*** 子育ち12章 ***
 

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「第 28-03 章」


『子育ちは 同じ思いを 胸に抱き』


 ■子育ち基礎力概要■
『子育ちの第3基礎力』

 この号で取り上げる社会人12基礎力は「柔軟性」です。その内容は,「意見の違いや立場の違いを理解する力」で,「例えば,自分のルールややり方に固執するのではなく、相手の意見や立場を尊重し理解する」と表されています。自らの判断や決定を絶対視する頑迷さを恐れ,共通理解を図るために,違いを柔軟に受け止めようとする力です。共通理解しているという確信があることで,人は社会的な関係を結ぶことができます。

 子育て羅針盤では,子育ちの第3基礎力を「自分の居場所を確保することにより安心する力」と考えています。ここで言っている居場所とは,自分の部屋があるといった具体的な場所ではなく,自分が人とのつながりの中にいると自覚できる状態です。独りぼっちではないという他者とのつながりの実感です。この親の子どもであるという実感,家族の一員である実感,仲間の一員である実感,社会の一員であるという実感です。居場所があることで安心が得られます。

 男である,女であるという違い,親である,子どもであるという立場の違い,姉であり,妹であるという違い,いろんな立場があることを理解することで,自分の立場が見えてきます。その立場にふさわしい自分になることで,自分はこれでいいと自分を認めることができます。自分が見えていれば,心安らかに育ちが進みます。自分を見失うと心乱れて,無茶をしたり,自棄になったり,決して良い方に育ちは進みません。

 安心は心を開くことです。安心させてもらおうとしても,それはできません。安心は自分で作り出すものです。閉じこもっていては安心はありません。なぜなら,接触を断つというのは,心を閉ざすことであり,不安を募らすことになるからです。幽霊の正体見たり枯れ尾花,といわれるように,心を開いてしっかりと見極めれば,なんだということになります。不安の種は閉じこめたら膨らむばかり,外の世界に通じる風穴を開ければ,一気にしぼんで,安心に変わります。

 自分はいない方がいいと思われている,そう思わせるメッセージが突きつけられると,生きる力が消えていきます。あなたがいるばかりに,というちょっとした愚痴や陰口を聞いてしまうと,そこにいることが苦痛になります。子どもが育つためには,自分が望まれている存在だと信じられるつながりが大事です。親と意見が違って叱られても,嫌われてはいないという最低限のつながりを子どもは求めています。その経験を積むことで,子どもは人との折り合いを失わずに済みます。



【指針28-03:育ちには,居所を確保し安心する力が必要な要件です!】


 ■子育ち支援メモ■
『多様な同一感』

 意見の違いや立場の違い,その違いを越えることは難しいことです。双方が相手に意見の違いを変えさせようとすれば,話は平行線になり,ごり押しをすればこじれて争いになります。得るものはなく,失うばかりです。どうすればいいのでしょう。違いを理解するという陰には,二つのことがあります。一つは自分の方が柔軟な考え方をすることです。もうひとつは,違いは違いとして,同じ点を確認しあうということです。手段は違っても,目的は同じということが大部分です。

 人がつながる接点は,同一感です。同じ家に住む,同じ学校に通う,同じ町に暮らす,同じ会社に勤める,同じ趣味を持つ,同じ境遇にある,同じ経験をした,同じ目的に向かう,同じ男である,同じ女である,同じ人間である,いろんな共通点を縁として結びつきます。その同一感を基盤に持つことができてはじめて,お互いの違いを理解するという柔軟さが発揮できます。違いばかりに目を向けていては,手をつなぐ気にはなりません。同一感が,お互いの拠り所となる居場所なのです。

 若者の中には,帰属意識を嫌う者が少なくありません。帰属しないということは,人間関係のしがらみがなく,自由気ままかもしれません。若者が定職を選ばずに,アルバイトをしながら,親元に寄宿していると,気楽かもしれませんが,そこで持てる安心はもろいものだと思われます。社会という関係の仕組みから外れて居場所がないからです。社会の仕組み,それは日々の暮らしそのものです。子どもが衣食住という暮らしから外れた所にいると,社会で生きていく居場所を見失います。

 社会人基礎力で言われている「自分のルールややり方に固執するのではなく」とは,簡単に言えば頑固ではないということ,変化に対応できるということです。何が何でも自分を押し通すという我の強さは,最後の一手として残しておくもので,普段は控えておく方が風格になります。頑固であるというのは,概ね傍迷惑になります。社会的なつながりから遠ざけられますので,常に一人で突っ張っていなくてはならず,安心の境地から遠くなります。

 子どもに誰とでも仲良くしなさいと指導します。仲良くするためには,折り合うことが必要です。それが一方的になると,折り合った方は損したということになり,関係は長続きしません。気の強い方が置いていかれます。いずれも仲良くすることはできないことになります。そのような苦い経験を何度かするうちに,お互いに折り合えば仲良くなれると分かるようになります。子ども時代は試行錯誤の時代です。うまくいかなかった体験の方が学びが大きいと考えて,じっくり見守ってください。



 人はいろんなことを望みます。自分一人でできる以上のことを望むようになると,自分の弱さが見えてきます。誰かの手を借りなくてはなりません。チームを組むようになり,大きな望みがかなうようになります。それが社会のありようです。自分一人では生きられないという後ろ向きではなく,皆で生きていけばより幸せになれると思う方が結局のところ得になります。信頼という絆をたくさん持つことができたら,社会が広く温かくなります。

 何となく気の合わない人がいます。虫の好かない人もいます。顔を合わせたくない人もいます。関わりを避けたい人もいます。でも,そんな人はたくさんの知り合いの中の一部です。それなりのおつきあいで済ませておくのが,無難ということでしょう。ところが,ドラマの中では,積極的に排除したり,抹殺という非常手段に至る展開が茶飯事です。子どもたちは,排除していいと覚え込んでいきます。「死ね」という言葉をすんなりと口走るように育つのは,おそろしいことです。


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