*** 子育ち12章 ***
 

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「第 24-05 章」


『子育ちは 母の言葉を たっぷりと』


 ■子育て一言メモ■
『言葉は精神の顔である!』

 一方通行の狭い道を車で通っているときです。若い女性の運転する逆走してくる小型車に遭遇しました。Uターンしてもらうスペースもないので無理して何とかすれ違いましたが,驚きました。知らないということはこわいものです。子どもたちが悪いことをしでかしたときに,その悪びれない態度に大人がむかつきます。悪いということを知らないようです。自分の行動がひょっとしたら他人に迷惑を掛けているのではないか,そういう慎ましさが伝わっていません。

 悪行をしでかしても悪いということを自覚していない人は,罰せられないのでしょうか。犯罪の世界では故意か過失かという分類以外に,無知という枠がクローズアップしてきたような感じがしています。無知であれば反省もあり得ませんし,罰を与える高邁な意味も無くなります。特に少年犯罪の場合は,育ちの途上なので無知であることを前提として,特別な対応をしてきました。しかしながら,無知であることが免罪符になりうるかということに,普通の人は違和感を抱きはじめています。

 人に対する慎ましさは自分に対するケジメから派生するものです。ケジメという言葉を教えられずに育ってしまったために,知らないうちに何の躊躇もなく悪行に手を出していきます。自分の気持ちを大事にするという美酒におぼれ悪酔いしている世情の中で,子どもたちは程良い加減というバランス感覚を失っているので,分からない,気が付かない,知らないという無自覚状態です。自覚症状がない病は命取りになります。

 親には子どもの保護責任があるとするなら,子どもが無知なために犯した罪に対しては,無知なままに放置した親の業務上過失という形で責任を負わなければなりません。具体的には賠償責任が発生します。類推としては不謹慎ですが,有害商品を世に送り出した企業の責任と同じです。皮肉を込めて言えば,クールな金銭的世界ではやがて親のために「子どもによる加害事件の賠償補償保険」なるものが売り出されかねません。とんでもないことでしょうか?

 冒頭の言葉は1世紀のセネカの言葉です。けじめ? それって何? 慎み? そんな言葉は知らない! 言葉を知らないと行動のコントロールができなくなります。進むも止まるも,信号の意味を知らないと,社会では混乱を生じ危険を招きます。大人になるというのは,言葉を覚えていくことです。「いつ育つのか?」という第三の問に対して「言葉を覚えたとき」と答えることができます。言葉を共有できたとき,精神が交流しあい,社会的な行動が可能になります。話しても通じない人,変人・奇人として遠ざけられるのは当然です。



【設問24-05:あなたのお子さんは,正しい言葉遣いをしていますか?】


 ○伝わるように?

 テレビから「おはようございます」と言われて応えていますか? テレビの言葉は直接自分に向かって来ません。盗み聞きしている状態なのです。赤ちゃんがテレビを見ながら声をあげて喜んでいます。自分の意思をテレビの人に伝えようとしますが,テレビは反応してくれません。やがて,話しかけても無駄だと覚えていきます。言葉に反応することができなくなり,外部からの言葉による働きかけに心を閉ざしていきます。テレビから言葉を習う子どもは,正しい言葉づかいが身につきません。

 パパが「オーイ,お茶」と偉そうに言ってます。ママはいつもでしたら「ハーイ」と答えているのですが,疲れていたり忙しいとき,違った受け答えが飛び出してきます。「お茶がどうかしましたか?!」。ママは何がお気に召さなかったのでしょうか? パパは「お茶」という言葉をその辺に放り出しています。捨てゼリフなのです。聞く方はわざわざ言葉を拾いに行かなければなりません。誰に向かって言っているのか頓着しないような言葉づかいは失礼です。

 言葉は「誰に向かって」発しているのかを,明確に表現しなければ不誠実になります。「あなたに向かって」が「オーイ」(私はオイではない!),「お茶を入れてくれるように頼んでいること」が「お茶」(私はお茶なんか飲んでる暇はない!)では,聞く方の事情などお構いなしの甘え・無礼さが丸出しです。夫婦二人だけの家庭ならまだしも,子どもが見ているところでは要注意です。言葉を端折らずにきちんと文章にして話すような癖を付けることが望まれます。

