*** 子育ち12章 ***
 

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「第 29-05 章」


『子育ちは 言葉を食べて 人になり』


 ■子育ち12支援■
『子育ちの第5支援』

 自我が芽生えてきた,つまり,もう一人の子どもが育ってくると,育ちの糧が入り用です。別の言い方をすれば,子どもの心の糧です。それが言葉です。言葉が身につくことで,子どもの心が育ちます。ただの言葉と思っていては,もう一人の子どもの栄養の取り方を誤ります。健康のために食事に気を遣うように,豊かな心のためにも言葉を選んで与えなければなりません。日頃の会話を豊かにすることが,子育て環境への親としての配慮なのです。

 大人は子どもと対話をしているつもりです。でも,子どもの方はあれこれ指示されてうるさいなと感じています。言葉を投げかければ対話になるとは限りません。同じだけ聞かなければ対等ではないからです。対話とは,お互いに分かり合うためにすることです。親は言いたいことを子どもに言っています。親子の会話は指示・管理のための「40語」で済んでいると調べた人もいます。子どもは言われっぱなしで話をしているとは思っていないようです。「耳は二つ 口は一つ」なのです。

 我が子のことを「この子はこんな子」と思いこんではいませんか? ちょっとした不具合を見つけたとき,「またあなたでしょ!」と迫ります。頭ごなしの類型化は言われる方は嫌なものです。子どもが真面目に何かを始めると,「どうしたの今日は? 雨が降るわよ」と足を引っ張ることもあるでしょう。子どもをパターンで見ていては育ちを無視することになります。「やってるね!」と今の育ちを大切に受け入れませんか。昨日までとは違うはみ出しを認めてやるのが子育てです。

 情報化社会では,視聴覚を偏重する育ちを促します。遠巻きに見ている第三者感覚が伸びて,当事者感覚の欠落が起こります。「見た,聞いた」とは,間接経験であり,他人の経験を伝達するにとどまります。テレビで美味しい食事をしているのを見ても,美味しさは分かりません。また,生々しさを敬遠したり,本音を冗談化して一歩引くようになります。自分をその場におくことで分かることが本物の知恵です。指示という遠隔操作ではなく,一緒にやってみませんか?

 エドモンド・バークという人が,「人間という複雑怪奇な存在が行うことは,理屈だけで考えて行ったりすると,必ず失敗する」と言っています。どうして親は子どもにあれこれ指図をするのでしょう。こんな子に育ってほしいという願いがあるからでしょうか? 指図すれば出来るとは限りません。「ちゃんとしなさい」と言っても,ちゃんとはできません。子どもは理屈通りには育ちません。子どもを知ることから始まります。対話をすれば,目の前にいる子どもをよく理解することが出来ます。



【指針29-05:対話するつもりで指示していませんか?】


 ■子育ち支援メモ■
『心の糧を』

 夫婦が会話をするとき,「あなたは・・・」という会話ではなくて,「私は・・・」という形で会話をしようと勧められます。相手について述べるときは気をつけないと,踏み込みすぎます。差し出がましいことを言ってしまうことがあるのです。自分のことを話せば,相手は聞き入れやすくなります。もっとも,馬耳東風で聞く気のない人には通用しませんが。子どもに対しても同じです。大人が「私」の生きる楽しみを語ることで,子どもは育ちの指針を心に留めておくことが出来ます。

 無言の対話があります。娘が高校生になり,毎朝5時半に起きてお弁当を作ることになりました。通学途中にコンビニで買う子もいるとのことですが,私にとってはこのお弁当作りが楽しみ。朝の眠気もなんのその,栄養,彩り,味付けを考えるうちにあれもこれも入れたくなり,つい,いろいろ作ってしまいます。夕方,帰宅した娘のお弁当を開けるときのドキドキ,「全部食べてある。今日も私のお弁当は合格」なんて一人悦に入る私。娘よ,がんばれ。お母さんは勉強のことは教えてやれないけれど,毎日腕によりをかけてお弁当作って,応援するからね。

 生活の場では,親の側にいて同じことをし,同じ思いをするから共感できます。子どもを連れて公園に遊ばせに行くことがあるでしょう。そのとき,ママは何をしに行くのでしょうか。ついていくだけですか。ベンチに座って見張っているだけだと,監督のように指示が飛び出します。遊ばせるのではなく,腰をかがめて一緒に遊びましょう。子どもの目線になると,例えば,犬は目の高さの大きさに見えて恐いはずです。普段大人の目で子どもの世界を見ていることに気付いてください。

 指示をしなくてはならない場合もあります。子どもに注意をするときです。その指示の仕方ですが,否定的な言い方をしないように,肯定的な言い方をしましょう。例えば,「廊下を走っては行けません」と言うのではなく,「廊下では静かに歩こうね」と正しい振る舞いを教える指示をします。否定的な言い方に片寄ると,子どもはどうしていいか分からず,萎縮していきます。子育てはブレーキは最小限にして,アクセルの加減を教えることなのです。

 言葉は心の糧であるといいました。赤ちゃんに分かるはずもないのに優しく語りかけていた頃を思い出してください。言葉はものの考え方,感じ方などを栄養素として含む総合食です。幼いときの母乳語は具体的物事を表現する言葉であり,やがて離乳語になるとおとぎ話などをはじめとした抽象的物事を表す言葉になります。対話とは母国語という母の言葉を教える学びの機会なのです。語りかけを豊かにすることで,子どもの想像力,応用力を伸ばすことが出来ます。



 対話をするとき,子どもの心を開閉する言葉があります。閉ざすのは,「ばかだね,だめだよ,つまらないこと言って,それは未熟な考え・・・」と受け取りを拒否し否定する言葉です。一方,開くのは,「そうか,おもしろいね,もっと知りたい,どう思う,言ってごらん・・・」と受け止めて肯定する言葉です。子どもが何も話さなくなったというときは,親の方の言葉遣いがそうし向けたのだと反省した方がいいのです。

 人の感覚には特徴があります。異種のものを感じるように働き,同種のものには慣れにより感覚が鈍くなります。例えば,豊かさの実感は,少しの貧しさがあって,感じられるものです。そこで,感覚の感度は,逆の状況に感性を一度反転して,高めてやらなければなりません。子どもとつきあうと,子どもの感性は大人にとってまさに逆転の感性を持っていることに直面します。TVが故障したとき,大人の方は「なぜ映るのか」という疑問の方が大きいのですが,子どもは「なぜ映らないの?」。


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