*** 子育ち12章 ***
 

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「第 24-13 章」


『子育ちは 関わる人の 和の中で』


 ■子育て一言メモ■
『人間には,不幸か,貧乏か,勇気が必要だ!』

 結婚式のときに,いろんな方からご祝辞を頂き,また謝辞もあります。その言葉の中に,「二人のこれからの生活は苦難の山あり谷ありでしょう。・・・」という一節があるはずです。そして結婚の現実には,こんなはずではなかったという想定外の苦難が大小織り交ぜて飛び込んできます。それを何とかしのぐ協力によって夫婦の絆が固く結ばれていきます。暮らしの中では右往左往することがしょっちゅうです。結婚生活は上下の山谷だけではなく,左右のブレがつきものです。

 自転車のハンドルがロックして動かなくなったら,おそらく転倒することでしょう。自転車が倒れずに前進できるためには,ハンドルが左右に動くことが必要です。つまり,自転車は常に左右にブレながらそれを修正することで立っているのです。たとえば,ペダルを漕がずに乗っていようとすると,ハンドルを左右に動かすはずです。生き方も同じです。右に傾いたら左に修正する,その逆の連続で,真っ当に日々を送っていけます。その手法を大きく使って時代を見ることをお勧めします。

 今の時代は民間活力を主体にしようとしています。いわゆる自由競争です。これまでのような保護重視ではなく,個人の生き方を大切にする自由を重視しようとしています。ということは,あらゆることが自己責任に拠ることになります。誰も世話をしてくれません。それは余計なお世話というわけです。自分を大事にしようとすることはそれだけの覚悟と能力が押し付けられているのです。なぜなら,自由競争には避けられないリスクが内蔵するからです。

 自分のことを大事にする,他人のことはとやかく言わないから構わないでという基本姿勢が主流のようです。核家族になって肉親からも離れ,ご近所からも支え合いを失い,友だちといっても遊び仲間でしかなく,頼れるのは自分1人,それが自分を大切にし過ぎる顛末です。社会生活とは個人の生き方を大切にばかりしていては成り立ちません。どうもその辺の勘違いが時代のズレのようです。ハンドルを切る癖を付けておかねば,子どもの未来が心配です。

 冒頭の言葉は,ツルゲーネフに拠ります。「でないと人間はすぐに思い上がる」と続きます。豊かな社会になると,何もすることがないと思われて,退屈という虫を慰めることしかしなくなります。例えば,ゲームで時間つぶしをする暮らしはまさに放蕩であり,生きるという能力を枯れさせていきます。子どもたちの育ちと社会状況のズレはますます開いていくばかりです。親は明日の時代を見越して子育てをする役割があります。



【設問24-13:あなたのお子さんは,自分を大切に暮らしていますか?】


 ○お互い様の道理?

 自分のことは自分で。その子育てが自分のことしかしない子どもを育ててはいないでしょうか? 自分を大切にという素敵な言葉に魅了されて,暮らしの感性が大きく振られているようです。修正をする時機が遅れると,それだけ戻るときの苦しみが増していきます。一般にどんな価値観でも過ぎるとかえって危険なものになります。思いこみもほどほどというのが,古来からの生きていく知恵でした。行き過ぎないうちに方向を逆に向ける時機に至っています。

 社会が個人を抑圧していた時代に対する反省から,自分を大切にという方向への転換がクローズアップされました。それは確かに意味があるものでしたが,いつまでもその方向に走っていると,今度は社会生活が壊れていきます。個人のことだけではなく,周りの人との暮らしのことも念頭に置くような逆戻りのスタンスを持ち込まなければ真っ当な暮らしという道を外れます。右に行き過ぎたから左に転じたのですが,今度は左に行き過ぎようとしているのです。

 自分を大切にということを,背景抜きに単純に子どもに信じ込ませては危険です。バランスのとれた判断による自分の大切さをしっかりとしつけて欲しいのです。ごく単純にいえば,家族の中の自分,友だち関係の中の自分,地域の1人としての自分,そのような関係を成立させることが自分を大切にするということです。若者を含めて今の子どもたちは,親は親,友だちは友だち,人は人という見方で,そこに自分を結びつけることができていません。だから,孤独になっています。

