*** 子育ち12章 ***
 

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「第 23-06 章」


『子育ちは 心の通う 言葉聞き』


 ■徒然子育て想■
『納得?』

 病気になって子どもが入院する場合があります。子どもはこの異常事態をどう受け入れるのでしょうか? 大人は「病気を治すために」と思っているはずです。子どももそう思っているでしょうか? 「親に対して何か悪いことをしたから罰を受けている」と思う子どもが多いということです。入院という事態の意味を子どもも分っています。しかし,納得の部分が全く違っています。子どもなりの分かり方があるということを知っておいて下さい。

 病院に診察に連れて行くときでも,子どもは「ごめんなさい」と泣いていませんか? 何を謝っていると思われますか? 罰を与えられようとしていると感じるからです。お医者さんは痛い目に遭わせる仕置き人ということです。どうして病気になったのか,どんないけない子だったのか,そんな風に自分を責めていきます。病気になるのは子どもが悪いからではないということをしっかりと伝えてやってください。

 いじめを受けていても,親にはなかなか打ち明けません。「どうしてもっと早く言ってくれなかったの」と思いますが,子どもは親に心配を掛けたくないと思っています。いじめられるようないけない子であると親に思われたくないからです。よい子であって欲しいという親の思いを壊したくないのです。ちょっとしたことで大あわてをする親を見ていると,言ってはいけないと感じます。何があっても引き受けるという「大丈夫」というメッセージを強く出しておいて下さい。



【設問23-06:子どもって,どうしてよい言葉を選ばないんでしょう?】


 ○こんなこと・あんなこと!

 受け入れ態勢。ある先生が子どもに日記を書かせていました。一つを紹介しています。「A先生の前に出ると,いやに体がびくびくして,ちゃんと敬語を使っている。女の先生になると僕は人が変わる。おれ何もしとらん,しゃあしいったい。この先生なら怒られないと思っているうちにそんな言葉が出てしまう。このごろ自分でも何か恥ずかしい」。恥ずかしいと思わせるものは何でしょう? 女の先生がきちんとした受け答えを崩さなかったことです。

 お客様。パパの育児が弱体化したままの間に,しつけや教育がかなりふやけてしまいました。かわいい子どもという形で,子どもをお客様にしたからです。この世にはどんなに避けようとしても,嫌なことや危ないことはついて回ります。そんなきわどい部分を子どもに教えてやる大人や父親が少なくなりました。現実の厳しさを感じていないから,ふやけた気分のままに甘えた言動に留めおかれています。生きる真剣さを伝えないと,子どもの言葉も安っぽく堕していきます。

 不感症。面白おかしくという日常では,じっくりと感性を働かせる必要がありません。手間暇を掛けない安直な暮らしからは,人の心のような形のないものが見えてはきません。子どもは「親が何かをしてくれた」というものを思い出せなくなっています。してくれたことがあるはずですが,親の世話を当たり前と思っているからです。さらには,あれこれの働きかけでさえ,管理されていると受け取ってしまいます。感性が鈍っていれば,よいものは何か,分かりようがありません。

 一行作文。ある先生が表現の学習として書かせていました。「アヤメが咲いた。となりの犬が見に来た」(きれいという言葉を使わず)。「おめでとうと言われ,くすぐったかった」(うれしいと言わず)。「お母さんの手冷たい,しんどいのかな」(疑問を持つ)。「お母さん,向こう向いたまま怒る」(寂しい自分の気持ちの原因を洞察する)。「雨が降る。今日の雨はいい音してる」(雨を耳で感じている)。みんな素敵な表現ですね。ただのおしゃべりの中ではよい言葉は使えません。


 ○ママへのメッセージ!

 雄弁。話す技よりも,話す内容が大事です。人間関係は分かり合いです。お互いに通じるものを持ち合わなければ,関係は築けません。その訓練は違った人と語り合う機会を持つことです。相手の言葉に沿った対話をするからです。違った人の代表は異性でしょう。例えば,口説く雄弁さが上手ではないと,ストーカーになるしかありません。親子の断絶も,沈黙の家で起こります。テレビだけが話していたり,指示命令語だけの会話では,雄弁は育たず,逃げ口上や切り口上だけが達者になります。

 記憶。正しい言葉を身に付けないと,経験しても知識になりません。習っても身に付かないのです。赤ちゃんは「ほらママよ」と言葉を掛けられて母親を認識するようになります。例えば,「銀行,演説,鉄道,労働,講演」といった言葉は,明治時代に造られた言葉です。お陰で日本語で教育が可能になりました。最近は,プロ,コンビ,パソコン,セクハラ,リモコン,スーパーなどの言葉が通用していますが,イメージが欠落しています。美しい日本語を教えてやってください。

 文章。感動体験がないと文章は書けません。今,文章が先になっていないでしょうか? 作文が苦手になるのは,体験が少ないこと,体験をその場で言葉で表現する訓練していないからです。体験と言葉がセットになっていれば,言葉で体験を引出すことができます。さらに言葉の連想が加わることで,文章は次から次に湧いてくるようになります。また,個々の体験が言葉によってつながると,心が通うようになります。喜怒哀楽をきれいな言葉で表現する習慣をつけてください。


 ○他人の迷惑。定着している民主主義的道徳は,一言で表すと「他人の迷惑にならぬよう」というものでした。でも,実際の感覚では,人間は他人と迷惑を掛け合いながら生きていくものです。それなのに,ちょっとした迷惑に目くじらを立てたり,迷惑を自分の都合と糊塗したり,気持ちの余裕が無く殺伐としています。正しいのは,「他人の迷惑に鈍感にならぬように」という共感することでしょう。「ごめんなさい」で許し合える度量の大きさが,温もりの一面です。

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