*** 子育ち12章 ***
 

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「第 30-08 章」


『子育ちは 人の優しさ 糧として』


 ■子育ち12イメージ■
『子育ち第8指標』

 自分にできることを積み上げていこうと前向きに取り組むことが,子育ちの第7指標でした。しかし,できることかどうかはしてみなければ分からないという矛盾があります。できるかどうか分からないけど,やってみようという気力が無ければ,育ちは進みません。ともすれば無理をするのは止めておこうとする気持ちを抑え込むために,人は座右の銘とか,スローガンとか,目標など,選んだ言葉に導かれて能力を最大限に使おうとします。もう一人の自分が自分を励まさなければなりません。

 社会の中で生きるとき,悪い道に踏み込むのは,最初の分岐点を大した検討もなく自分の欲に紛れて選択してしまうからです。嘘つきは泥棒の始まりといわれるように,これくらい大したことではないと甘く見て一線を踏み越えてしまい,気がついたら抜け出せなくなっているという顛末があります。子どもは成長するにつれて様々な能力を獲得していきますが,それは自分の思う通りにしたいという欲に導かれています。何時までもやりたいように放置しているわけにはいきません。しつけという転換作業を施して,適正な能力発揮の軌道に乗せてやることが必要です。

 人は道を歩くとき,この道が正しい道と信じられるとき,最大限の力を発揮します。大丈夫かなと不安があると,力を出し渋ります。もう一人の子どもが育ってくると,自分のしていることは正しいことかどうかを確認するようになります。「お母さん,テレビを見ていい?」と尋ねます。教室では「先生,取りに行っていいですか?」と確かめます。遊んでいるとき,していいのかなと考えます。何をしてはいけないのか,していいのか,その判断の基準をいくつか与えておかないと,考える癖が身につきません。叱られそうという歯止めが効いて,危険を回避することができるようになればいいでしょう。

 人としてやらねばならないことがあります。例えば,約束を守るということがあります。約束を守らないと,誰からも信じてもらえなくなります。育ちの途上では,約束を破ってしまうこともありますが,それが不都合な事態をもたらすことを経験すれば,約束の大切さを知って,次からは守ろうとするでしょう。そのような人としてなすべきことをいくつかしっかりとしつけることで,もう一人の子どもは自分の行動基準をどのように作り上げていけばいいのかという例題を学ぶことができます。

 人はどのような信条を大切にしているかによって,人格が彩られます。赤ちゃんは人が喜んでくれるから笑顔を覚えていきます。自分の行動が周りに心地よい変化をもたらすことが快感であるからです。人と共にあるよろこびを大切にするという心情を定着させ,育んでやらなければなりません。親の愛は子どもが喜ぶことを自らの喜びにするという形で発露されます。その親の愛を核として,周りにいる人に愛を与えるためにこそ能力を使うように仕向けてください。愛とは奪うものと逆に教えると,不幸を招くことになりますので,ご用心を。



【指針30-08:優しい心情を尊重することができる子ども!】


 ■子育ち支援メモ■
『優しさに感動するという経験をさせましょう』

 良いことと悪いことという最も身近な価値観は,言葉によって教えられるものではなく,身をもって学ぶべき事柄です。遊びという自由な行動のぶつかり合う世界で,どう折り合いを付けていけばいいのか,良いことには快感が,悪いことには不快感が伴って,感性と共に覚え込まれていきます。もっと簡単に言えば,トラブルを招くことはいけないことと避けるようになります。皆が喜ぶことがよいことになります。人と交わって遊ぶという経験をしないと,良い悪いの判断力は身につきません。一人の時にはわがままをしても何のトラブルも無いからです。また,言葉の上で知っている良い悪いは言葉を操ることによってどうにでもすり替えが可能になります。

 アリガトウと言うときと,アリガトウと言われるとき,どちらがうれしいでしょう? 人の厚意を受けてうれしいからアリガトウと言います。ちょっとした厚意を示してアリガトウと言われうれしくなります。子どもの時は前者のアリガトウを言う機会が多いでしょう。この時のうれしさは誰かからもらうまで待っているうれしさです。ちょうだいといううれしさです。一方で,後者のうれしさは自分からいつでも招き寄せることができます。ちょっと人にいいことをしてあげればいいのですから。子どもにアリガトウと言わせるのではなく,子どもにアリガトウと言ってやりましょう。

 人が泣いているのを見かけると,慰めの言葉を掛けてあげたくなります。人が困っているのを知ると,なんとか助けようと手を貸してあげたくなります。乗り物で座っているとき,立っているお年寄りに席を譲ってあげたくなります。そんなことは他人のこと,自分には関係ないと見て見ぬ振りをする心の貧しさは,心を痩せさせていきます。自分さえよければという価値の選択は,心の垣根を固くしていくので,結局は誰からも相手にされなくなります。無視すれば無視されるのが世間です。真っ当な優しさを失わないようにすれば,幸せという花が咲くことを教えておきましょう。

 よい音楽を耳にすると,身震いするほどの感動を味わいます。よいお話を読むと,心が洗われるような感動がわいてきます。欲情が満たされる興奮ではなく,命に共感して感動するということが,人としての基本的な価値の選択肢です。原石から玉を磨き出すためには,荒い削り出しから繊細な磨きにいたる過程があります。人の心も痛みを伴いながら,美しい輝きが生まれます。生きていくあれこれにきちんと向き合っていなければ,心は磨かれません。楽な方に逃げていると,ごつごつした石っころのままで終わります。勉強だけしていればいいとか,逆に勉強なんかしなくてもとか,片寄った選択は禁物です。暮らしの中の美しさを苦労して見つけてください。

 よい子わるい子という言い方は,親にとって都合のよい子わるい子になりがちです。そうではなくて,良いこと悪いことが何かを具体的に知っていて,行動に移すことができる子がよい子です。何が悪いことかと知らずに悪いことをするのは,教えればいいので救えます。悪いことと知っていながらしてしまう子どもは,早いうちの手当が必要です。良いことをする喜びを教えてやらなければなりません。悪いことを叱るのは当たり前ですが,良いことをほめるというフォローが無ければ導きにはなりません。ほめられるといううれしさが,感動を受け止める心情を育みます。



 自分の能力の使い道を正しく見極めることが,子育ちの第8指標でした。学力を身につけても,それが試験のためという目標に限られていては,ほとんど価値はありません。学力は現実の社会を良い方向に発展させるために使われてこそ意味を持ち,個人にも実りを返してくれるものです。ところで,現実の世界には様々な問題があります。何が問題であるかとか不都合な面は何かということを見つけるのは簡単ですが,どうすれば解決できるのかという道筋を見つけるのは容易ではありません。学力,特に考える力とは,解くことのできる問題を設定する力なのです。(以下次号)

 新聞を読んでいたらこんな記事が掲載されていました。「ある大学で大学院生に学生課が毎朝電話を入れているという。自分で起きることができずに,講義に間に合わない学生が多いからだとか。ちゃんと出席してもらわないと結局は留年させるしかなくなって,保護者は困るし就職率を何とか上げたい大学側も困るというわけ」(西日本新聞,2月6日:気流)。自分で起きる能力も育まれていないのでは,行く末の幸せへの道はとてもかぼそいものと危惧されます。早寝早起きもできないとは。

 2008年02月21日,教育のまぐまぐ「Pickup!教育のヒント」のコーナーで,教育関連メルマガの中から編集部オススメの記事の3つの中の1つとして,子育て羅針盤が紹介を受けました。
 → http://education.mag2.com/osusume/2008/02/071.html


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