『子育ちは 親に向かって 力貸し』
■子育ち基礎力概要■
『子育ちの第8基礎力』
この号で取り上げる社会人12基礎力は「規律性」です。その内容は,「社会のルールや人との約束を守る力」で,「例えば,状況に応じて,社会のルールに則って自らの発言や行動を適切に律する」と表されています。ルールや約束を守らなければいけないというのは,子どもでも知っていることです。ところが,人が守らないと責めるのに,自分は疎かにしている大人がいます。ルールを自分流に勝手に改めてしまうという悪知恵を発揮したりします。
子育て羅針盤では,子育ちの第8基礎力を「価値を選択し尊重する力」と考えています。能力を自分勝手な目的に使うことは許されません。社会的に適正であり,有意義な形で発揮することが求められます。社会には,能力を使うに当たっての目的とすべき価値観が真善美といった形で共通理解されています。価値を生かすために自分がどう具体的に行動すればよいかという正しい選択が人として「十分な要件」となり,育ちの目標になります。
してはいけないことをしている人は,咎められたときに必ず言います。「自分だけではない。どうして自分だけが咎められるのか?」。他の人がしているから自分もしてよいと言いたいのでしょうが,自律する力が欠けています。してはいけないことをしないように自分を律するもう一人の自分が眠っています。もちろん,当人はいけないことを分かっているので,言い逃れなのですが,見つからなければいいという身勝手さが社会人として不適格になります。
人に迷惑を掛けなければ何をしてもよいというのが,自由という世間の常識でしょうか? 自由競争の風潮が人のやる気を生み出すことは確かですが,自由を支える責任を忘れてはなりません。社会人に必要な責任は,社会が求める価値観を共通に実現しようとする規律性です。迷惑を掛けないようにという歯止めはもちろんですが,人のためになるという価値が目指されていなければなりません。自分のことしか考えないという幼さは,社会にとって迷惑なのです。
人は社会参加することで生きていきます。ゴミに価値を見つけてご近所に悪臭をもたらす迷惑事例が報道されますが,共感されない価値に基づく生き方をしたいのであれば,それなりの身の処し方が求められます。周りの人に我慢を強いて平気であるというのは,価値の選択を間違えているのみならず,共同生活という社会の基本機能に対する恥知らずとなります。子どもの時から,自らを社会に合わせていくという最低限の規律を経験しておくべきです。
【指針28-08:育ちには,価値を選択し尊重する力が十分な要件です!】
■子育ち支援メモ■
『社会的価値』
世間が狭くなると,価値の細部化が進み,窮屈になります。かつての校則のようなもので,端から見ると,そこまで決めるかというこだわりが生じます。これまで子どもたちは同年齢の層に区分けされてきたために,同質性が進みすぎています。些細な違いを取り立てて,糾弾する傾向が現れてしまい,いじめが発生します。閉じた世界での価値選択は極端になるので,開かれた世界に作り替えてやる必要があります。それを大人がしてみせることから始めていきませんか?
豊かな社会とは必要以上のものを手に入れることができるということです。いったんその一線を乗り越えると,この辺で止めておこうという抑制が効きづらくなります。もっとという流れが起きるからです。ものを手に入れる,それはテイクする豊かさです。テイクを優先する社会は社会資源を吸い込むことになるので,ほどほどにしないと資源の枯渇や分配の不平等を招きます。お金が欲しい,それを第一価値とするテイク優先の選択は,社会の不安定や不穏につながります。
社会の基本的な規律は,ギブ・アンド・テイクです。生きる上での指針は義務と権利です。個人としては権利をテイクすることが基本ですが,社会で生きるという前提は義務をギブすることで成立しています。人の権利を守るために義務を果たすから,自らの権利を受け取ることができます。自分の能力を社会に向けて提供するから,社会から報酬が得られます。この順序を逆転してテイク・アンド・ギブとしている世間の現状が,子どもの育ちの目標を誤らせているのです。
学生が就職先を選ぶとき,自分に合った職業を探そうとします。就職しても,自分には合わなかったといって離職します。結婚の場合も,お互いに合わなかったからと離婚です。社会を自分に合わせようとしています。まるで自分が絶対者になったつもりでいます。天動説を選択しています。自分を合わせるという地動説の選択が賢い選択なのです。他人をどうにかできると思うのは幻想で,どうにかできるのは自分だけです。自分から合わせていかないと,社会と整合は取れません。
嘘はつかない,約束は守る,弱い者いじめはしない,無駄遣いはしないなどの,ごく普通の守るべき信条を身につけた上で,人にありがとうと言ってもらえるように能力を発揮すれば,心穏やかに生きていくことができます。自分がありがとうと言っている間は,社会に対して甘えている状態です。子どもに対しては,親がありがとうと言えるように,対応を工夫してください。お手伝いしなさいではなく,手伝ってと頼むのです。ありがとうと言うことができます。
参観日に何をしていますか? 廊下で立ち話は,自分が参観に来ているという現実から逃げていることです。我が子を今更見る必要もないという思い違いは,親としての大事な機会であることを見逃しています。我が子以外の友達や,上級生や下級生の様子を見るのが参観の隠れた目的です。子どもたちの現実の姿を見ることで,我が子の育ちが見えてきます。廊下で立ち話をする暇はないはずです。現実をきちんと直視する,そこから子育ても始まるのです。
子どもが分からない? それは分かる子どもを求めているからです。分からなくて当たり前と思っていた方がよい結果を生みます。一方で,分かっているという過信はかえって危険です。無意識のうちに,分かる子どもしか見ていないからです。分かるように子どもを支配している恐れもあります。分からない子どもを受け入れて見守る中で,幾分かは見えてきます。子どもを丸ごと受け止める,それが親としての包容力を育ててくれます。
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