*** 子育ち12章 ***
 

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「第 29-12 章」


『子育ちは 学びの後の がんばりで』


 ■子育ち12支援■
『子育ちの第12支援』

 失敗は成功の元,という言葉があります。なぞれば,失敗は育ちの元ということができます。何もできなかった子どもがいつの間にかいろんな事ができるように育っていきます。できるまでにはたくさんしくじっています。しくじらなくなることが育ちなので,しくじりを叱らないでください。本番で成果を出す前には,懸命な練習を陰でこなしているのと同じです。運動ができるには身体を作りますが,思考ができるためには頭を作ることになります。練習や勉強はその作成プロセスです。

 年上の子や大人を見て,「あんな事ができたらいいな」と思うことが育ちへの意欲です。異年齢の集団に入っていれば,育ちが促されるのは当然です。同年齢の中にいると,この育ちたいという気持ちが眠ったままになります。大人はいつまでも育たないと見てしまいます。井の中の蛙という言葉がありますが,見たこともないことをしようとは思うはずがありません。遊びの中で年長者のすることを見てまねをしようとする,暮らしの中で親のまねをしようとする,それが育ちの意欲です。

 育ちのプロセスは,4サイクルです。しようとすれば,「失敗」をします。「しまった!」と思い,自分の弱さを自覚します。「どうして?」と「反省」をします。もう一人の自分が目覚めて自分の行動を振り返ります。「できる人はどうしているのかな?」と「学習」をします。学ぶというのは,マネル=マネブ=マナブというつながりにより,真似ること,型から入ることなのです。「こうしてみようかな!」と可能性に向けて「挑戦」をします。このプロセスが完結して育っていきます。

良い学校とは,育ちが促される学校です。(1)自信が持てる,自尊できる環境であること。力を認めている学校で,どこかを「よくやったね」と見つけてやることで子どもに自信を持たせます。いじめたり,やきもちをやくこともありません。 (2)安心感,信頼感のある関係をもつこと。そのためには,何を言ってもきちんと聞いてくれる,今できないと大変とは言わない,だめだと言わないことです。(3)具体的問題解決の方法を与えていること。やるべきことを的確に指示することです。

 育ちの最終段階が挑戦です。挑戦とは,自分に出来そうなことをすることであり,そのためには自分の今の力を最大限に発揮することが前提となります。例えば,算数の問題を見てすぐに答が分かるのは問題ではありません。見通しが立たないのが問題です。そこで挑戦とは,とにかく自分に出来ることを計算してみることです。そうすれば,答の方からやってくるものです。そのことを体験できたら,勉強も楽しいと思えるようになります。「少しならやれる!」,それが自信の元です。



【指針29-12:激励するつもりで叱咤していませんか?】


 ■子育ち支援メモ■
『育ちを促す形は』

 ある家でお母さんたちが集会をしています。その家の幼児が部屋の前に立ちました。やがて,乱雑なスリッパを揃えました。そうしなければという気持ちなどありません。いつもそうなっているからというだけなのです。意識してはいないのですが,いつものパターンと違う,揃っていないと違うと感じて,できることをしているだけです。環境による自然なしつけです。片付けなさいと叱る言葉よりも,片付いていないとおかしいと思う感性を育む環境整備が先です。

 「きちんとしなさい」と叱ります。言葉で教えようとしているつもりですが,実は何も教えていません。してみせるという具体的な型がなければ,伝わりません。教科書になる「良いもの」を見せることが大事です。例えば,玄関の履き物を揃える=「きちんと」という場合,置き場所をチョークで具体的に指定してやります。おもちゃを片付けるためには,おもちゃの絵を描いた入れ物を用意しておきます。遊び感覚を刺激するといったことを取り入れてみてください。

 日本人には創造性が足りないと言われることがあります。創造性とは,無を有に変える魔法ではなく,なるべくしてなるものを見つけることです。物事の道筋,道理を解き明かすことです。子どもの育ちも,見ようによっては,持ち合わせている能力を発揮できるようにする創造です。子育ては創造行為になります。育ちの道理を見つけるためには,試行錯誤という実践が不可欠です。やってみれば無限に見えた選択肢は自然に減少していき,道筋が見えてきます。育ちは自己の創造なのです。

 人を教導する場合によく引き合いに出される言葉があります。(1)「して見せて」:画像,イメージを見せる。(2)「言って聞かせて」:言葉で表現し,呼びだし可能にする。(3)「させて見て」:自分の身体で再現・体験させる。(4)「ほめてやらねば」:出来たという確認をしてやる。(5)「人は動かじ」:身に付いたことになる。子育てをするときも,応用できると思います。不機嫌に叱ってさせるより,笑顔で気持ちよくさせてみる,子育ても楽しくしませんか?

 子どもたちの体験不足が心配されています。家の中に閉じこもっていることだけではなく,社会生活をしていないという点での体験不足です。いろんな人と関わり合うことで,少々の痛い目や嫌な目に合い,それを乗り越えていくことで,免疫という耐性が育つ機会がほとんど持てないのです。逃げてしまうので,次はどうすれば避けることができるかという学びにつながりません。子どもにはつらい体験かもしれませんが,そのつらさを親が優しく受け止めてやる,それが保護することです。



 問題児は困ります。でも,考え直した方がいいようです。問題行動は解決を求めている闘いの表象です。熱が病原菌との闘いを表すことと同じです。解いてやれば得ることも多いでしょう。問題提起は良くなる兆候(サイン)なのです。マイナスを零にするのではなく,プラスに変換する営みが教育であり,養育です。価値観を全く逆転させるのではなく,二つの価値観のバランスを回復しましょう。例えば,遊びは勉強の邪魔ではなく,創造性の入口です。勉強とは別次元の価値なのです。

 手間暇をかけなければならない作業に,人は苛立ち,面倒だと思うものです。実はこの一見意味のなさそうに見えるプロセスの中に,人間の心と関わるものがあります。プロセスを追いながら,心を込めているからです。手間暇のかかったものには,それに携わった人々の心がこもっているから,手作りは温かいのです。子どもを育てるのは並大抵の手間暇ではありません。だからこそ,それが親のありがたさとして,子どもの育ちを促していきます。子どもは自分が親になって分かります。


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