*** 子育ち12章 ***
 

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「第 24-01 章」


『子育ちは 自分が自分 導いて』


 ■子育て一言メモ■
『我思う,故に我あり!』

 哲学的に有名な言葉ですが,要するに「私があれこれ考えるから,私がいる」ということを言った人がいました。古い言葉を持ち出したのには訳があります。最近の青少年が起こす犯罪は訳が分からなくなっています。何かがおかしくなっていると感じるのは親ばかりではありません。どうもここ十数年の子育てがどこかで間違っていたのではないかと思われ,その手がかりをつかみたいと考えているからです。順を追ってお話ししていきます。

 話材としてはあまり目にしたくない言葉ですがしばらく我慢していただいて,「自殺」という言葉を取り上げます。自分を殺すというのですから,殺人です。犯人がいるはずです。犯人は誰でしょう? 犯人は「もう一人の自分」です。自分が自分を殺すのです。「お前は生きていてもいいこと無いよ」と引導を渡すのは,「もう一人の自分」です。もちろん,死んではいけないと止めるのも,もう一人の自分です。

 冒頭の言葉は,「もう一人の自分がいるから,自分という者がいる」と言い換えることができます。このような観点から,「誰が育つのか?」という第一の問に対して,「もう一人の子どもが育つ」と答えることにします。育つのは子どもと漠然と考えてしまうと,子どもが見えなくなります。自信とは,もう一人の自分が自分を信じることです。自虐とは自分をもう一人の自分が虐げることです。もう一人の子どもを育てていると自覚することから,この子育て羅針盤は始まります。



【設問24-01:あなたのお子さんは,自分の考えを主張していますか?】


 ○親離れの意味は?

 ママが子どもを思う気持ちはひとしおでしょう。健やかな成長を願ってしつけにも一所懸命です。あれはダメ,これはしなさいと,指図することがたくさんあります。幼いうちは必要なことですが,いつまでも続けるわけにはいきません。「もう一人の子ども」を育てなければなりません。

 ママが思うようには子どもはできません。「こんなこともできないの」とけなします。子どもは意気消沈して途中で止めます。「なぜ止める!」と追い打ちをかけます。子どもはどうしてよいか分からなくなります。こんなことが度重なると,子どもは母親の顔色をうかがうようになります。「お母さんがイカンと言う」,「お母さんに怒られる」と言い始め,「自分の好きなこと」より,「母親が好むこと」をしなければとしつけられます。

 母親という背後霊が子どもに取り憑いてあれこれ指図ばかりしていると,依頼心の強い子どもに育ちます。母親がもう一人の子どもにすり替わって,育ちを邪魔しています。親離れとは,「もう一人の子ども」を登場させ,育ちを促すことなのです。子どもを育てようとするのではなく,もう一人の子どもが育つのを気長に支えることなのです。具体的には,子どものことはもう一人の子どもに任せましょう。もう一人の子どもがどうしたらいいのか考えて決めるようにし向けてください。

 ・・・指導と干渉の違いは,もう一人の子どもへの決定権の付与如何です。

 「ママの言うことを聞いていればいいの!」 それは干渉です。決めているのがママだからです。「こうしたらいいよ」,「そうしてみる」。それが指導です。決めているのが,もう一人の子どもだからです。もし子どもが「そうしない」と決めても,無理強いはよくありません。それは干渉になるからです。指導とはまどろっこしいものです。手を換え品を換え,根気よく付き合うことが大事です。もちろん,わがままを主張する場合は論外であり,毅然としたママの決定が必要です。


 ○ママへのメッセージ!

 ※子どもの可能性を引き出すのは誰?

 子育てが子どもの可能性を引き出す営みであることはよく知られています。ところが大事なことが案外と見落とされています。それは誰が可能性を引き出すのかという点です。なんとなく親や先生が可能性を引き出してあげるんだと思っていますが,それは思い違いです。子どもの可能性を引き出すのは,もう一人の子どもなのです。自分のことは自分でするという言い方がありますが,もう一人の自分がそこにいるのです。

 子どもたちの望みは「ゆっくりしたいこと」という調査がありました。口癖は「疲れた」です。ちょっと何かをさせてもすぐに疲れます。親ははがゆい思いで尻を叩きます。なぜ疲れるのでしょうか? それは「させられること」だからです。しなければならないと追い立てられるからです。人に言われてすることは疲れるものです。では疲れないときはどんなときでしょう。「もう一人の自分」がしようとするときです。しなければならない授業は疲れ,したいと思ってする遊び時間は疲れません。親はあまりにさせようとし過ぎていませんか? 遊びが大切だという意味は,もう一人の子どもを目覚めさせるからです。

 子どもは甘える生き物です。我慢や忍耐が苦手です。我慢しなさいと命じて我慢させます。無理矢理ですから,何とか逃げ口上をひねり出そうともがきます。しまいには親は自分のことを分かってくれないと邪推しかねません。「我慢しようね」ともう一人の子どもに伝えるように語りましょう。言われてするのではなく,もう一人の自分が我慢しようと決めるようにし向けるのです。忍耐力が無いというのはもう一人の自分が育っていないからです。

 自立とは自分が立つと書きますが,立たせるのはもう一人の自分です。きついな,イヤだな,こわいな,面倒だなという自分の思いを,もう一人の自分ができることはやってみようと決めて,自分の可能性を引き出すことが育ちです。自分を信頼できるようになることが自信をもつということです。自分が信じられなくて自信は持ち得ません。自分を生かそうともう一人の自分が懸命に考えるように,親がほめて手助けをしてやることが育てることです。


 ○若者は自分に合った職を探そうとしています。経験の浅い自分に奥の深い社会を合わせようとしているように見えます。洋服を誂えるのと同じように簡単に考えています。自分の考えがそのまま世間に通用すると見くびっています。自分を社会に合わせることをしないと,社会参加の扉は開きません。同じことが人間関係にも及んでいます。自分の考えに添うように人を変えることができると思っています。変えることができるのは自分自身でしかありません。社会力の低下の根源は,裸の王様に育ってしまった自分に気付いていないところにあります。もう一人の子どもに自分を見る均衡の取れた目を育ててやることが次の課題になります。

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