*** 子育ち12章 ***
 

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「第 29-08 章」


『子育ちは 程よいホンネ 楽しんで』


 ■子育ち12支援■
『子育ちの第8支援』

 清く正しく美しく,という言葉があります。きれい事だと思って,脇にどけていないでしょうか? そんなことができるわけがない,できたとしてもかえって苦労するだけになる,そういう本音の現実感が強いでしょう。確かに100%の清く正しく美しくは無理ですが,その目標を持たなければ,生きていく拠り所が無くなって,浮き世を漂うことになります。子どものうちに純真さという土台を築くために,清く正しく美しくといった建前をしっかりとしつけておく方がいいでしょう。

 真善美という建前が社会を構成している要素であり,その共通認識があるから信頼関係が結ばれます。一方で,やりきれないことではありますが,偽悪醜という負の領域も人の世には存在します。本音とつながる生の我欲は往々にして,偽悪醜に彩られることがあります。本来自分勝手である本音を抹殺することは危険ですが,野放図に解き放つことは,身を滅ぼすことになります。本音を真善美という枠組みの中で抑制されたものにしつけることで,子どもは道を踏み外さず育つことができます。

 いろんな地域の団体で不要品を集めてバザーが催されています。市価よりも低いプライスが付けられて,買う人はお得になっています。バザーとは市価より高く買うことで目的とする慈善事業に参加するものです。一人一人が身銭を切らなければ本当の慈善事業にはならないというのが建前です。でも,お得であるという本音が優先しているのはいただけません。親の姿が社会的な局面では建前を優先するように努めなければ,子どもの社会的資質を貧しくすることになります。

 人は皆平等であるという建前があります。ところが,「平等だから何も他人より大きな義務を負う必要はない」と開き直る本音があります。義務は果たすものなので,どちらかといえば免れたいのが本音です。建前を自分に都合がいいように変形したいのも分かりますが,義務を平等に果たさなければ,社会の一員にはなれません。「すればいいんでしょう」,そう言ってお手伝いをしぶしぶする子どもの姿はとても貧相ではありませんか?

 社会では信用が第一です。信用はいろんな意味で立場が明確であることです。言い方を変えれば,何かしっかりしたものに縛られていることです。住所不定では信用はありません。無形のものとして,「迷惑の最小化」+「役立ちの最大化」といった信条によるライフスタイルがあります。子どもが言わないとしないと信用されていないのは,役立ちたいという指向性をしつけられていないからです。自分に厳しいという建前が自分に甘いという本音に勝っていなければ,信用してもらえません。



【指針29-08:建前を軽んじ本音で迫っていませんか?】


 ■子育ち支援メモ■
『心にタテマエを』

 援助交際した中学生が警察官に,「気持ち良かったし,お金を貰えて嬉しかった。相手も喜んでいた。誰にも迷惑は掛けていないし,悪いこともしていない」とさらっと言ってのけたそうです。大人が,法律,健康,将来といった面から諭そうとしても,聞く耳を持たない相手にはおいそれとは通用しません。「悪いことは悪い!」,そう言える権威という建前が必要です。畏怖という確固とした重みを回復しなければ,しゃんとした生き方がずるずると溶けていきます。

 生活や教育は無駄があるから温かいといえます。コンビニエント(便利な)が当り前の世間は,無感動的です。遠慮深い子どもが虐められ無視され競争に負けていきます。遠慮とは無駄,無益でしょうか? 不躾な子どもの相手に疲れて,保母,先生が辞めていきます。作法や虚礼はしなくてもいい,更にはしない方がいいと思われていますが,しなくてもよい建前だから生き方を彩る「文化」になります。いじめが蔓延して歯止めが効かない背景には,程を弁えない不作法さがあります。

 車は急に止れないので,黄色信号と赤信号の2段構えです。普通の人は,法律の全てを知っているわけではありませんが,こと無く過ごしています。生活の黄色信号は「人に迷惑を掛けない」であり,その遵守によって遠慮や度を越さない抑制が効きます。結果として赤信号である法律の手前で停止することができます。少しぐらい迷惑を掛けてもという黄色信号無視が,気がつけば法を犯したという所まで暴走します。建前をないがしろにすると,その付けは自分に降りかかってきます。

 個人的欲望を社会的欲望にぶっつけながら修正し,社会的尺度を内面化する育ちが自制の育ちです。現在,愛憎,好き嫌いという情感化が主流になっています。食べたいものを食べれば栄養バランスが取れると思っているようなものです。右脳=情趣回路が活発になっていて,左脳=理性・理屈の回路が寝込んでいます。実は右脳と左脳は連結しているので,バランスが大事なのです。同じように建前と本音もどちらか一方という選択は不可能です。自制とはバランス感覚です。

 ホンネとタテマエを対立項とするところが間違いであるという指摘があります。モラルとローの区別をしていないためであり,ホンネはモラルと,タテマエはローと関わるものと考えなければいけないということです。相次いだ賞味期限のごまかしなど,ホンネがタテマエをなし崩しにしています。子どもたちが気軽に万引きをして,欲しかったからと言い訳をするような愚かさは,タテマエの壁を心にしつけられていない手抜きの育ちの結果です。真っ当に生きていく型,それがタテマエです。



 よそのお子さんは育ちが早いように見えます。それに比べてうちの子はいつまでも子どもでと思うものです。毎日見ているから見慣れてしまい,育ちが見えないだけです。大人の目で見ているから,子どもは子どもにしか見えません。それが普通です。育っているかどうかにあまりこだわらずに,子どもの育ちに必要な支えをして,育っていることを信じておけばいいのです。実のところ,よその子と同じ程度に育っているのですから。

 人が育ちの中で獲得できる能力は多様です。言い換えれば,人それぞれには得手不得手があるということです。不得手なことは助けてもらい,得手な部分では「任せてください」と引き受けることになります。何かに優れているというのは天分を授かっていることであり,決して特権ではありません。「私に任せなさい」と社会に向けて能力を発揮するという奉仕をするため,社会的な使命を果たすことが期待されているのです。「私に任せて」と能力を使える人が一人前です。


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