*** 子育ち12章 ***
 

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「第 29-06 章」


『子育ちは 感性触れる 表現で』


 ■子育ち12支援■
『子育ちの第6支援』

 人は動物です。動いてこそ生きていることになります。何かの行動をしながら生活をします。出来ることをしようとするとき,優先順位を考える必要があります。身近なことでは,朝起きるかどうかといった選択があります。今自分がしなくてはいけないことを読み取り行動に移せばいいのです。自分がいる立場や環境に応じて適切な行動を選ぶ能力を磨かなければなりません。周りの人や物事にどう対応するか,そのためには見聞きする情報を読み解く言語力が求められます。

 気候が涼しくなるとぶるっと震えます。その感覚を「寒い」という言葉で読み解き,衣服の調節をします。寒いという言葉を知らない幼児は,寒いという情報を受け取れないので,寒いという状況が理解できず,薄着のままで風邪を引きます。暖房の効いている部屋から風が吹いている外を見て,「お外は寒そうね」と言っても,寒いという言葉は身に付きません。外に出てぶるっと震えたとき,「寒い」という言葉を教えてやる,それが学びになります。

 虫(アリ,カマキリ)を戦わせてはしゃいでいる中学生,その姿は小学校低学年のものです。子どものそれぞれの時代に体験しておくことを体験しておかねば,幼稚さが抜けきれないまま成長してしまいます。土台が貧弱であっては,学習の基本プロセスである実感,納得,類推といった知識の定着作用が働きません。教育は子どもの中にある体験を言葉を使って整理し意味づけする営みです。学校での教科書や家庭での絵本という教材は,学ぶものではなく,整理のための道具に過ぎません。

 優しい大人たちは子どものことをよく知っていて察してくれます。そこまではいいのですが,先回りをするようになると,子育ちには不都合が生じます。学校で掃除の時,「箒」「雑巾」と言います。それで用が足ります。「取って下さい,貸して下さい」を言わなくてもいいというしつけになります。家庭で父親が「新聞」と言えば通じます。「新聞がどうかしましたか」と問い返せばいいのです。自分本意な単語言葉はコントロールされていないので,誰も受取ろうとはしないのが普通です。

 将来の利益になるからと思って,現在の幸福を犠牲にしてはいないでしょうか? それでは将来にしか幸せがないことになり,いつまで経っても幸せになれません。唐末の雲門文堰が言っているように「日々是好日」,今の幸せをわかち合うことにしてはどうでしょう。教育は常に将来を目指しているために,学習までもが将来の為にと先走りしています。学習は今現在の暮しを離れては成立たないのです。学ぶとは,今を喜ぶようにすることでできることです。



【指針29-06:学習よりも教育に片寄っていませんか?】


 ■子育ち支援メモ■
『感性の表現を』

 2歳のお孫さんの誕生日に鯛の尾頭つきの塩焼きが出ました。それを見てお孫さんが泣きだしました。「この魚,目がある」。普段は切り身のパック入り魚なので,生き物を食べるという実感がありません。食べることは殺すことという事実が見えにくくなっています。命を受け取ることを知っているから「いただきます」と感謝しています。お孫さんも成長した後は,「お魚の一番美味しい所は目の所!」とさりげなく言うようになるのでしょう。

 予備校の先生の求められる像というのがあるそうです。夏休みまでは面白いエンターティナー(タレント性)で眺める対象となり,秋から暮れには試験に役立つ授業をしてくれて(先生らしさ)自分に得な人になり,年度末までは悩みに助言をくれる人柄の良さ(大人らしさ)で自分と関わる人になるような先生です。子どもたちは共感を求めているのですが,それまでのステップがあります。子どもの側の準備にふさわしい共感を示してくれる先生が必要ということです。親はどうでしょう?

 読書,音楽や美術の鑑賞は作者との共感を通して価値観が伝達しあう営みです。作者と鑑賞者が対話をしながらじっくり付き合うことが必要ですが,今は作者を先に分かってから付き合おうとしています。画家と対象の間も同じです。ある絵の教室での出来事です。絵を習う女児に先生はチューリップの球根を与え育てさせました。植えて水遣りをし,春になってつぼみが出て,やがてきれいな花が「咲いた!」。その気持ちを込めて描きました。先生はニコニコと絵を鑑賞しました。

 ある会社の入社試験を受けた人の話です。会場に習字の用意がしてありました。同行した友は習字が得意,字の練習しておけばと後悔しました。覚悟をきめて「書こう」としたとき,紙がざらついていました。「裏返し?」,そこで紙をひっくり返して,とにかく書きました。発表で,友は不合格,自分は合格でした。実は,全員の紙が裏返しになっていたのです。字を見るのではなく,紙の裏返しに気がつくかどうかという手触りの試験だったのです。教育ではなく学習の試験です。

 英語の筆記体の練習中のことです。一人ぼんやりと練習帳を見ている生徒がいます。先生が「早く書きなさい」とのぞき込みました。生徒はお手本を眺めているようです。「先生,筆記体はとても面白いですね,うねった模様のようで不思議ですね」。「なるほどね,美術のレタリングにもよく使われるからね」。「そうでしょう,ね先生,面白いですね」とにっこり笑って練習を始めました。早く書きなさいと急き立てたことを先生は恥じました。



 触れあいとか,スキンシップといった心温まる言葉には,案外と落し穴があるので気をつけなければなりません。子どもの大好きな動物との触れ合いには,安全距離があります。フラミンゴは人との間に一定の距離を保ちます。象が鼻をぶらぶらさせているのは,警戒・威嚇を意味するそうです。相手の眼鏡と物差を十分に考慮するようにしましょう。共感とは相手をも認めることだからです。羊の毛刈を新聞の見出しで「すっきりヒツジさん」。羊にすれば迷惑なのかも?

 子どもが悩んでいるとき,親に言わない,SOSを出せないということがあります。心配をかけたくない,広がったらどうしよう,恥ずかしいなど,子どもなりの理由が心に鍵を掛けています。親は自分に見えないと「ない」と見なしてしまいます。一緒になりたい,力になりたい,あなたのいいようにするということを普段からしっかりと伝えておいてください。そうしないといざというときに,鍵がさび付いて開きません。


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