*** 子育ち12章 ***
 

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「第 29-01 章」


『子育ちは 自己決定の 曲がり道』


 ■子育ち12支援■
『子育ちの第1支援』

 自分は自分である。そう思うことが自尊心です。他人に支配されていると思うときは,自分がないがしろにされていると感じるはずです。自分のことはもう一人の自分(自我)が決める,それが最低限の人としての自立条件です。子どもであれば親の支配下に置いているのが当然,その適用はもう一人の子どもが誕生する以前に限定されます。物心がついてもう一人の子どもが生まれたら,徐々に支配権を委譲していくのが養育の展開であり,親離れの道筋です。

 大人は子どもを指導しているつもりです。でも,子どもの方は干渉されていると感じます。指導と干渉の違いをきちんと意識しておきましょう。指導とは良い方法や道を指して導くことです。その点は間違っていません。ところで,その指導に従わないと叱っていませんか? 従わせるという強制が干渉になります。指導を受け入れるかどうか,それはもう一人の子どもが決めることとしておく,任せるようにしたとき,本当の指導になります。指導とはまどろっこしいものなのです。

 ボクがするの! ママはあっちに行って! 見るに見かねて指導的に手を貸そうとすると,拒まれます。やらせてみてください。できなくてもいいのです。もう一人の子どもが自分にやらせようとしてるのです。そう決めたということを認めてやることが大事です。もう一人の自分が決めたことだから,結果はもう一人の自分が引き受けるようになります。自分で決めてしたことは自分が責任を持つ,それができるようになれば子育ちの第一歩が始まります。

 子どもがママの気に入らないことをしていると,叱られたり,けなされたりします。意気消沈した子どもが止めると,なぜ止めると言われます。子どもはどうして良いか分からなくなり,ママの顔色をうかがうようになります。自分が好きなことよりも,ママが好きなことをしなければと,もう一人の自分が身を引きます。ママがもう一人の子どもにすり替わっていきます。ちょっとの間なら楽だと思いますが,いずれ苦痛になっていきます。

 教育とは可能性を引き出すことといわれています。親や教師が子どもの可能性を引き出そうと指導をします。それは度を超すと指導する者の思い上がりになります。子どもの可能性を引き出すことができるのはもう一人の子どもです。そこで,自分を出そうとすることが育ちになります。我慢しなさいと強制すれば簡単ですが,もう一人の子どもが我慢しようと決めるようにワンステップを置くようにしましょう。言われるからというのではなく,自分が決めたという形が大事です。



【指針29-01:指導するつもりで干渉していませんか?】


 ■子育ち支援メモ■
『自分のことは自分で』

 家庭では親子関係が主体です。子どもは親に逆らうことにはかなりの勇気が必要です。指導を命令と受け止めざるを得ない立場にあります。子どもが分別を持つほど成長してきたら,「母さんはこう思う」ではなく「私はこう思う」と言うようにしましょう。個人的な親子関係を解いて,もっと大きな大人としての立場からの指導に変えていくのです。押しつけられた指導というニュアンスが解消されて,子どもは素直に考えることができます。

 災いに類することはほとんどが外からやってくるようです。何とか対処できるものや,手に負えないものがあります。君子危うきに近寄らずと用心できればいいのですが,向き合わなければならないと悩むことになります。生きることが苦であるとお釈迦様も言われます。つい自分は不幸であると思ってしまいます。でも,幸せな気持ちは自分の心の中から沸いてくるものです。そのためにも,もう一人の自分が強く賢く育つように導いてやらなければなりません。

 もう一人の子どもにも悩みがあります。溌剌した様子が消えたら,話を聞いてやってください。悩んで構わないという受け入れのメッセージを送ることです。とかく大人は何とか解決してやろうと先を急ぎすぎます。話させると,言葉による整理が進み,矛盾に気付き,解決の糸口を発見していきます。解決とは,言われてすることではなく,もう一人の自分が決めることです。子どもの心の扉は外側には取っ手はありません。内側から,子ども自身がその扉を開くのを待つ以外にはないのです。

 ママに依存してきた習慣が残ると,もう一人の子どもが決断する局面に遭遇したとき,「何となく」とか「皆がするから」ということで,自分で決めようとしません。もう一人の自分が考えるのを面倒くさがります。これでは育ちは止まります。決めなければならない状況に追い込んでやらなければなりません。だからといって,「さあどうする?」とすべて放り出すのは無茶です。最初は日常の中で二者択一などの整理をして選択させるといった練習から入っていきましょう。

 子どもですから,何から何まで自己決定して実現できるわけではなく,限度があります。親の保護下にあるからです。例えば,高額なものが関わるときは,即却下されるはずです。「それでも,要るんだもん」と,ガリレオ風につぶやくかもしれません。それでも,大事なことは自分で決めたということです。そのことを分かってやるようにしましょう。そうしないと,何を決めてもどうせ無駄と投げてしまうようになるからです。



 人は名前を持っています。名前があるから,自分意識を持つことができます。自分の名前が分からなくなったら,さぞ不安になることでしょう。ところで,名前は多くの場合,普段は他人が使います。○○さんと私を呼び止めたりするのは,他人です。相手の名前を忘れているときは,あいさつも上の空になります。人間関係の第一歩は名前を知り合うことのようです。自己紹介,名刺交換という儀式からつきあいが始まります。名前を伏せたら,つきあいの輪はつながりようがなくなります。

 ニワトリ症候群という言葉を耳にしました。コ=孤食(一人で食事),ケッ=欠食,コ=個食(一人一人違う食事),コ=粉食(粉でできた食事)ということのようです。同じ釜の飯を食う,それが最もシンプルな人間関係の作り方です。人間関係がないということは,子どもの育ちがそれだけ安売りバーゲンされていることと同じになります。手間暇掛けてこそ,味わいのある食事ができるように,手間の掛かる子育てを心がけてください。外注は安易な子育てと覚悟しておくことです。


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