『子育ちは 学びと教え 一致して』
■子育てショートメモ■
『子育ちの第12方位』
子育ちの第12方位は,どのような過程で育っていくのかという指標です。
育ちは基本的なプロセスをサイクルとして繰り返すことで進行します。
失敗・反省・学習・挑戦という4つのステップがワンプロセスです。
学びといえば教わることであると勘違いしているのではないでしょうか。
教えてもらうという受け身であるから,学習が面白くないのです。
学びとは能動的であり,向かっていくという姿勢を持つものです。
昔に比べて教科書がおそろしく薄っぺらになっているという声を聞きます。
内容の精選が行われ,たくさんの知識が後回しになっています。
授業が面白くないとついてこなくなった子どもたちへの迎合です。
自分が分からないのは,教え方が下手だからという責任転嫁があります。
予習をしてこなくて聞くだけで分かろうというのは無茶な期待です。
教科書を読めば理解できるはずなのに,読む力が弱くなっています。
学びは自分が分からないところを自覚することで意欲がわいてきます。
そのためには,自分でできるところまでやっておくことが必要です。
自分に何が不足しているかという壁は自分で見つけておくのです。
勉強に限らず,子どもはできるところまでやるというのが育ちです。
やって見ることもなく,最初からできないとあきらめてはいけません。
できるところまででいいからやってごらん,それが意欲の誘いです。
【指針27-12:育ちを促す学びへの意欲を大切に育ててください!】
○教わるから学ぶへ
育ちは階段を上るように進みます。大きなステップを一またぎということはできません。小さなステップをこつこつと上っていけば,確実に上り詰めることができます。そこに必要なことは,あきらめないこと,途中で放り出さない意欲です。そのステップでつまずくことがあるでしょう。そのときに学びという手助けが必要になります。行き止まりと思ったことでも,誰かの導きによる学びがあれば,回り込むことができます。
一を聞いて十を知るということがあります。ちょっとしたアドバイスによって,分からなかったことがスーッと分かってしまうことがあります。創造的な仕事にはたくさんの壁があります。違った分野の人と話すことで,ヒントが飛び込んできます。そのような学びによって,一つ一つがクリアされていきます。閉じこもっていては,堂々巡りになるだけです。学びは多様な人との出会いから生まれるものです。
子どもたちが同年齢の中で育っていると,学びのチャンスはかなり狭まってしまいます。例えば,妹弟は姉兄と違って育ちが比較的早いのが普通です。うまくいかないことがあるとき,姉や兄を見て学んでいるからです。異年齢の集団は学びの場なのです。もちろん,大人やお年寄りといった大きな違いのある人とのつきあいも学ぶべきことがたくさん含まれています。その基礎があって,学校での教育が生きてきます。
子どもは経験という階段を踏みしめながら,肝心なところで学びというパスワードを手に入れて育ちの階を上っていきます。もちろん必要なパスワードは個人的です。例えば,学校の授業の中で一通りのことが教えられますが,必要なことは子どもによって違います。たくさんの子どもを相手にしているので,あれもこれも与えられているだけです。自分にとって何が必要か,それを分かっていなければ,つまらない授業になります。
大人になって大事なことは,できる力です。口で言うばかりで何もできない,そんな人はどんなに立派なことが話せても,居場所が無くなります。社会のあれこれを批評している大人は,どれだけ自ら実践をしているかという実績で反対に評価されます。パパは口ばっかり,中学生の子どもからそんな声が聞こえてこないように気をつけたいものです。してみせる,それが大人が子どもにしてやれる教育です。
円満な人柄,それは苦労によって角が取れていくからです。苦労知らずは角が残って,周りの人が迷惑します。真ん丸になる必要はありませんが,それなりに角が取れていなければ,よい人間関係が結べません。そういった意味で,適度のバランスの取れた育ちをしておいた方が,後々のためになります。長生きする時代を生き抜くためには,子ども時代の育ちの基礎がしっかりできていることがなによりです。大人になって後悔しないために,子どもに伝えておきたいことは何でしょう?
子どもは環境によって育ち方が変わります。それを知っているから,よい環境を与えようと,大人は苦労します。よい環境とは? それが分からないから,学校の他にあれこれ習い事や塾といった教育機関に委ねることになります。よい環境とは,子どもが学ぶことのできる環境ですが,学びは人との関係の中にあります。ところが,今子どもたちの周りには一緒に体験をつんでくれる人がいません。それが気がかりです。
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