*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 26-01 章」


『子育ちは 自分を信じ 決めること』


 ■子育てショートメモ■
『子育てと子育ちは合わせて一つ』

 幼い子どもは親の世話としつけを受けて育ちます。
  子育てが主になる時期です。

 やがて物心がついてくる頃から,世話の手を控え,
  しつけを導きに変えていくようにしましょう。
   子育ちを促す時期に移行していきます。

 いつまでも子育てにこだわっていると,子育ちができません。
  花を咲かせるためには,花の育つ生命力を信頼して,
   急かすことなく先を楽しみに気長に待つのと同じです。

 ママは子育てに一所懸命です。
  そんなに力を入れないでいいのです。
   子育てだけで子どもは育つのではないからです。
    何が何でも育てようとするから無理をし,
     うまくいかないと責任を感じたりします。

 いろんな情報に接して,このようにしつけたらこのように育つという
  お勧めの事例を見習うのはいいのですが,
   すぐにその通りにはならないことの方が一般的だと思ってください。
    子どもの育ちのペースに合わせないと効果はありませんし,
     何よりも育ちは十人十色で個性的だからです。

 子どもをゆったりと素直に受け入れて,ちょっとしたことから
  一つ一つ子どもに任せてみようとしてませんか?
   ちゃんとできなくても,できるようになるまで待つこと
    それが子育ちを促すということだからです。



【指針26-01:自信が持てるような子どもに育てたいならば!】


 ○自信が持てるとは?

 しなさいと命じると,子どもは嫌な顔をします。親はそれを反抗と読み取ります。それを抑え込もうとより一層強く口調を荒げます。子どもは何を嫌がっているのでしょう。支配されることを嫌がっています。自我というもう一人の子どもが存在を否定されることになるから嫌なのです。服従は屈辱です。

 自分のことは自分で決める,それが子育ちの第一歩です。決める自分がいて,自尊心が成り立ちます。おやつに何が欲しい,そんなことから決める訓練が始まっていきます。親として受け入れられない要求もありますが,そんなときは受け入れることのできる選択肢を与えて,選ぶという決定に変えてやればいいでしょう。最後は自分で決めた,その形を作ってやります。

 自信は自分を信じるもう一人の自分がいるから持つことができます。親に言われてしているばかりだと,自信は湧いてくるはずがありません。たとえしていることがうまくいっても,それは言われたことをしたに過ぎないということになります。操り人形に自信は持てません。自分がやろうとしてできた,それが自信を持たせる基本なのです。

 「しなければ」と押し付けるのは,干渉です。焦る気持ちを抑えて「やってごらん」と指導します。「してみようかな」。そのように子どもが自分で決める機会を与えましょう。自分が決める,それがやる気の種になります。しなさいと命じているだけではさせられているので,やる気は決して育たないのです。子どものやる気を引き出すようにし向ければ,もう一人の子どもが目を覚まして育っていきます。

 自分で決めるためには,考えて判断しなければなりません。結果として,自分自身のことや関わることを見るようになります。いろんなことが分かってくれば,現実の自分もこんなものと分かるようになります。そのときに信じられる自分が現れてきます。自信の無さは,自分がはっきり見えないことから生まれます。逆に言えば,よくもわるくも自分を知ることが自信を生むことになるのです。



 自分で決めることが育ちの第一歩と書きましたが,それはわがままという道に逸れていく可能性も秘めています。第二歩目には分岐点が待ちかまえています。そこでどのような指導をすればいいのか考えておかなければなりません。次号では,自分を大切にする自己決定について述べる予定です。

 昨年の最後のカレンダーに「夢を叶える力は信じる力」と書いてありました。何を信じるのかが伏せてありましたが,自分を信じることです。自分を信じられなかったら,何も始まりません。自己決定が自己責任とペアになっていくことで,人は大きな力を発揮することができます。それは決して強い自分ではありません。弱みをたくさん持っていることを弁えることが大事です。自分には何ができるか,それを見極めることが自信なのです。


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第25-13章に戻ります
「子育ち12章」:第26-02章に進みます