*** 子育ち12章 ***
 

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「第 26-03 章」


『子育ちは 人の温もり 感じつつ』


 ■子育てショートメモ■
『子育ちは安心できる場で』

 威風堂々とした立ち居振る舞いをできる人が少なくなりました。
  一方で,人をこけ下ろすことを楽しむ風潮が世間に蔓延っています。
   匿名という卑怯な立場に閉じ籠もって迷惑三昧です。

 人の気持ちを逆なでする嫌みな振る舞いは,心の狭さから出てきます。
  管理された社会ではストレスが重なり,ゆったり構えてはいられません。
   気持ちを癒すことのできるしっかりとした拠り所が必要になります。

 拠り所とは,心を預けることのできる大切な人とのつながりです。
  連れ合いであり,親であり,家族であり,その温かな絆が何よりです。
   絆は紐ですから,日々丹念に編み続けなければなりません。

 つながりを持てないと孤独に苛まれ,悪ふざけや憂さ晴らしをし始めます。
  ちょっとしたことですが,受け止める方は傷を負うことになります。
   この間違った孤独の解消法がいじめという社会の害毒になります。

 わが子がいじめを受けないかというのが,親が抱く普通の心配です。
  でも,それ以上に,いじめをしないかという心配もすべきです。
   心穏やかな子どもであるように親の気配りが求められます。

 子どもが健やかに育つためには,育ちの場が豊かでなければなりません。
  豊かさとは,裕福であることではなく,情緒があふれていることです。
   子どもを慈しみ,子どもを安心させようとする親の見守りです。



【指針26-03:落ち着いていられる子どもに育てたいならば!】


 ○落ち着くとは?

 チョロチョロと動き回る子どもに引きずり回されて,「ちょっとは落ち着きなさい」と叱ってしまいます。子どもは動き回るものですから,抑え込んでしまうとかえって落ち着かなくなります。いっぱい動き回って身体の使い方を覚えていきます。十分動けば,心地よく疲れておとなしくなります。おとなしくなるのと落ち着くのとは違うということに注意してください。落ち着くというのは気持ちが安定していることで,身体の動きではありません。

 会合などに出席したとき,何処に座ればいいか考えます。間違えて座ってしまうと落ち着きません。皆の中で落ち着ける自分の居場所というものがあります。いじめの一つにシカトという無視する行為がありますが,それは皆の中での居場所を奪うことです。居場所とは具体的な場所だけではなく,集団の中での心理的な関係性でもあります。若者がメール依存症になるのも,つながりという居場所を求めようとしているからです。メル友しかつながりを持てない孤独を抱えているのです。

 誰もいない家に戻ると,寂しさが漂い,落ち着かなくなります。テレビをつけると,画面の前が仮想的に人と向き合っている居場所になるので,多少落ち着いてきます。子ども部屋に追い込まれた子どもは,一人ポツンと静かな寂しい境遇に不安を募らせます。大人は社会的つきあいの中でストレスを感じているので,一人になりたいと願います。でも,それは少し違っています。癒しの場は家庭であるはずです。家族団らんという関係が家族の居場所なのです。

 子どもは育ちの根っこを何処に伸ばしているのでしょう。親との関係を中心とした周りの人間関係です。人のそばにいることで,いろんなことを吸収していきます。育ちは学校の授業のように「今から育ちを始めます」というものではありません。「傍にいていいよ」,「傍にいなさい」,そういう関係をたくさん持つことが根を張ることに相当します。ここで育つことができる,その確信が安心感をもたらし,素直に育ちます。もしも親が先生のように「○○しなさい」と強いるような対応をし向けたら,その場は追い詰められる緊張の場になり落ち着く場ではなくなります。自分のペースを持てることが居場所の要件です。

 親の姿が見えなくなると,幼児は不安になって落ち着きを失います。直接的なつながりを求めているからです。ダッコとせがむのも触れ合いがつながりの確認になるからです。その段階の安心を満喫すれば,やがて育っていくにつれて抽象的なつながりを持てるようになります。ママの臭いがするものから,さらにママが作ってくれたものへと,間接的なつながりを信じられるようになります。ママの笑顔を思い出せるほどしっかりとつながっていれば,ママの姿が無くても子どもは安心していられます。落ち着いた子どもに育っていきます。



 どんな子どもに育って欲しいですかというアンケートでは,思いやりのある子どもが上位になります。社会で生きていくためには思いやりが最も大事であると信じられているからです。でもそのためにはどのような手助けをしてやればいいのか,迷っているのも事実です。そんなことを次号では考えてみます。

 子どもは自分で学んでいないことはできません。子どもに「こうしなさい」と教えられることは,授業で先生に教えてもらえばいいのです。子どもは家庭や地域で,大人たちと一緒に暮らす中で,見よう見まねで生き方のすべてを学びます。特に今の子どもたちに足りないことは,同学年以外の人たちとの温かなつきあい方です。いくら成績優秀でも,人との付き合いが未熟なら多様な関係が渦巻く社会からはじき出されていきます。


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