 ***
 

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「第 23-02 章」


『子育ちは みんなの中に 自己見つけ』


 ■徒然子育て想■
『体感?』

 外遊びが少なく,テレビやゲームなどの視聴覚だけに頼った育ちが普通になっています。家や学校という人工的な環境では,五感を敏感に働かし反応するという訓練が疎かになります。その結果として,もう一人の子どもの肥満化が進み,生身の自分が置いてけぼりになります。ハードが揃っていないパソコンに高度なソフトがインストールされるようなもので,フリーズやシャットダウンが頻発します。キレたり,イラついたり,想定外の行動が出てきます。

 もう一人の自分は,夢や空想の世界に飛び込んで,無限の能力を駆使できます。それを再現しようとすると,身体の能力は有限ですから,思うようにはいきません。そこで,「もう一人の自分」が「自分」を拒否しようとします。自己否定は自暴自棄になり,自閉の扉をこじ開けていきます。あるいは,「もう一人の自分」が「自分」を避難させるために,他者を否定したり,責任を転嫁して,反社会的な行動に及んだりします。自分との二人三脚がチグハグにならないようにしなければなりません。

 人の迷惑が見えないのは,自他の関係を円滑に結ぶことができていないからです。もう一人の自分が自分と仲良くしていれば,自分と同じである他者に対しても思いが及びます。自分だけを大切にする幼児期を過ぎて,もう一人の自分が自分を含めた「自分たち」という観点を持てるようになったとき,人の迷惑が自分のこととして認識できるようになります。自分を見つめて実感を伴うことのできる体験重視の環境を整えてやりましょう。



【設問23-02:子どもって,どうして人の迷惑が見えないんでしょう?】


 ○こんなこと・あんなこと!

 芸術の世界は感性が中心です。「痩せガエル 負けるな一茶 これにあり」という俳句があります。のどかな田園風景を詠んだほほえましい句ですね。相撲を取っているカエルとそれを見ている一茶の両方をながめている「もう一人の一茶」がいます。カエルは嫁取りの競い合いをしています。一方で一茶はその頃娶った若いお嫁さんを相手に頑張っています。「カエルと一茶よ,おまえ達は同じ境遇なんだ!」と,もう一人の一茶が詠んでいるのです。ひたむきに生きている自分を感じているのです。

 実感のない感性。かわいい女の子のキャラクターやフィギュアに恋する若者は,異様です。その感性のズレは時代の特性かもしれませんが,やはり不自然です。生身を受け止める感性が機能していないからです。あるプロデューサーが,「今の役者は表情,顔だけしか見せようとしない。知性でしかコミュニケーション(外界との対応)できない」と嘆いていました。背中で芝居ができるためには感覚を生かすこと,実感という身体感覚を基準にしなければならないことを大人が見失っています。

 自我。自己認識であるアイデンティティは,もう一人の自分が依るべき基盤です。人格の中心となる核は,自分と他者を区別化しつつ同時に同一化する作業から得られるものです。自分は何者か? そこからプライドが産まれます。そのためのキップが,名前(区別),姓(同一),性別,年齢,役割などの自意識です。何者かである自分を見つめるもう一人の自分が,一般的他者との葛藤を通して,他者と整合できるような自己形成ができます。「私は○○である」と幾つ言えますか?

 ノック。「入っていいですか?」という問いかけのサインです。相手に対する自分の主張をし,それに対して相手からの許容を確認するための間が必要です。ところが,ノックに返事をしたら,もう入ってきているということが増えてきました。ノックは「入ります」という自己主張のサインに変わっています。相手の都合に合わせて自分の行動を決めているはずのもう一人の自分がいないようです。自他の関係を見るもう一人の自分が,社会性を具現します。


 ○ママへのメッセージ!

 父親の出番。父親は母親を巡るライバル,つまり母を奪う人として登場するという役割を課せられています。母を妻に引き戻す夫としての魅力を父親は発揮しなければなりません。父親が家庭にしっかりと存在感を発揮すれば,母子一体感を壊されたもう一人の子どもが,父親と自分を比べるようになります。つまり,父親は第三の人として,人の輪の最初の位置にいることになります。自分と母親,その次に父親がいて,父親につながって社会の人との輪が意識化されていくのです。

 思いやり。自分と他人を同じ人間と「もう一人の自分」が納得するときに,思いやりを発揮することができます。他人の気持ちは分かりません。自分だったらどう感じるか,どう考えるかということをもう一人の自分が仮に相手の気持ちと想定します。こうして他人の思いを察することが出来るのです。その上で,自分と他人を共に生かすために「自分は何が出来るか」を,もう一人の自分が考えます。身につまされるという経験をしていないと,思いやりは生まれてこないでしょう。

 生活の場。家族の一員という自覚が芽生えると,もう一人の自分が自分を身近な者と結び付けようとします。その同志意識が仲間意識に広がり,友だちの中の自分という関係ができていきます。同じ園や学校の仲間,同じ地域の仲間という具合に,仲間であるための枠組みが少しずつ大きくなっていきます。その枠組みを意識できるように,家庭生活の中でも大きな枠組みを作ってみせてください。家族だけに閉じ籠もるような生活からは,他者を排除する頑なな枠組みができてしまいます。


 ○子どもには先ず人に迷惑を掛けないようにと教えます。一方で,大人は人のお陰をきちんと見極めることが求められます。「この仕事 皆でやろうと 人に投げ」という川柳がありました。皆でやることは私のやることではないという逃げの姿勢があると,それは迷惑を掛けていることであり,同時にやってくれる人のお陰でなんとかなっているのです。やっている人は好きでやっているからやらせておけといった卑怯な逃げ口上は,社会の暗部を増長します。お陰が見えていれば,幸いです。

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