*** 子育ち12章 ***
 

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「第 26-02 章」


『子育ちは 人の気持ちを 受け取って』


 ■子育てショートメモ■
『子育ちは社会人への育ち』

 社会の大きな時代的流れが,そこで暮らす人々の有り様を変えていきます。
  戦後の自由思想があまねく行き渡り,豊かな社会を実現してきました。
   一方で,独りよがりの自由への行き過ぎも懸念されています。

 私的な領域がひろがり,公的な世界という認識が薄れてきました。
   公的空間である車内の通路にしゃがみ込む,図書館の本を切り抜く,
    空き缶・吸い殻のポイ捨て,枚挙に暇がありません。

 社会の基本である公私のけじめがバランスを欠いてきたのです。
  皆のものは自分のものという手前勝手な錯誤に陥っています。
   公的な世界での生き方ができなくなると,社会は邪魔になります。

 自分にとって嫌なことがあると,人のせい,社会のせいにして逃げます。
  ものを壊しても,壊れたと言い逃れをして責任を免れようとします。
   自己責任という処し方をしないとき,人は守りに入り閉じ籠もります。

 引きこもりは,社会を生きにくい場と思い込んでしまうからです。
  プチ家出という徘徊は,社会へ家出することもしない引きこもりです。
   一方で,金さえあれば,そんな社会観はあくまで私的なものです。

 子どもたちが社会的な暮らしをしていないために,社会を知りません。
  社会は公的な世界であり,そこでは私的なことは二の次になります。
   約束を守る,人に嫌なことは言わない,邪魔にならないようにする,
    皆のものは大切にする,何より周りの人を大事にすることです。



【指針26-02:可愛がられるような子どもに育てたいならば!】


 ○可愛がられるとは?

 子どもは自由奔放に育とうとします。それは世界の何処で生まれてもそれなりに育つあらゆる可能性を秘めていることを意味します。例えば,赤ちゃんにはどのような言語に対しても聞き取れる聴力が備わっています。ところで,子どもは育つ家庭や時代を選べません。生まれ育つ環境に適合する潜在能力が選ばれて,他は捨てられていきます。日本語の発音を聞く能力だけが残されて,英語の発音を聞き分ける能力が捨てられていきます。可能性は選ばれるためにあります。

 子どもは,今ここで育つしかないという環境の中で精一杯育とうとしています。育ちの環境とは社会であり,社会の中で生きていく育ちが必要です。そのことを忘れないように,子どもは「社会の子ども」と呼ばれてきました。社会に適応できるように育たなければ,人として生きられません。社会には親・家族以外の人がたくさんいます。周りの人との温かい関係の中で,子どもは育ちの道を見つけます。自分が生きると共に,他者を生かす喜びに導かれなければなりません。

 今の子どもたちの弱点として,社会性の未熟が言われています。園や学校に通わせておけば社会性が育つという勘違いのせいです。同じ年齢の集団では妬みや張り合いなどが助長されやすいのです。社会性は自分と大きく違う人との関係の中にあるものです。自分と違っている人とどのように折り合いを付けてつきあっていくかが社会能力です。子どもにとっては,地域の多様な人間社会がなくてはならない大切な育ちの環境なのです。

 ニコニコと笑顔を見せる子どもは,誰からも可愛がられます。笑顔は心を開いていないと出てきません。あなたを受け入れますというメッセージです。笑顔に向かうとき,人は素直によい心を差し伸べていくものです。周りの人がよい人だと思えば,子どもはよい人の経験をぐんぐんと吸収して,よい育ちに向かっていきます。自分のために教えてくれていると信じることができるからです。

 子どもの笑顔はしつけられていくものです。笑顔を作ると周りの人が歓迎してくれる,受け入れてくれる,そんな温かな体験をもたらすしつけによって,笑顔が役に立つと思うようになり,笑顔を操ることを覚えていきます。自分を押しだしわがままを通そうとする子どもは周りから敬遠されますが,それは人を利用しようという下心があるからです。自己主張は後にして,先ずは相手を尊重する,その気持ちが人の心に通じる笑顔を生み出します。



 親子だから分かり合えると思っていたら,それは思い違いです。親子は世代の違いがあり,経験の差があまりに大きいので,子どもは親の思いを理解することはできません。一つ一つ解きほぐすように,丹念に気持ちを結び合わせていく手続を踏まなければなりません。繰り返し丁寧に言わなければ分からないのです。夫婦の間で分かり合える以上の手間暇を掛ける必要があります。子どもにとって頼れるのは親しかいないのです。そんなことを次号で考えてみます。

 いじめたり,きれたり,果てには凶暴化する子どもたちの姿が目立っています。その背景には子どもたちがなんとなく感じている不安があります。気持ちの余裕がないというのは,拠り所,すがるところがなくて,孤独な気持ちを抱えて不安定な状態にあるからです。そこで,ちょっとした不愉快なことであっさりと気持ちが壊れていきます。子育ては世話をし保護をするだけではありません。子育ては親子の気持ちのつながりがあってこそ可能になります。


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