*** 子育ち12章 ***
 

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「第 25-07 章」


『子育ちは できる能力 身につけて』


 ■子育て一言メモ■
『願いあればこそ能力開発』

■能力は自分ができる力です。自分ひとりでできた経験が無ければ,能力ではありません。子どもが大人の手伝いを嫌がるのはもっともなことです。

■もう一人の自分が想像することを,自分が実現できたとき,能力が備わったことになります。思い通りにできることが能力です。

■したことがないことはできません。遊びも勉強もとにかくやっておくことです。後で必ず役に立ちますが,それと分からないのが難点です。

■やってもできないこともあります。今の自分にはできないだけと思うことです。能力は高まるものだからです。継続は力です。

■好きこそものの上手なれ。好きなことをしていると能力は高まります。ただ,好きになるまでにはつまらないと思う坂道があります。

■簡単なことを真面目にしていないと,難しいことができるようにはなりません。能力のピラミッドを積み上げることが王道です。



【指針25-07:自分の能力を常に高めながら育っていきます!】


 ○こんなことはありませんか?

★部下に,とあるイベントの入場者数の予測をさせていた。「1日に500人程度で,14日間の開催だから,500を14回足せばいいんだよ」とからかったつもりの私。部下は,「わかりました!」と電卓を手に,「500足す,500足す,500足す…アレッ,何回足したっけ???」と。それを見てたそいつの同期に「おまえ,電卓の使い方を教えてやってくれ」と,私が呆れながら言うと,その同期は「バッカだなぁ。500を押して,そのあと"メモリー+"のキーを14回押せばいいんだよ」と…。(かけ算の無い会社)

 言われた通りにする。マニュアル通りにする。機械化しています。最も問題なことは,機械は目的を持てないということです。何のためにという目的を持った行動をするのが人です。目的を把握すれば,それにふさわしい能力を使おうとするはずです。機転が利いてこそ,能力は活かされます。

★うちのカミさんは電車を待っている時,「0番線に電車が参ります。危ないですから…」のアナウンスが流れる度に,<電車が来るに決まってるでショ。船や飛行機が来るんじゃないんだから…>と一人ブツブツつぶやいている。

 「肌寒くなりましたね」,「当たり前でしょ,11月なんだから」。コミュニケーションを含めて情報能力とは,その意味を的確に把握することです。「電車が来る」は,「今すぐ状況の変化が起こる」という案内です。だから,「危ない」と続きます。おカミさんは百も承知の上ですが・・・。

★私は大変な音痴です。悲しいことに神様は私に音感とかリズム感とかを与えてくださらなったようです。そんな私でも,7歳の息子からは○○ってどんな歌だっけ?と聞かれます。で,音痴な私は歌詞を覚えてないので「ラララ〜」とリズムだけ教えていました。が,先日,「ラララ〜」と教えていると,とうとう息子に「お父さん,お父さんて,ドとかレとかミとかって,知ってるっ?」と言われた。どう落ち込んでいいのかわからなかった…。

 大人だからあらゆる能力で子どもに勝っているとは限りません。誰にでも得手不得手がありますが,子どもに劣る不得手も抱えています。子どもの宿題が解けなくなったら,それは忘れたのではなくて,能力を失ったことになります。使われない能力は消滅します。もちろん,使ったことのない能力ははじめからありません。

★郵便局に振込みに行く間の留守番を息子に頼んだら,とても良い返事をした後,某CMの「よ〜く考えて〜♪お金は大事だよ〜♪」を歌いだした。君の為の某通信添削の月謝を支払いに行くのにそう歌われると…。

 能力を身につける方法として,習う・教わるという形式があります。その受け身の学習機会は多様になっていますが,現代社会では費用を無視できません。その経済的な事情が学力の格差を生みだしていると言われています。しかし,生きる能力は教わるものではなく自ら学び取るものであるということを忘れてはなりません。

★小学校に入学したばかりの長男が,母親と算数のお勉強。『問題:75円あります。3円つかうといくらのこりますか?』…問題の途中で息子が母親に質問。「ねえ,おかあさん,3円で何が買えるの?」

 計算練習だからといっても3円を使うという非現実?を持ち込むのは不適切です。生活実感と結びつくことで,学力は活かされるものです。ただし気をつけることは,3円では何も買えないということを強調しすぎると,3円=無価値という誤った感覚を定着させます。お金は大事なのですから,たとえ3円でも。

★妻は学習塾を経営している。数年前,ある小学校2年生の男の子が入塾した時,こんな問題をやってもらった。『□にはいるじをかきなさい。あいうえお か□□□□ さしすせそ』。彼の答えは,か「にがいた」。その時,彼の頭の中は赤い沢蟹がいたのだろうか。今でも伝説の名回答,彼は今高校生だ。

 この手の名解答は,国語の問題ではよくあることです。答がいくつかあるという場合も珍しくありません。学力というときに,「型にはまった」というイメージがつきまとうのは,型に入れないと答が決まらないからです。そこで何の型もない世間では限定的にしか通用しなくなります。蟹がいても一向に構わないのです。

 ●上記の★項のエピソードは「まぐまぐVOW」を参照しています。感謝!


 月に五日,学校帰りの子どもたちを通学路で迎えています。GP会という地域のボランティア組織による活動の一つです。道と宅地を区切るためにブロックを2段に重ねた仕切りがあります。子どもたちを見ていると,低学年の子どもたちはわざわざその上を歩いていきます。何のためにという理由なんか要りません。ただそうしたいからです。小高い狭いところを歩けるということが楽しいのです。機能快と言います。できるというのは,楽しいのです。

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