『子育ちは 今日の苦労が 明日実り』
■子育ち12支援■
『子育ちの第10支援』
親は子どもの期待像を持っています。名前を付けるとき,こんな子に育って欲しいという願いを託します。その後は,早く歩けるようになって欲しい,早く字が書けるようになって欲しい,いつも育ちを心待ちにしています。それは自然な親心でしょうが,気をつけておかなければなりません。それは先を急ぐあまり,今のままでは困る,今の状態ではいけないと思うようになるからです。育ちが思うように進まないと,今を否定するだけではなく,明日も悪いと子どもを責めてしまいます。
歯を磨かないと虫歯になるからね,好き嫌いを直さないと大きくなれないわよ,引っ込み思案では友達ができないんだから,○○でないと××だからと,怖がらせてしまうことがありませんか? 一つや二つならまだしも,あれもこれもそんな風に脅かされていたら,子どもはすくみ上がって意気消沈することでしょう。叱って育てることが必要なこともありますが,○○するといいことがあるという形で背中を押すことで育つことの方がたくさんあります。何より育ちがうれしくなります。
他人に迷惑をかけないように暮らそうとすると,かなり窮屈な思いをすることになります。心がけは確かに立派なのですが,一方で,受ける迷惑を許せなくなるのではないでしょうか? 自分は迷惑をかけないように努力しているのに,あなたは迷惑ばっかりかけてと責めたくなるでしょう。子どもは他人であれば迷惑となるような存在ですが,それを受け入れてやることで子どもは育ちます。ちゃんとできないからといって,叱らないでください。
ママゴト遊びです。誰がお母さんになる? 「ならない,お母さんは忙しくて疲れるもん」。それじゃ何になる? 「お姉さんよ,あのね,お化粧してお勤めに行くの」。ぼくちゃんは? 「いーつも,ポチよ」。お父さんにならないの? 「ならないの,お父さんは大変だもん,犬は寝ていて餌もらって散歩に行くだけだもん,絶対ラクチンよ」。お母さんもお父さんも,子どもにはなりたい対象ではないようです。親の苦労を見せて励ましているつもりが,逆効果になっているようです。
物質を正確に観測しようとすればするほど間違った情報が導き出されるという不確定性原理があります。この原理を現実社会に当てはめると,前提の曖昧さが避けられないことから,論理が正しくても結果を左右することがあるということになります。社会,政治,人間など誰も見通すことができない思考の限界が存在するのです。子どもの将来がこうなると決めたとしても,確かではありません。決めつけて焦ると,追い詰めることになります。ゆったりいきましょう。
【指針29-10:期待の実現のため強迫していませんか?】
■子育ち支援メモ■
『明日を楽しみに』
学校で「明るく元気な子」と大きく掲げられています。ネクラで弱い子はダメな子と言っているようなものです。姉妹がいました。陰気な姉,両親がそう断じて心配します。この先社会では生きられないという脅迫を感じていました。陽気な妹がいるからと思い詰めて,妹を刺しました。徹底的にかばうのが家族であり,ネクラでよい,弱くてよいという余裕が始まりであり,そのために先ず現状認知が出発です。頑張らせることより,頑張ったときに認めるように後出しをしませんか?
成績が悪かったとき,「勉強しなかったからよ」と過去のことを取り上げて,戒めとすることがあります。「がっかりするな」と言ってやることが励ましになります。ところで,もしも子どもが全く気にかけていないときには,親として気になります。「世の中は点数で測ることが多いから,もう少し要領よくした方がいいな」と導くことも必要になります。期待する向きに引っ張るのではなく,押し出すようにした方がいいでしょう。
きちんとした子ども,頭のよい子に育てようとするなら,日常の暮らしで後始末のできる子どもに育てることです。ドアは開けっ放し,水は流しっ放し,食べっ放し,やりっ放しという癖が付くと,中途半端な生き方をするようになります。ドアを閉める,靴を揃えるなど,自分には余計なことなのですが,そのけじめを付ける癖が育てば,物事の流れをつかむことができるので,滞りのない生き方ができるようになります。後始末は次のこと,明日のことを意識する基本的な機会なのです。
花が咲くには,暖かさが必要です。だからといって,常に温かくしていればいいかというとそうはいきません。その前に寒さを経験する必要があります。冬の寒さをくぐり抜けるから芽生えの準備ができて,春の暖かさで開花のスイッチが入るのです。生きるということには,リズムが必要です。音楽を心地よく感じるのは,生きるリズムを持ち合わせているからです。順境になるためには逆境が必要となります。明暗の人生模様,それが人が育ち生きるリズムです。冬があるから春が来ます。
親の期待は,優しい子,好かれる子,できる子などに育って欲しいという形をとります。子どもが成長するにつれて,あんな子こんな子と期待は追加されていきます。いつまでたっても期待には追いつけなくなります。期待される子どもにはならないことから,ダメな子と思うようになります。なれなかったらどうするのと焦るので,その不満が脅かしとして子どもに向けられます。生き方のテクニックばかり見ないで,子どもが生き生きとしている姿を見てやってください。
親の期待する子ども像が,子ども自身が目指す子ども像になればいいですね。普通は,誰かのためにこうなりたいと思うことができたら目標になります。貧しい家庭に育てば,母を楽にしてやりたいと努力するといったことです。誰かの役に立とうとするといった積極的な意味付を自覚できたら,例えば,母親の為に役に立とうと思えば,苦労することができます。子どもだけの期待像は持続できないものです。ママも子どもがいるから頑張れるのと同じです。
学習指導要領が改訂されようとしています。国としての子どもの期待像が変わっているわけではなく,期待に近づく育ちのプロセスに迷いがあるからです。どのように育ちを支えたらいいのか,子どもの変化に合わせようとして右往左往しているのです。現実の子どもは,期待像に近づこうとしていないという危惧もあるようです。家庭や地域の子育てが後退する中で,学校教育が子育てのすべてを補填することは不可能であると共通理解しない限り,迷い道から抜け出せません。
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