 言葉づかいを叱るとき,「誰に向かって言っているのか!」と注意することを思い出してください。言葉とは相手に向けて正しく伝わらなければ意味がありません。人間関係を橋渡しする言葉づかいは相手を意識することが基本なのです。「お腹が空いた」と子どもが言っても,(それがどうした!)と聞き流してください。それは独白でしかないからです。それを察することは言葉のしつけから外れます。「ママに向かってちゃんと言いなさい」と,ママが正しく聞いてあげるようにしましょう。

 ・・・対話とおしゃべりの違いは,相手に対する敬意の有無です。

 子どもたちの話しぶりが,いわゆるため口風になっています。同世代の中でおしゃべりしかしていなかったり,親や先生が親しみとため口を区別していないせいなのかもしれません。人に対して敬意を表することができなければ,社会性のしつけを疑われます。何も畏まる必要はありませんが,丁寧さは最小限のマナーです。子どもだからと見過ごしていると,不作法さは染みついてしまいます。相手に対して敬意を持てば,自然にお互いの言葉が重なり合えて,対話になっていきます。


 ○ママへのメッセージ!

 ※母の言葉!

 親は言いたいことをすべて子どもにぶっつけていますから,対話は充分と思っています。その親の話し方は「言って聞かせて分かったわね」という上から言い渡す形であり,話の中身は「禁止,命令,愚痴,小言,お説教」等でほぼ40語に限定されているようです。親子の対話は勝負であり,親は負けられないと思ってはいないでしょうか? その証拠に親が負けそうになると「ゴチャゴチャ言ってないで」と一方的に対話を打ち切ります。子どもは言われっぱなしになっているようです。

 ある大学の先生が「お母さんにも声変わりがある」と書いていました。赤ちゃんには夫も聞いたことがないような優しい声を掛けて,気持ちを分かってあげています。子どもが成長してくると,声は厳しく1オクターブ甲高くなり,「ハヤク,サッサト,チャント,キチント」と自分の気持ちをぶっつけるように声変わりをします。勤めに出るようになって母親の言葉が貧しくなったことを悲しむ中学生もいました。言葉の身だしなみもおろそかにしないで下さい。

 母親がおしゃべりである訳は,「子どもに言葉を教える先生!」だからです。母国語と呼ばれているように,人は母の言葉を身につけていきます。母の言葉は「もう一人の子ども」の育ちの母乳なのです。例えば,子どもにはなるべく早く「危」の字と意味を覚えさせておくことです。学校で教わるときまで待っていては遅すぎます。知恵は言葉という形で記憶に残ります。いくら体験しても,そこに母の言葉が結びつかなければ無意味になります。

 人は言葉によって脳の配線を整理し,物事を考え理解し,物心がつき人間らしくなっていきます。赤ちゃんは「ほらママよ」と言葉を掛けられてママを認識するようになります。肩を叩いてくれたとき,「優しいのね」と言ってやれば,優しさとはどういうことかが分かり身に付きます。休憩の後,「もうひとがんばり」と言うことで,続けることがガンバルことだと知ります。優しい言葉を使えば優しくなれます。乱暴な性格だから言葉が乱暴になるのではなく,乱暴な言葉を使うから乱暴な気持ちに染まっていきます。言葉のしつけをお大事に!


 ○子どもはいつも家庭での話しぶりを見聞きして覚えていきます。ままごとをしている子どもを見ると,家庭の言語生活がそのまま現れています。日常会話を「単語」で済ませるような言語生活では,自分の思いを見境なくまき散らすことしかできません。「ムカツク」といった捨てぜりふしか言えません。次の課題である人と気持ちを通い合わせるには「文章」表現が必要なのです。蛇足ですが,文章表現を駆使できないと,学校の授業についていけなくなります。

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