*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 28-05 章」


『子育ちは 文字と数字を 手に入れて』


 ■子育ち基礎力概要■
『子育ちの第5基礎力』

 この号で取り上げる社会人12基礎力は「発信力」です。その内容は,「自分の意見をわかりやすく伝える力」で,「例えば,自分の意見をわかりやすく整理した上で,相手に理解してもらうように的確に伝える」と表されています。的確に伝えるためには自分の意見や考えを十分納得できる形に整理して,さらに適切な言葉を選び出すことが必要です。先ずは表現力が求められるということになります。言語が曖昧では整理も伝達もかないません。

 子育て羅針盤では,子育ちの第5基礎力を「言語を獲得し表現する力」と考えています。人は言葉を獲得して人になるということです。はじめに言葉ありきというわけです。物事を考える,感じる,人としての意識的な営みは言葉を介して行われています。もう一人の自分は言葉を覚えたときに,育っていくと考えます。自分に名前がついたとき,もう一人の自分は自分を意識化することができます。言語の獲得が人として「必要な要件」であり,育ちの糧になります。

 言葉は口移しに覚えていくものです。教えるものではなくて,学ぶものです。子どもの話し方は,親そっくりになります。子どもは側にいて,親の言葉の世界に浸っているので,当然です。子どもは母の言葉,母国語を身につけていきます。ところで,情報社会になって,言葉のしつけがテレビやネットの世界に委託されていますが,実生活と遊離している傾向があるので,生きる力につながる言葉がほとんど身についていないようです。いわゆる,ちゃんとした生きた言葉が抜けているのです。

 言葉は表現の手段であり,同時にコミュニケーションに用いられますが,さらに大切な機能を持っています。それはもう一人の自分が自分と交わすコミュニケーションです。前向きな言葉を自分に向けると,元気な行動ができます。後ろ向きな言葉を自分に向けると,落ち込んでいきます。自分の言葉で自分が左右されるのです。乱暴な言葉しか知らないと,乱暴になります。優しい言葉を使っていると,優しくなれます。言葉によって,人は変わり,他人から人柄を判断されます。

 ものも言い様で角が立ちます。それなのに,突き放すような無神経な言葉が子どもたちの辞書に組み込まれています。表現するという外向きの言葉のしつけが行き過ぎているので,言われたらどう感じるかという内向きの言葉の修練が不足しています。いじめの言葉にしても,相手がどう感じるか知らないという側面があるために,いじめとは思わず平気で口にしてしまうようです。言葉を自分のものにできていないのです。言葉をきちんとしつけないと,いじめっ子に育ちます。



【指針28-05:育ちには,言語を獲得し表現する力が必要な要件です!】


 ■子育ち支援メモ■
『言葉の適切な選択』

 気安く話しかける,なれなれしい語り方,家族の間には遠慮や気配りが無いのが普通でしょう。それは内輪のスタイルということで,限定されなければなりません。話をするにはTPOがあります。話し方の基本は,相手が誰であるかという話し手の意識のありようです。簡単に言えば,目下,同僚,目上という対人関係上の位置づけです。子どもには,友達言葉と大人への丁寧語の区別がきちんと付けられるようにしつけておいた方がいいでしょう。言葉遣いで印象が変わります。

 何か物事を語るとき,説明の作法を弁えているかいないかで,表現力は大きく左右されます。子どもが「犬」と言った場合,「犬がどうかしたの?」とか,「どんな犬なの?」と尋ねるはずです。「犬がいた」とか,「大きな犬が歩いていた」と文章による表現が最低限必要です。さらに犬を区別する必要があるときは,「○○さんちの犬」とか,「黒い犬」という情報も加わります。子どもが話しかけてきたとき,必要な問いをして,話し方を指導してください。

 言葉の数が少ないと困ることは誰でも思いつきます。どう困るのでしょうか? それは思考が雑になることです。面白いか,面白くないか,美味しいか,不味いか,好きか,嫌いか,きれいか,汚いか,といったディジタル思考にとらわれやすくなります。人付き合いでも,仲良しか,仲が悪いか,という両極端しか意識できないと,つきあいはつらいものになります。中間の曖昧な領域を持つことが余裕を生み出します。微妙な表現の言葉を持てば,世界がぐーんと広がります。

 言葉のつながりを豊かにすれば,意見や話は正確になり,広がりも出てきます。そのつながりが洗練されていないと,歯切れが悪く,分かりにくい話になります。子どもの作文では,「そして,・・・,そして・・・」とダラダラ続く文章が並びます。起承転結という形に縛られることはありませんが,何について話すか,どういう事例や経験に依るか,どう解釈できるか,どうすればいいのか,といったその場面に応じた論理の流れを身につけておくべきです。

 どうしても補足しておくべきことがあります。それは言葉は万能ではないということです。特に技という範疇のものは,言葉だけでは表現できません。数値という量的な表現が不可欠です。労働の多くが機械に移せるのは,数量化できるようになったからです。「たくさん」といっても,人によって違います。遠いといっても,使う乗り物によって違います。数量化するときには,基準が普遍性を持たなければ意味がありません。重いではなく,5kg。それが数量なのです。



 リンゴ3個とミカン2個を足すと何個でしょう? 5個! それは間違いです。5個はリンゴですか,ミカンですか? リンゴとミカンは足せません。では,5個とは何でしょう? リンゴとミカンは果物です。果物3個と2個を足して,5個の果物という計算だけが可能です。足し算は同じもの同士でしかできません。具体的なリンゴとミカンを統合する果物という概念がなければ,計算ができないのです。応用問題。男の子3人と女の子2人がいます。合わせて何人ですか?

 お子さんはよい子ですか,わるい子ですか? 自慢できるほどよい子ではなく,かといって恥じ入るほどのわるい子でもない,普通の子どもです。普通の子どもが時々良いことをして,時たま悪いことをするのです。リンカーンが「神様は普通の人が好きだ。その証拠に普通の人が最も多い」と言ったそうです。よい子かわるい子かと見ないでください。普通の子が時々良くなったり悪くなったりするだけです。良いときはほめ,悪いときは叱ればいいのです。いつも叱ってばかりでは?


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第28-04章に戻ります
「子育ち12章」:第28-06章に進みます