*** 子育ち12章 ***
 

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「第 23-12 章」


『子育ちは 今できること 考えて』


 ■徒然子育て想■
『教育の原点?』

 身体にいいからと,緑黄色野菜を食卓に並べても,子どもの手は伸びてくれません。教室の机でも同じことが起こります。将来必ず必要になるからと大事な知識を教えようとしても,目や耳を素通りするだけでどうにもしようがありません。覚えなさいといっても,その気がなければ無駄になります。教室でどれほどの知識が残滓として捨てられていくことでしょう。おもしろい情報に溢れている中で,子どものメモリーは目一杯で満腹状態なのです。お菓子腹では食事は進みません。

 教える手管として,小さな驚き,新鮮な発見,それを与え続けることが勧められます。「小さな驚き,新鮮な発見があれば,生徒の目は縦になり表情豊かに授業に食らいついてきます」と言われる先生もおられます。ペスタロッチは,「例えば……と話を進められますか?」と先生に問いかけています。その際に注意することがあります。東京ドームの三倍といったマスコミがよく使う例え方は,ドームを見たことがなければ通用しないということです。

 虹が出ていると生徒が教えてくれたとき,何と答えるでしょう? 三流の教師は「もう消えかかっているだろう」,二流の教師は「七色はどうして出るのか知っているかな?」,一流の教師は「美しい虹はね,急な雨で濡らしてゴメンという,空のお詫びの印」。雨上がりというありふれた経験と結びつけて,虹を身近なものと感じさせたら,虹のことをもっと知りたいと思うようになります。教育はよい例題,経験とリンクできる例題によります。



【設問23-12:子どもって,どうしてしっかりと考えないんでしょう?】


 ○こんなこと・あんなこと!

 思考のオーバーラン。回転ドアにはさまれて子どもが亡くなる事故がありました。回転部分は事故防止のために軽くしておくのが本質であるのに,見かけをよくするためにドア部分にステンレスを張り,その重さからモーターが回転部分に移設されて,さらに重くなったせいでブレーキが利きにくくなったことが原因だったそうです。細部にこだわることで,本質的なポイントをないがしろにしがちであることは,日頃経験することでもあり,気をつけたいことです。

 要素還元主義。考える方法として,アリストテレスはアナリシス(分析)を,プラトンはアナロジー(類比)を使いました。デカルトは方法序説の中で,「問題はできるだけ多くの小さい部分に分けて,単純で認識しやすい要素を見いだすこと」と勧めています。その流れが学問の専門分野や業種の分業となってきました。そこで現れてきたのが縦割りの弊害ということです。融通が利かないという不都合さの解消には,総合する力が必要です。スペシャリストよりゼネラリストが求められています。

 教育の弱点。創造性の弱さは定説になっています。創造性は核心を掴む力の発露です。教わるという受け身の立場にいる癖がつくと,創造性には届きません。自分でとことん考え抜くプロセスがあってこそ,創造への扉の前に立つことができます。言われたとおりにするお勉強では,気付きというインスピレーションが育ちません。「そうか!」という理解の経験を積み重ねることが物事の本質を引き寄せる力になります。時間を掛けても自分で考えるという癖をつけてやりましょう。

 生活実践。自分で考えるのはどんなときでしょうか? 今しなければいけないことに直面するときです。生活実践の場面では,できないとか無いとか言って投げ出すわけにはいきません。取りあえず何とか成し遂げなければなりません。しっかりと考えざるを得ないのです。例えば,食パンを買いに行くお手伝いで,食パンがなかったと帰るわけにはいきません。別のお店に行くとか別のパンを買うとか,考えます。自分でなんとかする,そういう局面が考える体験につながります。


 ○ママへのメッセージ!

 忠告。あなたのために。親が持ち出す切り札です。ところで,友だちに対して忠告してあげているつもりということがあります。 相手の立場になってみれば,そういう行動しか取れないときに,「こうした方がいい」と言うのは,相手を批判したことになります。批判されたと感じさせたら,折角の忠告が届かなくなります。心理学者のオルポートは,「ある友人を本当に理解するとは,その人の将来を理解することである」と言っています。子どもが考えたことを先ず理解することです。

 横並び。人は逆向き(向い合わせ)に教えても覚えません。横に並んで「こうする」と動いて見せると,すぐに覚えてくれます。宿題を見るときも,横に並んで座ります。ソファで向い合わせになると緊張感が出てきます。教室で教壇を挟んで向き合っているから,覚えづらくなります。後ろ姿で教えるとは,同じ向きになる所に意味があります。一緒に考えているという姿勢をとるようにしてください。頭ごなしは考えさせないということです。

 次善策。最善を尽くせと檄が飛びます。ところで,伴侶のことをベターハーフといいます。ベストハーフではありません。ベストであろうとすれば疲れますし,相手にベストを求めると破綻します。ちょっとだけ良ければいいのです。いろんな問題に出会うとき,間違ったときがチャンスです。少しでも解こうとするプロセスで新しい方法を発見することができるからです。いきなり最善の解答を求めるから,考えることが重荷になります。次善を重ねていけば,最善はやってくるものです。


 ○情報化社会。情報が公開されるということは,個人の責任を要求する社会になってきたということです。自己責任を課すために情報公開が必要なのです。人のせいにしていては生きられないのです。大事なことは,溢れる情報から生きる上で必要な情報を選び取る力です。バラエティやゲームの情報に詳しくても,自己責任とは無縁であり,実社会では爪弾きされます。教えてくれなかったから知らなかったでは済まなくなっているのです。自分で考えるべき社会とは,きついですね。

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