*** 子育ち12章 ***
 

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「第 26-12 章」


『子育ちは 自分の学び 自覚して』


 ■子育てショートメモ■
『考えるから人です』

 ファイナルアンサーと迫られても,知らなかったら運任せです。
  IQサプリについていくと,そんなのありとモヤットボールです。
   いろんな不思議を見せてくれる番組は知る楽しみを与えてくれます。

 もっとも,あるある大事典のようないい加減なねつ造知識はごめんです。
  健康に関する知識は興味を持たれていますが,食の総合判断が肝心です。
   肥満を避けたいのなら,片寄りと過飲食に気をつければいいのです。

 知ることは楽しいことですが,身近な暮らしについての無知があります。
  食材の生きている姿を見たことがなくては,味をとやかく言えません。
   人の気持ちを思いやる知恵がなくては,良き生き方はできません。

 知ることだけでは手に入れた知識も消化不良に留め置かれています。
  自分で考えて自分なりに整理するという過程を経て,知恵になります。
   その整理とは,知識を自分の暮らしの中で使うことで可能になります。

 勉強のできる子どもは,知識を蓄えて,クイズには強いでしょう。
  頭の良い子どもは,応用力があって,臨機応変に知恵を発揮できます。
   知恵とは,知識を状況に合わせて組み替えるときに産み出されます。

 わかった! それは断片的な知識がキチッと一つにつながったときです。
  ああでもないこうでもないと考えなければ,その快感は得られません。
   教わるものは材料であり,どう料理するかは自分の頭次第なのです。



【指針26-12:学びを楽しむような子どもに育てたいならば!】


 ○学びを楽しむとは?

 好きこそものの上手なれ。逆にいえば,イヤイヤすることは下手なままに据え置かれることになります。困っていることを何とかしようと立ち向かうときに,人は能力を伸ばし,新しい展開が訪れます。人の歴史の進展は,その繰り返しです。しようがないとあきらめると,いつまでも苦しめられることになります。病気の治療法が発達してきたのも,暮らしの不便さが減少してきたのも,先人の何とかしようとしてきた歩みのお陰です。

 個人のレベルでも同じことが成り立ちます。功成り名遂げるためにはハングリー精神が必要ですが,それも現状を打開しようという意欲がかき立てられることになるからです。お金持ちのボンボンがどこか頼りなげであるというステレオタイプがありますが,それは自分で何とかしようという思考が欠けているからです。好きなことをするためには目の前にある壁を乗り越えなければなりません。何とかしようという気持ちが持てるから,上手の道が拓かれます。

 関心という面から考えると,何不自由のない環境に置かれると,人は社会的な無関心に堕していきます。同時に,陰湿な欲望への関心をかき立てるしかなくなります。いじめやストーカー,果てはDVのように身近なものを獲物に見立てる狂気に取り憑かれていきます。何不自由のない環境については,豊かさという意味だけではなく,暮らしのあれこれから目を逸らし,なんとなく生きていけるという甘えた気持ちになる環境も含まれています。

 学びを楽しむという課題から,楽しくお勉強をするという課題をイメージしたとすれば,それは誤解です。勉強は問題集を単純に解いていけばいいことであり,楽しさとは無縁です。精々が人より高得点が取れたという程度の楽しさしかありません。それは育ちのテーマとは成り得ません。生きるための育ちにおける学びは,自分の育ちを楽しむことであり,爽やかな気持ちが伴うものです。できた,その自らの壁を越えたときの感動が大切です。

 教わるときに,何も持ち合わせることなく教わっても,意味が通じません。それはソフトを組み込まれているのと同じです。課題を背負い何が分からないかを自覚して教わると,そうかという新鮮な発見に遭遇します。学びのポイントを掴まえているからです。学びには予習をして受け入れ態勢ができあがっているという準備が必然なのです。学びは自分が何を獲得したかが自覚できるとき,楽しくなるものです。暮らしの中でできないことに出会い,なんとかしたいと思う下地が学びには必要です。



 ここ数年来,至る所で推し量る力が衰退していることを示す事例が多くなっているような気がします。政治家の「産む機械」発言,心ないいじめ,家庭内のわがままトラブル,飲酒運転,どれもこれも推し量ることをすれば避けられるはずのことです。配慮が足りないのです。人との関係を身近な世界と弁えていない,自分のことしか考えない閉じこもり感覚が蔓延しています。心豊かさが根を張れずに枯れています。自分の存在空間について再認識することが必要です。

 いじめをテーマにした映画作りをした中学校がテレビで紹介されていました。いじめ役の女子中学生が,「死ね」と書いた紙切れを机の引き出しに入れるシーンで,「しね」とひらがな書きにしました。「死ね」とは書けないというのです。人に向ける言葉ではないという感性がしっかり育っていると感心させられました。言葉は人に向けているようで,実は自分にも向けられているということを感じ取っています。貴重な経験ができたねと喜んであげたいですね。


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