*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 24-04 章」


『子育ちは ママの手伝い 楽しんで』


 ■子育て一言メモ■
『天国は母親の足元にある!』

 忙しい家庭の中で,手の掛からない子どもが育っていきます。親にはいい子かもしれませんが,子どもはどうでしょう。いつの間にか自分なんか「いてもいなくてもいい」のではないかと思うかもしれません。一人ぽつんとなんとなく生きていると思ったなら,自分は何なんだろうという「不安」が脹らんできます。自分の存在性を維持しようと,嫌われないように気配りして暮すようになります。いつも防衛的ですから緊張・ストレスの連続で,やがて心身をすり減らします。

 子どもよりパパが重症なのかもしれません。男の子が帰宅しましたが,母と姉は不在で,父が新聞を読んでいます。男の子は「誰もいないのか!」とつぶやきました。パパは存在感を取り戻そうと,ある日小さなお菓子を10個買ってきました。夫婦が2個ずつ,子ども2人は3個ずつという心づもりでした。おやつの時間になり,パパが自分の皿を見ると1個です。ママと子どもたちはそれぞれ3個でした。似たようなことは茶飯事です。子どもはポケモン,パパはノケモンという寂しさです。

 「あなたは勉強さえしていればいいの」と,生活から隔離されているような状態です。家族がそれぞれ自分だけの暮らしをしているクールな関係です。かつて流行した「パラサイトシングル(実家に寄生している独身若者)」は,このような関係の行き着く先でしたが,それでも少しは自立していました。最近はニートやフリーターにまで進行し,生活を丸ごと依存しています。ちょっと気配りのできる子どもであれば,自分だけが遊んでいるようで落ち着かないことでしょう。

 家庭で「自分のことは自分で」というしつけだけを厳しくし過ぎると,家族であって家族ではないような「いてもいい」という不安定で曖昧な存在に追いつめてしまう危険性があります。家庭の雑事を「うるさい用事」と思うように育てられた子どもは,生きる実感を与えてくれる日々の家庭生活から逃げるようになり,自立に向かう道から逸れていきます。家族であるとは,生活上に持ちつ持たれつの相互関係がなければなりません。子どもも家族として受け入れてください。

 冒頭の言葉は,10世紀のイスラム苦行僧の諺です。母親の後ろ姿に家族であることの形を見届けて育てば,家族が生きるという心構えを自然に身につけていきます。それはこうあるべきであるという頭の理解ではなく,体感というしつけです。人が幸せを感じる居場所はここにあると感じることができたら,子どもにとって天国は母親の足元にあると心に刷り込まれていきます。幸せの種まきを忘れないでください。



【設問24-04:あなたのお子さんは,家族との信頼関係がありますか?】


 ○いなくてはならない人?

 子どもは甘えることから育ちはじめます。十分に甘えさせてやりますが,いつまでも甘えん坊で依存していては困ります。そこで甘えを止めさせようとするしつけをします。依存しないことが自立することであると思われています。ある面では確かにそうなのですが,別の面では思いこみという誤解もあります。自立という言葉の本意は迷惑を掛けないようにすることではなくて,何か役に立つことをすることでなければ筋が通りません。

 パパは自分が会社でも家庭でも「いなくてはならない人物」であることに張り合いを持っています。病に倒れて見舞いを受けるとき,「早くよくなって出てきてもらわないと皆が困っています」と言われればご機嫌がよいのですが,「後のことは皆でちゃんとやっていますから,どうぞゆっくり養生してください」とでも言われたら落ち込むことでしょう。自分がいなくてもいいと引導を渡されるのですから,つらいのは当然です。必要とされていることが自立の証だからです。

 桃太郎のチームリーダーとしての手腕を見てみましょう。犬は猿とは犬猿の仲です。ところがどちらも桃太郎の家来として協力しています。どうしてでしょうか。犬は桃太郎と,猿も桃太郎とキビ団子契約でつながりました。犬と猿はそれぞれ桃太郎に協力するという形でつながっています。チームとしてのポジションを与えられ役割を担っています。共同体の中で責任ある役割があるという信頼関係が,存在感を実感させてくれます。ケンカをする必要など失せてしまいます。

