*** 子育ち12章 ***
 

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「第 24-11 章」


『子育ちは できないことを できるよう』


 ■子育て一言メモ■
『経験はあらゆる事柄の教師である!』

 ある大きな美容院経営をしている方の話ですが,お弟子さんたちについて「ものになるかどうかは見ていてすぐに分かる」とのことでした。どうするかというと,昼食の取り方を見るそうです。ラーメンでも何でもいいのですが,自分でちょっと野菜を入れたりして手を加える娘さんは将来必ず店が持てるようになり,コンビニ弁当などを飽きずに食べている娘さんはものにならないそうです。

 食べるというごく日常的な行動にも,どうしたら美味しくなるか,栄養バランスはどうかといった関心を持ち,やってみるということを面倒がらないのがいいのでしょう。あれこれ考えることが人を育てていきますから,特別の努力をしないでも実力が自然に備わっていきます。食事と美容技術とは直接には関係はありませんが,考える癖を持っていることがあらゆることに向かって伸びるための出発点になります。

 「こうしたらどうなるだろう?」と結果をイメージしながらやってみて,思った通りになったとか,違ったとかを確認していきます。物事のプロセスを一つ一つ見極めていくことによって,いろんな組み合わせの妙が見えるようになります。同時にバラエティが豊かになり,創造性への暗証番号も手に入れることができます。また,たとえしくじったとしても別のやり方があるはずと思うことができるので,めげることがなく,常に前向きになれます。

 最近,若者や子どもたちの体験不足ということが言われています。どんな体験なのでしょう。特別な体験ではなくて,ごく日常の生活体験です。そこで何が育つのでしょう。考える癖です。何事でもやり遂げるためには,過不足無く準備をし順序よく事を運ばなければなりません。そのために自分なりの設計図をイメージして事に当たる姿勢が必要です。それは教えられてできるものではなく,体験を考えることから学び取るものです。

 冒頭の言葉はシーザーに拠ります。子どもにとって家事の手伝いは大切な経験です。任された仕事の中で何をどのように考えたか,それが勉強とは違う学びの基本になります。子どもに考える癖をつけるためには,暮らしの中にいくらでも転がっている考える材料を提供すればいいのです。お風呂の掃除ではどうすればきれいに掃除できるか,頼まれたお使いを忘れないためにはどうしたらいいのか,鉢植えの草花はどれくらいの水をよろこぶか・・・,考えようとすればいくらでも考えられます。「どのように育つのか?」という第六の問に対して,「経験を学ぶことで育つ」と答えておきます。



【設問24-11:あなたのお子さんは,小さな失敗を経験していますか?】


 ○失敗が成功の種?

 親は保護者ですからあれこれ気を遣って保護しますが,過保護になっています。過保護とは子どもができることまで親がしてやることと考えられています。確かにそうなのですが,肝心な点が今ひとつ分かりにくいので,親は自分の過保護に気づくことができません。肝心な点とは,「子どもができること」を親が正しく見極めているかということです。親は誰でもどちらかといえば心配性ですから,保護するためにいつも安全な所に子どもを置こうとします。それが過保護につながるのです。

 例えば,赤ちゃんが伝い歩きをはじめるときです。ふらふらしていますから,転ぶとテーブルの角に頭をぶつけるおそれがあります。保護者としては転ばないように赤ちゃんの身体を支えるでしょう。それが過保護です。保護するというのは,転んでも怪我がないようにテーブルの角に親の手を待機させておくことです。大切なことは転ばせることです。転ばないように歩くのが歩くという育ちだからです。転ぶことを取り上げたら,歩く練習にはなりません。

 小学生であれば,朝遅れないように親が起こしています。起こし忘れたら,親に文句を言うようになります。自分で起きるようにし向け,何度か遅刻をさせたらいいのです。もちろん,一時間目には間に合うように保護者として起こしてやらねばならないでしょう。小さな失敗をさせて,どうすれば失敗しなくなるか何度も練習するチャンスを与えないと,起きるしつけは成人するまでできません。子どもはできないことばかりです。できるようになるには,小さな失敗をさせなければなりません。

 子どもができないから親が保護してやっている,できることをしてやっているのではないと考えていたら,育ちの邪魔になります。親としては安心ですが,親も子どももここまでは大丈夫という限界が見えなくなります。親は子どもの能力の育ちが見えない,子どもは自分の実力が分からないので,自信が持てず育ちにブレーキを掛けて臆病になるか,抑えが効かず暴走するようになります。失敗しないように育てることは,育てることにならないのです。

 ・・・保護と過保護との違いは,小さな失敗の体験の有無です。

 失敗したところは,子どもが最高の能力を発揮している育ちの芽に相当します。これ以上できないところで失敗をします。つまり,失敗の一歩手前までは子どもの能力が育っているのです。スポーツの練習でももうちょっとでできそうなところを繰り返し練習するから,できるようになっていきます。失敗をさせないということは,この育ちの芽を握りつぶすことになります。育てるとは失敗を上手に引き出すことから始まると考え直すべきです。


 ○ママへのメッセージ!

 ※できたことをほめる!

 人の行動はやってみながら,ずれたかなと感じ取ったら修正してやり遂げられていきます。生きること,育つことも同じです。失敗することによってその原因が見えてきて,物事が分かり,次から失敗しなくなります。逆に言えば,失敗しなかったときが恐いのです。たまたまうまくいった場合があるからです。そのときは危険なポイントに気づいていないので,いつか必ず失敗の憂き目に会います。子どものうちならいいのですが,大人になって現れたら致命傷になりかねません。

 健全であるとは,失敗をしないことや間違えないことではなく,しくじりが小さな内にそれに気づき,立ち直る力を持つことです。悪いことをしてしまって,しまったと気づき,その原因を見つけて,二度と悪いことはしないという修復の出来ることが大事です。それが自制するプロセスです。悪いことをしなければ,悪いことに気づかないのです。兄弟げんかをしでかすから,仲良くするにはどうしたらいいのかを学べます。嫌な思いを体験するから,人に優しくすることの大切さに気付きます。

 ところで,子どもはほめて育てるようにと言われます。でも,我が子はほめようにもほめるところがないという声も聞こえます。何をほめるかが曖昧になっているからです。100点取れたらとか,クラスで一番になったらほめてやれるでしょうか。ほめる子育てとは,そういったものとは違いますよね。赤ちゃんが立っちできるようになったら,家中でほめましたね。歩き出した日は記念日になったことでしょう。「ママ」や「パパ」としゃべりはじめたときは,笑顔でほめてやりましたね。

 試験の点数は0点から100点の間ですね。どうしてなのか知っていますか? 採点者はマイナス点を使えないのです。どんな間違いをしても0点なのです。社会では間違いに対して罰点としてマイナスがあり得ます。しかし子育ての場では決してマイナス点をつけないのです。間違いはすべて水に流して,できたところだけにプラスの点数を与えます。言い換えれば,「できたね」とほめる点数しかないのです。子どもは勉強する前は0点です。勉強したからプラスの点がつくのです。


 ○失敗するのは嫌なものです。何とか失敗しないようにしようと努力します。それはどうすれば失敗するかを分かっていなければ不可能です。子どもの内にたくさんの失敗をすることで失敗を卒業していくこと,それが育ちです。ところで,ただ失敗をすればいいかというと,そうではありません。失敗から学ばなければなりません。失敗と学びがセットになっていると考えておくべきです。その学びのポイントが次の課題になります。

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