*** 子育ち12章 ***
 

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「第 24-02 章」


『子育ちは 人の振り見て 身を正す』


 ■子育て一言メモ■
『自制ができぬうちは,自由だとはいえぬ!』

 作文や日記を書くときは,過ぎ去った自分の気持ちや行動をもう一人の自分が思い出そうとします。その時にもう一人の自分が目覚めます。このような自分を語るという形が,内省と言われる行為の基本です。犯罪を犯した少年に更生のために作文を書かせるのも,もう一人の自分を目覚めさせ反省させるという目的があるからです。きちんと育てなければならないのがもう一人の少年であるということを示しています。

 推理小説を読むことがあります。もう一人の自分は本の世界に入り込み,主人公の探偵に同化します。決して被害者にはなりません。被害者は小説のはじめに消えるからです。謎解きをしているもう一人の自分は疑似体験をしていることになります。本を読むことで,もう一人の自分が自然に目覚めて,主人公という他人になって得難い体験をします。読書はもう一人の自分を一回り大きく育てていると言うことができます。

 子どもはヒーローやヒロイン遊びが好きで,自分がなったつもりで飛び回っています。もう一人の子どもが夢いっぱいの体験をしています。正義の味方として振る舞うことで,正義が何かという意味は分からなくても,正義の行動がもたらす気持ちを身に付けていきます。意味の理解は後付でいいのです。もう一人の自分は他者の体験をすることで育っていきます。友だち遊びも,いろんな役割を演じることを通して,自分の立場を見極める体験になっています。

 冒頭の言葉は,紀元前6世紀のギリシャに生きていたデモフィロスが残した格言です。自制はもう一人の自分が自分を制することです。もう一人の自分が眠ったままでは,責任能力が無く社会人になれないのです。自由といえば何でもありというイメージが強いのですが,責任を負うことが伴わなければ,放縦に過ぎません。一人ひとりがブレーキを備えているという前提で,自由が許されているのです。社会性の大事な要件として,もう一人の子どもに教え込んでください。



【設問24-02:あなたのお子さんは,他者の目で自分を見ていますか?】


 ○みんなの意味は?

 子どもがモノをおねだりするとき,「みんなが持っている」と理由付けしてくることがあります。もう一人の子どもが持っていない自分は他人と同じでないと判断するからです。この他人と同じでありたいという気持ちは大切な社会性の始まりです。大切だと感じているから,親との交渉に口実として持ち出してきます。言い寄られた親が「本当に皆に必要なモノなら」と査定するのも,そこに社会的必然性を見つけようとしているからです。「人並みに」という暮らしの知恵です。

 子どもは知らないうちに悪さをしでかします。もう一人の子どもがまだ社会的に未熟だからです。自転車を道の真ん中に放り出したままで遊んでいます。道は往来をする場所であり,そこで遊ぶためには守るべきルールがあるともう一人の子どもが自分に言い聞かせることができていません。通りがかりの人に注意されても,何を言われているのか分からずポカンとしているのは,社会性の未熟さのせいです。人が通るときに邪魔になるという他者の立場の経験が必要になります。

 社会性の未熟さは「みんな」という範囲の意識上の狭さに結びつけられます。身内や親しい仲間だけを「みんな」と思っていて,いわゆる「赤の他人」はみんなの範疇には入っていません。限定された「みんな」に止まって,社会性が偏狭なものに固定化しているから,世間的な問題行動に発展していきます。袖振り合うも多生の縁という感覚があれば,すれ違う人にも気遣いが出てくるはずです。せめてあいさつや会釈を交わすことでもすれば,みんなの範囲が広がるはずです。

 もう一人の子どもが「みんな」の目を持ちますが,それを他人の目にまで見開けるように育てなければなりません。昔の人が「かわいい子には旅をさせよ」といったのは,知らない他人の中に入ることによって,知り合っていたみんなをいったん無にすることによって,知らない人をみんなの枠内に繰り込んでいく経験を大事にしたのです。多くの他者との関わりを体験することによって他人の目を取り込む機会になっていました。

 ・・・思いやりとお節介の違いは,もう一人の子どもの社会性の有無です。

 「余計なことはしないでいいの!」。折角のお手伝いをママは迷惑に思っています。二度手間になるのでママは余計に忙しくなります。でも,そのお節介はぐっと我慢して思いやりとして受け取ってやってください。ママのことまで考える経験を持ち合わせていないので仕方がありません。社会性の基本である相手の事情を察するためには,相手と同じ立場に立ってみなければ分かりません。大人のことまで見渡せる社会性はゆっくり育つものと気長に待つことです。


 ○ママへのメッセージ!

 ※社会性を発揮するのは誰?

 夜道を歩いていると無灯火の自転車が音もなくすり寄ってきます。一瞬びくっとさせられます。自動車に乗っての帰り道,目の前にいきなり自転車が現れます。はっとさせられます。自転車に乗る人は勝手知った道なので,灯火なしでもこわくはないのでしょう。しかし,歩く人に対して身を隠して加害者になる可能性,ドライバーに対して陰のようになって被害者になる可能性を考え及んでいません。自分を見る他者の目を持っていないからです。

 シートベルトを装着していないドライバーをたまに見かけます。シートベルトは自分のためにする安全策です。自分の命への気配りのない人は他人の命など大事に考えることはできないでしょう。とてもこわいと感じます。自分の身の安全を図る客観的な視点は,他者の目を持つことと同義です。道路脇の草むらには缶や食べガラが放り込まれています。見られていると思わないからですが,もう一人の自分が居眠りしてのです。

 思いやりは相手の立場になって考えることですが,もう一人の自分がいるからできることです。自分を大切に思うのはもう一人の自分であり,他者の目を持つもう一人の自分が他者も自分と同じ人として大事に思うのです。人が人間らしくなるには,もう一人の自分がしっかりと育つことが必要なのです。優しい心とは,もう一人の自分がいなければ現れません。他者の目で見るとは,もう一人の自分が社会化するという意味です。

 子どもは自分が他人の目からどう見えているかという視点を身につけなければなりません。自分を客観視することです。自分の行為が他者に対して及ぼす影響を深く洞察する入り口であり,迷惑を掛けないような身の処し方につながります。これが最近の子どもに最も失われている点です。他者を意識することで私的な思いにどれほど制動を掛けてみせるかが親としてのお手本のあり方です。「ママだったら,こう考えて,こうする」とお話してやってください。


 ○子どもにとっても受難の世情が現れているようです。身を守るために人を信用してはいけないと指導しなければならないが,その結果は人を信じられない子どもを育てていることになるという校長先生の嘆きを聞きます。そこには人を白か黒かでしか見ようとしないディジタル思考があります。仲良しかケンカか,それしかないとすれば人間関係は窮屈でしょう。人間関係に融通無碍な間合いを持てるように指導してやることが次の課題になります。

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