 共同体ではお互いに役割を担う自覚が大切です。言い換えれば,相手の役割に共に依存してもいいということです。お互い様なのです。忙しいママはお使いや手伝いなど,子どもに依存する,つまり頼ればいいのです。頼られればそれに応える,それができたとき共同社会の中で自立したことになります。必要とされている,頼られている,いなくてはならない人と思われている,それが気持ちを「安定」させ生きている充実感をもたらしてくれます。

 ・・・分担と手伝いの違いは,責任を負う覚悟の有無です。

 手伝いはすればありがたがられますが,しなくても責められることはありません。した方がいいという程度のものです。一方で,分担はしなければ全体が滞ることになり責めを負うことになります。それだけに頼りにされ方の重みが違い,やり甲斐もあります。子どもには手伝いから入らせて,「ありがとう,助かったよ」という感謝の言葉でやる気を育ててやりましょう。「ボクに,ワタシに,任せておいて」と言うようになれば,任せましょう。


 ○ママへのメッセージ!

 ※いて欲しい人!

 社会的な関係が必要な場合には,いなくてはならない人と自覚できていれば十分でしょう。しかしながら,人間関係としては,まだまだ十分ではありません。例えば会社勤めでは定年を迎えて役に立たなくなったらあっさりとお払い箱です。パパの名刺から肩書き役割が消えてしまったら,たださみしくなるだけではなく,自分の存在感までもが失せていくように感じられるはずです。亭主元気で留守がいい,それは家族であることを厭われている冗談ばかりではありません。

 4歳の男の子がオネショをするようになりました。妹が誕生してまもなくのことです。ママはあちこちに相談に行きますが,いっこうに止む気配はありません。そんなつらいある日のことです。オネショをしなかったのです。ママは「できたね」と思いっきり男の子を抱きしめました。そのときです,「あのね,ママ。またできたらだっこしてくれる?」・・・。母親の膝を妹に奪われた寂しさ,不安に駆られ,無意識に自分への注目を回復するためのオネショでした。

 つわりのひどいママがいました。幼い女の子がいます。祖母が女の子をしばらく預かろうと申し出てくれました。でも,ママはある決意から断りました。数日前,トイレでしゃがみ込んでいたときのことでした。苦しさの中でふっと気が付くと,背中を小さな手が一所懸命にさすってくれていました。「この子といっしょに産もう」と思ったからです。幼児でも大人に力を授けられます。大したことはできなくても,いてくれるだけでいいのです。

 子どもはパパが出張先から買ってきてくれるおみやげを喜びます。ところが,数日するとおみやげは飽きられて隅に転がっていることがあります。せっかく買ってきてやったのにと,パパはおかんむりです。でもそれでいいのです。おみやげは出張先でも子どものことを気遣っているから買って帰ります。子どもは「パパは出張していても,自分のことを気に掛けていてくれた」という証拠として受け取っています。パパの気持ちを確認できれば,おみやげそのものはどうでもいいのです。でも,ママが傍から「子どもにばっかり」とにらんでいることにご注意を!?

 お互いに役に立たなくても,いるだけで「ほっと安心する」関係,いて欲しい人,それが家族の人間関係です。


 ○もしも母親から「お前さえ 生まなかったら」と言われたら,子どもは生きることに絶望します。そこまであからさまではないにしても,ちょっとしたすれ違いが起こることがあります。ママは忙しくて子どもをかまう暇もあまりなく,自分は何をしているのかと思うことがあるかもしれません。子どもは口には出しませんが,ママの後ろ姿にありがとうと感じています。それでもやっぱり,ママの優しい言葉を聞きたいと耳を澄ましています。交わす言葉の大事さが次の課題です。

「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第24-03章に戻ります
「子育ち12章」:第24-05章に進みます