 ママは起こしてくれる人,自分は起こされる人。ママはご飯を作ってくれる人,自分は食べる人。そのように育てられていけば,自分は大切にされていると思うことでしょう。その上にもう一人の自分が自分を大切にしようとすると,糸の切れた凧のように際限なく舞い上がり,やがて落ちていくはずです。大切にされたら,周りの人を大切にしようとすることで,自分を大切に生かすことができます。この逆説は子どもには理解できないでしょうが,それがしつけの難しさになっています。

 ・・・上品と下品との違いは,人に対する思いやりの有無です。

 河川敷でゴルフをして危険をまき散らして平気な大人,深夜に花火を打上げて傍若無人に騒ぐ若者,公道を我が物顔に暴走する痴れ者,私利私欲にかまけて将来を棒に振るいい年齢の大人たち,自分を大切にしておられるのですが,それが皆から嫌われることになるという分別の持ち合わせがありません。結局の所,周りからは大切にしてもらえません。一事が万事と考えれば,少しの気配りができないために,あらゆる局面で社会的に良好な関係を結ぶことができないことでしょう。育ちの手抜きです。


 ○ママへのメッセージ!

 ※慎みという美しさ!

 思うがままに暮らしてどこが悪い? そう思う人は無人島で1人で暮らせばいいでしょう。社会生活をしようとするなら,それは傍迷惑でしかありません。例えば,ストーカーなどは自分の思いだけで動いています。それはわがままを通り過ぎています。わが子がそうならないように,しつけをしておいてやることです。しつけは今のことだけではなく,大人になって効くものもあります。自己主張・実現は慎みの伴ったものでなければなりません。

 子どもたちの言葉遣いが大人に対してもため口になっています。堅苦しくないフランクな会話としてお目こぼしされていますが,そのままでは大人のちゃんとした関係を結ぶことは拒否されます。相手に合わせるということは自分には面倒なことであり,自分を大切にすることに反するという感覚があるのかもしれません。言葉遣いがぞんざいであれば,人としての品格が疑われます。お上品である必要はありませんが,効いていて心地よい言葉遣いをしつけておきたいですね。

 おしゃれは何のためにするのですか? 誰のためですか? 見られておかしくないため,見られて素敵と思われたいため,それとも勝ちたいため,いずれにしても人の目を意識しているようです。自分1人のときはスッピン丸裸で平気ですから! 自分を大切にする装いは,人の評価に耐えることです。そのときでも,けばけばしいのは時と所が限定されて,普段には逆効果になります。ナチュラル? 自然は慎ましやかです。野に咲く花のように。

 自分探し。そのプロセスとして自分にふさわしい仕事探し。それは青い鳥探しと同じです。世間は自分のためにあるのではありません。人は世間に合わせて生きていくしかありません。関係の中に自分をはめ込むという,自己修正が伴います。例えば恋については,好きだから恋ができるのですが,好かれる自分だから恋が実ります。少し長い目で見れば,自分は付き合ってきた人のせいで変わってきたと気がつくはずです。今の自分に捕らわれず,人と共により良く変わることを楽しみましょう。


 ○ 人は物事を自分の都合に良いように考えるものです。自分を大切に。それを自分勝手にしていいと解釈してしまいます。社会生活は自分を抑え込むことで成り立っています。その前提がある中で,なるべく自分を大切にするようにしようということです。前提を無視した解釈は危険です。言葉尻を取るということがありますが,それは背景となっている前提を無視することから起こります。社会を知らされていない隔離された子どもたちは,解釈を間違えてしまいます。生活体験を大切にして下さい。

 第24版は完結します。2000年9月末から配信をはじめたこの子育て羅針盤は,3か月ごとに版を改めて来ましたので丸6年を終えることになります。次号からは7年目に入ります。7年目の何とやらで,基本的な12の性能はそのままに,モデルチェンジをしようと考えています。かなり短めになると思います。どうぞお楽しみにお待ち下さい。

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