*** 子育ち12章 ***
 

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「第 30-09 章」


『子育ちは できることを 懸命に』


 ■子育ち12イメージ■
『子育ち第9指標』

 自分の能力の使い道を正しく見極めることが,子育ちの第8指標でした。学力を身につけても,それが試験のためという目標に限られていては,ほとんど価値はありません。学力は現実の社会を良い方向に発展させるために使われてこそ意味を持ち,個人にも実りを返してくれるものです。ところで,現実の世界には様々な問題があります。何が問題であるかとか不都合な面は何かということを見つけるのは簡単ですが,どうすれば解決できるのかという道筋を見つけるのは容易ではありません。学力,特に考える力とは,解くことのできる問題を設定する力なのです。

 子どもの遊びの世界は,ほとんど人工のモノで出来上がっています。買ってきて使うだけです。作るというプロセスが抜け落ちています。そんな環境では考える必要はありません。マニュアルを読んで扱い方を知ればいいのです。オモチャが動かなくなった,それは壊れたということになります。単に電池切れなのですが,オモチャが動く仕組みを考えたことがなければ,気がつきません。目の前にあるモノの仕組みや機能を分かろうとする関心が育っていません。ケーキが美味しいということだけで,どうすれば美味しいケーキが作れるかという関心はありません。しかし,そのような「なぜ?」という関心が,知力を産み出すのです。

 社会は動き変化し続けています。その変動に乗る形で子どもは育っていきます。今を生きながら今から求められる自分の育ちをしています。いろんなことが起こり苦労のある現実の世界を生きていないと,置いて行かれます。しなければならないことが降りかかってきたとき,自分の気持ちにそぐわないからと逃れることなく,きちんと直視し自らの力で受け止める忍耐が育ちを前に進めます。今は何をするときか,自分が置かれている状況をもう一人の自分が理解し,自分にできることをすればいいのです。今は食事の時,今は黙ってお話を聞くとき,今は楽しく遊ぶとき,そのような生活のリズムを身につけることから育ちのリズムは始まります。

 世界との比較で,日本の子どもたちは応用力が劣っているという現状が現れてきました。応用力という言い方が今ひとつピンと来ないので,工夫する力と言い換えてみましょう。遊んでいて何かが足りないとき,学校の授業で持ってくる何かを忘れたとき,急に雨が降ってきたとき,道に迷ったとき,立ち往生してしまうのではなく,何とかならないかと可能性を探すことが工夫するということです。手近なものから代用になるものを探して間に合わせようとすれば,今この場でできることを見つけることができます。現実を見る力とは目的を持って真剣に見つめることであり,その結果として応用力が培われます。

 初めての道を行くとき,目的地まではかなり遠く感じます。ところが,帰路はもう着いたという感じがします。知らない道筋は先の行程の距離が読めないので,遠いと感じてしまいます。先行きが読めないというのは,不安でもあります。初めてしたいことややるべきことをやっているとき,今どこにいるのか分からないので,ストレスを感じます。達成できるかどうかも曖昧なので、不安にもなります。そんなとき,とりあえずやれる所までやってみよう,そう考えると気が楽になります。できなかったら諦めればいい,そう思えばいいのです。最初から力まなければ,ストレスや不安などを忍耐することができます。



【指針30-09:現実を直視し忍耐することができる子ども!】


 ■子育ち支援メモ■
『なんとかできたという経験をさせましょう』

 何か問題に出会ったときに,答が見えないとあっさりと諦める子どもがいます。例えば,試験の問題を見て,直感的に解答が思いつかないとお手上げになって,あっさりと捨ててしまいます。特に文章問題などは,読もうともしない学生もいます。25÷3=?といった計算問題の段階で止まっています。答を導く手順を身につけていません。大学でも「ここが試験に出るから覚えておくように」という指導を求める学生が現れています。設定されている問題の状況を読み解く力がほとんど育っていないのです。ヒントを考えつくための練習が不足しています。それは自分で教科書を読んで理解するという経験をせずに,教わる姿勢に固まっているせいです。

