『子育ちは 心重なる 人がいて』
■子育て一言メモ■
『共感は社会化の滋養』
■言葉がコミュニケーションの道具になるのは,共感を生み出す縁になるからです。「ふるさと」。その言葉から喚起される共感が連帯感を生み出し,社会化を促します。母の言葉が国を作ります。
■同じ言葉の繰り返し,それが最も基本的な共感です。「美味しい?」,「美味しいよ!」。言葉が重なれば,気持ちも重なり,関係が結べます。
■子どもの喜ぶ顔が見たいと願うのが親心。いじめられているのに親が悲しむからと隠すのが子どもの心。それぞれが分かっているようで,分かっていません。お互いの気持ちを伝えてやれる第三者がいなければなりません。
■「あのね,ママ」と話してくれることは,ママには他愛のないことで「それがどうかしたの?」といった反応をしてしまいます。親と共感できないと,子どもは自分の感覚に自信を失います。「そう,すごいね」と共感してください。
■同じ釜の飯を食う。時間と場所を同じにする団欒の中で同じものを食すことは,基本的な共感となります。家族がそれぞれ勝手に違うものを食べていては,共感は生まれません。
■協働して何事かを成し遂げた喜びを共感できる者は,頼れる社会人に育ちます。もう一人の自分が自分を他者と協働させる意欲は喜びから芽吹きます。
【指針25-06:皆との共感が実現できたとき育っていきます!】
○こんなことはありませんか?
★彼とドライブの最中,全開だった窓から風がびゅーびゅー入ってきて寒かったので,彼に「ちょっとだけ閉めてっ」と言ったら,「てれるやんけー」と言いながら,ちょっとだけ抱きしめてくれた。
親愛の関係は抱き合うことで確かめ合うことができます。誕生前後の母子一体感が原体験になっています。心の通う関係を出発点にすることが,社会化に向かうパスポートになります。愛する人がいることによって,人を信頼することができるようになります。
★うちのおやじ(70才)はキャッシングのことをシャッキングと言う。そのほうが雰囲気は出ているなあと思うが。
英語であるキャッシングは外国語なので,どちらかといえば頭による理解です。一方,シャッキングは借金ing,つまり借金という馴染みのある日本語と重なることから,感性がしっかりとかみ合って共感できます。雰囲気が出ているという感じは,まさに感性なのです。
★学校の勉強がさっぱりわからない次男が,先生に「ノートだけは,ちゃんととっておけ!」と言われたといって,大事そうに引き出しにノートをしまっていた。
ノートに書き取る=ノートに取る,ノートを取って置く=しまい置く。先生と生徒が共感できていません。教室で「ノートを取る」ということがどういう意味かをきちんと教えておく気配りが必要です。「そんなことは当たり前だろ」というのは,教える手順をないがしろにすることになります。
★私が猫を買ってるので,姪は「ネコのおばちゃん」と呼びます。姪が幼稚園でお友達の女の子と話をしてました。「あたしのネコのおばちゃんがね,ネコのおばちゃんっていってもネコじゃないんだよ」と言うとすかさず,「ん,知ってるよ,あたしのおばちゃんうさぎのおばちゃんだもん」。とてもさりげない会話でした。
自分の言葉が誤解を招くかもしれないと,きちんと相手の立場になって考えることができています。それまでに「ネコのおばちゃんはネコではない」と言われた経験があるのでしょう。その経験をお友だちにも重ねることができるのは,もう一人の子どもが相手の立場に立てるからです。
★4歳の娘と2歳の息子を連れて町を歩いていた時のこと。通りがかったバスを見て,息子が叫びました。「ア!ばちゅだ!」。それを聞いたお姉ちゃん,すかさず「ばちゅじゃない。ば・しゅ!!」と鼻息荒く教えていました。
かわいいですね! 言葉を覚えていくとき,自分の発する音と他者から聞く音を比較して修正するプロセスが必要です。その途中経過を見ているようです。自分より幼い子の言葉を耳にすることで発音の違いに気づき,修正をしながら,自分の言葉を磨いていきます。この共鳴過程は一人っ子には経験しにくいことです。
★うちの小学校1年生の娘は,私が働いているので「出かけるときは,ちゃんとどこに行くか書いていきなさい」と言ってあり,「○○ちゃんの家に行って来ます」などメモしていくのだが,ある日帰ってみたら「秘密基地に行ってきます」と書いてあった。一体どこじゃ!?
行き先を書いておくのは何のため! 伝えるという気持ちが無くて,ただ書いておけばいい。それはメッセージになりません。伝わらない言葉があります。秘密とは伝わらないことに意味があります。ゼロメッセージがあることを教えてくれる実例です。ママの言葉にも伝わらない言葉,共感できない言葉はありませんか?
●上記の★項のエピソードは「まぐまぐVOW」を参照しています。感謝!
共感することで社会性が育まれると書いてきました。それを気の合う間柄に限定しているのが現状であり,社会性の未成熟につながっています。共感は完全に重なるとは限らず,部分的であることも普通です。気の合わない間柄であっても,どこかで折り合いを付けていく,それが実際の社会性です。敵か味方かではなく,もっと鷹揚に構えていないと,社会を自ら狭く生きることになります。多様なコミュニケーションを支える言葉の豊かさが求められています。
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