*** 子育ち12章 ***
 

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「第 30-11 章」


『子育ちは 反省の目 自らに』


 ■子育ち12イメージ■
『子育ち第11指標』

 明日の幸せを目指すから育ちが進むので,期待できる明日の幸せのイメージを持つことが、子育ちの第10指標でした。この原則的パターンが常にうまく働いているかというと,実際には様々な紆余曲折があります。例えば,登山の場合に頂上を目指していても途中では谷に降りる必要もあります。そのような子育ちの現場を乗り切る方法がなければなりません。どのように子どもが育っているのか,その支援はどうすればいいのか,大人はきちんと弁えておくべきです。その一つは,よく言われていることですが,「頑張ったね」という言葉で励ますことです。頑張ってもダメな場合もありますが,頑張った分だけ育ったと認めてやればいいのです。

 子どもは想定外のことをしでかします。危険なことやマナー・エチケットに反することであれば、きちっとしつけなければなりません。でも、そうではないときは少しやりたいようにやらせておきましょう。子ども自身は意識していませんが,こうしたらどうなるかなと試しているのだと思ってください。余計な手間をもたらすことになるかもしれませんが,それを引き受けてやれるのは親しかいないからです。子育ちはあっちでぶつかりこっちで転けてよたよたと進みます。そのブレを経験するから,ブレなくなる育ちができるのです。育ちはできる・できないの経験を経て進んでいくものと了解しておくことです。

 できないことに出会ったとき,何処までできたかを自覚すると自信がつきます。それなのに,親ができなかったという方の評価を下すと,自信を失うように導いていることになります。できなかったのに自信がつくというのはおかしいと思われるかもしれません。自信というのは,自分は何処までできるかということをきちんと理解していることです。できるつもりであるのはうぬぼれです。何ができて何ができないか,自分を知ることが育ちを確実に前進させる要件です。失敗を反省することが大事ですが,何を反省すればいいかという点を曖昧にしていると,できなかった自分を責める方に向きます。できたことを見極めることが正しい反省です。

 子どもは怖さを知らないので,無茶に見えることも平気でやってしまいます。壊したり倒したり汚したり,擦り傷や切り傷を作ったり,迷惑を掛けたり,そのやりたい放題の所業から時には小悪魔に思われるようなこともあります。一方で分別がつくと,良くない結果の可能性が見えるので臆病になります。つまり分別とは,何も考えずに思いつくままにやってみることで,できた場合とできなかった場合を経験し,行動と結果の一連のつながりを知ることです。経験しなかったことはできないという原則を育ちに生かすためには,失敗を許容した上でやらせるということが必要になります。

 失敗させるために,何もかも子どものしたいように任せてしまうというのは無謀な放任です。物事には程があるという常識は押さえておかなければなりません。危険な結果や取り返しのつかない被害を招く恐れは見極めて手を打つのが,親の保護義務です。小さな失敗を許容し大きな失敗からは守る,それが保護です。どんな失敗もさせないように保護するというのは,過保護となります。失敗することが育ちである,それを実現させるためには,親が適切な手加減を心がけることです。その上で,失敗の一歩手前まではちゃんとできていることを認めてやりましょう。



【指針30-11:失敗を反省し分析することができる子ども!】


 ■子育ち支援メモ■
『自分の力を見極めるという経験をさせましょう』

 子どものうちはいろんなことを経験すること,それはすべてがやってみることですから,練習と言えるものになります。練習と思えば,失敗を気にしなくて済みます。ただし,気をつけておくことは,練習だからいい加減でいいと気を抜かないようにすることです。例えば,掃除をするとき,「すればいいんでしょ」とうわべだけしている振りをするといったなまけは,練習にはなりません。それは掃除だからいい加減にするということに止まらず,必要な仕事もいい加減にする癖を育てることにもなります。どんなことであっても,するからには真剣に取り組む,それだけが後に残る経験になります。いい加減な練習はいくらしても無駄です。

 できたりできなかったりします。そのとき,運の善し悪しや環境条件の善し悪しであるとか,人のせいにしたりしないことです。できたときにたまたま運が良かった,できなかったら運が悪かったと言っていると,経験から何も得られません。特に,できなかったのは人のせいであると思うと,人を憎むことになり,経験が生かされないばかりか,心根までねじれていきます。また,雨が降ったから,目覚ましが鳴らなかったから,といった言い訳も何の意味もありません。経験を意義あるものとするためには,良い結果も悪い結果も自分に結びつけて反省する謙虚な気持ちが肝要なのです。あなたはどうなの?と導いてやりましょう。

 できなかったり,それ以前にしようとしないで尻込みすることがあります。やっぱりダメだ,どうせ無理だからと,もう一人の自分が自分を信じようとしていません。無力感にとらわれていては何をやってもうまくいくはずがありません。できなかったという面ばかりを見て,ここまではできたという中間点を見過ごしています。例えば,試験で60点まではできたのに,100点ではなかったからダメだというのでは,学びという育ちはできません。60点はできた,その上で間違えた所からもう少しでできるかもしれない所を探し出して5点でも10点でも手に入れるようにすれば前に進みます。失敗を反省するとは,できることを見つけようとすることです。

 子どもがしたいと思っても,とうてい無理なこともあります。できなくて当たり前なことがたくさんあります。そこはままごとのような遊びの形で補えばいいのです。未熟であるということは簡単には越えられません。したくてもできないことは諦めなければなりません。諦めるとは,明らかにすることだと言われます。今の自分にできることかできないことかをはっきりと見極めることです。これ以上は無理であると見極めて,先延ばしにしておきます。焦らずに機が熟すのを待つ,そのような選択を反省から分析することも,自分を知ることになります。やがてできるようになる,そういう見通しを与えられるのは子どもを経験した大人なのです。

 朝起きられずに欠席して出席日数が不足し追試験を受けている学生がいます。親元を離れて誰も起こしてくれない,目覚ましでいったんは目覚めるが二度寝をしてしまうと言い訳をしています。自分に対する働きかけができていません。自分に厳しくと言うほど大層なことではなく,自分にできることをしようとしていません。親はいつまでもついているわけにはいきません。自分のことは自分でできるように育て上げておくことが養育です。自分をいい加減にしていると,その付けは自分に降りかかってきます。反省は他人から与えられるものではなく,自分でするものです。反省できないと,自分を育てることができなくなるのです。



 できない自分を見捨てるのではなく,できる自分を見つけ,できない所に向き合う反省が,子育ちの第11指標でした。大人にとっては失敗は成功の元ですが,子どもにとっては,失敗は育ちの元なのです。失敗をして反省をする,それが育ちの第1,第2のステップになります。反省だけで止まれば先には進みません。どうすればできるようになるのか,できないという壁を通り抜けていくために,次のステップが必要になります。それは,第3のステップである学習,第4のステップである挑戦に進むということです。子どもの育ちは失敗・反省・学習・挑戦という4つのステップを繰り返して進んでいくのです。(以下次号)

 スクールカウンセラーをしている教授の講演を聞く機会がありました。今時の子どもの負の特徴がいくつか指摘されました。人間関係についての実体験の不足が,子どもたちを生きづらくしているということでした。気まずいことがあるとそれを修復しようとせずに攻撃や無視という態度に走るとか,一方で幼児期の自己中心性から卒業できずに閉じこもり,そのくせ人の思惑を気にしすぎて"普通"であろうと無理をしているといったことが語られました。大人はどうすればいいのかという点では,悩むのが当たり前と認め,どうすればいいかを具体的に教え,良くやったとほめてやるという支えが勧められました。いずれ個々に取り上げることにします。


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