 物事を読み解く力が弱いのは,言葉の力が貧弱であるということです。例えば,子どもに日記など何か文章を書かせてみると,どの程度の思考をしているか一目瞭然です。似たような言葉が繰り返し出てきて,長い割には一向に先に進んでいないということがあります。あるいは文章の積み上げがバラバラで、何を書いているのか分からないということもあります。そんな言語力では,現状を直視することはできませんし,自分を見失うことにもなります。現在位置を知らずに地図を読もうとすることに似ています。地図を見ることはできても,地図を使うことはできません。例えば,電話で自分のいる場所に人を誘導できる言語力が大事なのです。

 遊んでいて走ったり、曲がり角から飛び出したりすると危険です。自分と周りの状況を結びつける力は訓練しないと身につけることはできません。ヒヤッとした経験,それをきちんと記憶するだけではなく,どうしてそういうことになったのかを振り返ることが大切なことです。車が来たからと相手のせいにするのではなく,自分が急に飛び出したからと考える力です。自分にできることは何かをはっきりさせなければ,経験は生かされません。相手のことはどうにもできないのです。もし相手のことばかりに意識が向けば,自分の育ちは滞ることでしょう。世間と自分との関係のすべてにおいて,このことを間違えないように指導しましょう。

 KY。空気が読めないということを表す略語です。つい最近知ったのですが,既に賞味期限が切れているようです。ガラス戸のそばにある木にスズメの群れがとまって辺りを見回しながらさえずっています。何を言っているのかよく分かりません。言葉が通じないから当然ですが,スズメ同士何か連絡しあっているのだろうという察しはつきます。集まって会話をしているとき,聞こえてくる言葉を受け止めるためには,自分の思考回路を小休止させておくことが必要です。話すことばかりに集中していると,場の流れとは逸脱します。人の話を聞くときに「おとなしく」ということが言われますが,それは自分を抑えて待ち状態にするということです。

 物事は往々にしてすんなりとは進みません。気持ちは焦りますが,焦ってうまくいくことはありません。焦りを押さえ込む忍耐が働けば,状況を見ざるをえないようになります。先のことはとりあえず置いておいて,似た体験をしたことがないかを探り,できることを見極め,自分の力を信じてやってみます。見えない解答にたじろがないためには,やっていけば状況は変わってくるということを信じることです。山の麓にいたら山や谷が見えませんが、登って行くにつれて景色は開けてきて,見通しが効くようになってくるものです。その途中の忍耐は可能性を産み出す陣痛のようなものです。がんばれ、子どもたち!



 思い通りにできない自分の弱さに直面することに耐えて,今の自分にできることを見つけようとすることが,子育ちの第9指標でした。やれなかったのではなくやらなかった後には,言い訳を言うことしか残りません。やってダメで元々です。やってみることで明日への扉が開きます。ノブに手を掛けて開けてみようとしなければ,何も始まりません。ところで,明日を信じることができなければ,やってみようという気持ちにはなりません。明日を信じていなければ、生きていくこともできません。生きるという意欲は、明日を目指しているときにしかわき上がってくるものではないからです。(以下次号)

 週に一度の頻度で下校時間に子どもたちを迎える立ち番をしています。「こんにちは」と先に言う子ども,後から答える子ども,黙って通り過ぎる子ども,様々です。にこっと笑顔で挨拶する子どもを見ていると,親の優しい姿がうかがえます。溌剌としている子ども,うなだれている子ども,サッサと歩く子ども,ダラダラと歩いていく子ども,子どもの集団を見ていると,それぞれの個性がくっきりと浮かび上がります。学年ごとの特徴も見えて,育ちの過程がつながっていることが分かります。子育てをしている親にこそ子どもたちを見てほしいと思います。なぜなら,子どもたちの中にいる子ども,そこに明日の子どもの姿が見えるからです。


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