*** 子育ち12章 ***
 

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「第 23-08 章」


『子育ちは 力の加減 身につけて』


 ■徒然子育て想■
『兄弟仲良く?』

 こんな問題がありました。牛乳ビンとコップが一つあります。兄弟が二人いて,半分にして飲むにはどうしたらいいのでしょうか? 解答は「兄がどちらでも良いと思うだけコップに注ぎ,ビンとコップのどちらかを弟に選ばせる」というものです。兄はどちらでもいいと思っているし,弟は好きな方を選んでいるので,兄弟には不満はないはずです。なるほどそういう手があったのかと納得されましたか? クイズとしては,ここで話は終わります。

 現実に即した考察は更に続きます。弟は「兄はずるいから,わざと少ない方を取らせた?」と懐疑するかもしれません。一方,兄は「しまった.あっちの方が多かったのでは?」と懐疑する可能性もあります。公平という点にこだわると,欲から生まれる不満は些細な曖昧さを種にして大きく膨らんでしまいます。疑いの目で見れば,ほとんどのことが曖昧であることに気付かされます。疑えばきりがないのです。

 兄弟が仲良くすべきであるというこだわりを,公平さに託していると,うまくいきません。正解として紹介されていたのは,兄が「弟よ,好きなだけ飲め,でもちょっと兄ちゃんにも残して」。弟は「半分より少なめに飲む」。そして兄は「少し残して飲む。残りは弟に」。分け合うというのは,自分の分を与える気持ちから可能になります。お互いに取り分を少なめにするという譲り合いが,仲良くする秘訣です。取り分より与える分を加減できる兄弟に育てましょう。



【設問23-08:子どもって,どうして加減しようとしないんでしょう?】


 ○こんなこと・あんなこと!

 ちょっぴり怖い話ですが,嫁は,舅,姑のどちらが先に死んで欲しいと思っているでしょうか? 断然,舅! どうしてかというと,舅は生活上の自立が出来ていないからだそうです。舅は便所掃除したことがあるか? 舅は出来ない弱者? しようとしない甘えん坊? 自分に出来ることをしない,それを「手が掛かる」と言います。自分には関係ない,どうして私がしなければ,そんな風に自分の役割を減じていると,存在価値も減じられていくようです。

 カード破産。人並みにモノを持たないことに耐えられない? ついつい無計画になるといった自己管理能力の欠落が見受けられます。生活とは細々したことの処理を重ねることであり,それを金で処理,サービスを有料で購おうとします。作らないから,ものの価値が不明となり,「有難さ」意識を持てません。自分でできる力を外注で済ませば,いくら金があっても足りないはず? 金勘定の前に,自分のできる力を加減することが先でしょう。

 精密さ。工学の世界では,「いかなる製品や部品も,それを作る機械よりも精密ではあり得ない」ということが言われます。乱暴な言い方ですが,「いかなる子どもも,それを育てる家庭よりも良品ではあり得ない」ということになるでしょうか? もちろん機械と人は違います。しかし,育ちに環境の質が影響することは認められます。与えすぎる環境は,加減を手抜きした環境であり,子どもも加減ができないように育てられていきます。

 知恵の方程式。知識(KNOELEDGE)+価値(VALUE)=知恵(WISDOM)。知識の大きさ+価値の方向付け=生きる知恵。知っている,できるといった能力は,使い道を決める価値観によって善悪に分かれていきます。能力を使うか使わないか,その加減を弁えていないと,生きることが難しくなります。例えば,子どもの場合,大人には思いっきりぶつかってもいいですが,子ども同士の場合は抑えなければ怪我をします。そんなつもりじゃなかった,それは加減をし忘れているからです。


 ○ママへのメッセージ!

 価値の有無。例えば,おもしろいか,出来たか,当たったか,ドキドキするかといった価値尺度があります。静けさに耐えられなくてダラダラテレビ,試験は100点か否かといった尺度も登場します。「…ない」というのは否定的な価値でしょうか? ないのが普通と考えることも大事です。して貰わないことが当り前だと思っていれば,して貰ったときに感謝できます。味のないお米だから,飽きられず主食になります。無を否定したら,加減ができなくなります。

 いい加減。フェアプレイとはいい加減であることです。例えば,小遣いの値上げをしつこく言ってきたら,「いい加減にしなさい」。宿題をいい加減にしていると,「いい加減にするな」。意味があちこちとふらついています。校則は細々と取締っていますが,いい加減にしないから,自律の精神が育てなくなっています。自由と自律はワンセットであり,そこで最も必要なことは加減する力です。こうでなければと硬直したとき,加減を失い,不自由さにとらわれます。

 尺度の一元化。損得を優先したり,権利義務論で正当化しようとする傾向が過剰になっています。例えば,なぜ私が手伝いをしなければ?という些末な疑問を生み出します。また,勉強だけしていれば良い,余計なことはしなくて良いといった所払いも横行しています。育ちとは生きることを目標にしているのに,一元化した尺度を使うせいで,生きることから隔離されています。これでは生きる喜びが涸れてしまいます。勉強時間が減っても手伝い時間を増やせば,加減の帳尻は合うはずです。


 ○自由と豊かさ。豊かさは精神の自由を引出します。そこから「する自由」が膨らんでいきます。貧しさは「する自由」を奪います。ところで,若者は管理された社会の中で,意識の自由の幅が狭まっています。今,何をしてもしようがない,まあいいさという曖昧な状況に追い込まれ,不自由さを託っています。結果として,「しない自由」が蔓延してきました。ニートというのもその例です。人は豊かさの中でよりも,貧しさの中でこそ生きる力が発揮できるようになっているのでしょうか?

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