『子育ちは 見習う自分 できる自分』
■子育ち12イメージ■
『子育ち第12指標』
できない自分を見捨てるのではなく,できる自分を見つけ,できない所に向き合う反省が,子育ちの第11指標でした。大人にとっては失敗は成功の元ですが,子どもにとっては,失敗は育ちの元なのです。失敗をして反省をする,それが育ちの第1,第2のステップになります。反省だけで止まれば先には進みません。どうすればできるようになるのか,できないという壁を通り抜けていくために,次のステップが必要になります。それは,第3のステップである学習,第4のステップである挑戦に進むということです。子どもの育ちは失敗・反省・学習・挑戦という4つのステップを繰り返して進んでいくのです。
失敗を反省して自分の弱点が見えたら,どうすればできるかを考えなければなりません。しかし,できる仕方を考えるとしても,自分の経験の中に全く手がかりはありません。自分以外の所にヒントを探し,真似をするというのが普通です。「まねる」が「まねぶ」になり「まなぶ」に変わっていきました。学ぶというのは,できる人の真似をすることだったのです。育ちには周りの人の導きが不可欠になります。特に年長者は良き先生になるので,異年齢集団は育ちに相応しい環境なのです。また,学校では先生という年長者がいるように,家庭では親という年長者がしてみせるという役割を担うことが求められます。
子どもには学校という教育の場が予定されています。普通には学校は教わる所と考えられていますが,その意識が学校を楽しくないものにしています。教えるとは大人が言う言葉なので,子どもが教わると言えば,それは受け身になるからです。子どもは学ぶと言わなければなりません。子どもが学ぶ所,だから学校というのです。子どもの学ぶ意欲を満たしてくれる所なのです。同じ錯覚が義務教育という言葉にもあります。子どもは教育を受ける義務があると言われて押しつけられますが,実は子どもに教育を受けさせる義務が大人にあるのです。子どもにとっては教育を受ける権利があるのです。学ぶ権利なのです。
学びは,何だろう、何故だろう,どうしてだろうといった課題を持っていなければ始まりません。課題を持っていないから,教わるという受け身が苦になります。例えば,教科書を読んで予習をします。読むことで理解ができない所が出てきます。よく分からない所,それがその子どもの課題になり,授業でその分からない所を真剣に聴くことができ,「そうなんだ」と分かるよろこびを味わうことができます。それが学ぶ姿勢であり、そこから学ぶよろこびが生まれます。学ぶためには,自分が分かる所と分からない所をきちんと区分けする準備が不可欠です。疑問を持つ子ども,それが子ども本来の姿なのです。
問題解決能力とは,課題を見つけ,自己解決する力です。その育ちにはいろんなパターンがあります。例えば,遊びの中で手にした葉っぱの形の違いを観察します。観察とは比較することで見えて来る特徴を探すことです。葉っぱの丸や三角のイメージが実体験としてあると,図形についての授業が「あのことか」とつながります。形を区別する言葉,概念が手に入り,ものの形を観察する力が深くなります。葉っぱの形のあれこれ,それは子どもにとって意識していない課題として潜在しますが,授業で出てくる「形の類別」という局面で呼び戻され整理されます。課題を解決するという育ちの一環になります。その意味で,身近な生活体験の豊かさが大切なのです。
【指針30-12:課題を学習し挑戦することができる子ども!】
■子育ち支援メモ■
『見習ってやってみるという経験をさせましょう』
自分に課題があれば学ぼうとする,それはごく自然な流れです。それだけでは,学びの世界は狭いままです。常に学びの姿勢を保つことが望ましいのです。人の振り見て我が振り直せといわれます。周りの人が行う活動から学び取るようにするには,もう一人の自分が自分だったらどうするかと自分をその立場に置いてみることです。自分だったらこうするのに,と考えることです。その結果がよいかわるいかはすぐに分かります。自分では思いつかなかったやり方を周りの人がしているのなら,そこで学びができます。旧い時代の徒弟制度の中で親方の技を盗めといわれていることは,自分だったらという前提が必要なのです。
子どもが何かができずにもがいているとき,「こうすればいいのよ」と,して見せます。その真似をすれば学びと挑戦をすることができます。ところが,頑固に自分のやり方にこだわる子どももいるでしょう。「どうして教えた通りにしないの」と叱るかもしれません。子どもの側に学ぶ準備ができていないのです。教わるというのは真似をすることになるので,自尊心が損なわれるという面があります。真似をすることは恥ずかしいことではない,学ぶことなのだという納得が未熟なのです。あるいは,自分のやり方ではできないという思い切りに達していないのかもしれません。いずれにしてもしばらく見守っていれば,学びが始まるはずです。
子どもたちの学力の格差とか応用力の不足といった側面が現れているようです。学び方について,昔と顕著に変わってきた点は,子どもたち同士の学び合いがなくなったということです。例えば,授業で分からないことがあったとき,分かっている友達に尋ねて教わるという場面が少ないようです。分からないことがあったら先生に聞きなさいといわれて育つ子どもは,友達に聞くということは思いもしません。実は分かっている子どもも友達に教えることで,学力が身につきます。学び取ったことを自分の言葉で説明できなければ,それは身に付いていないのです。ただ知っているだけで,使い物になりません。子ども同士で学び合う,大事な教育活動なのですが。
学習というのはもう一人の自分がすることです。物事について分かっているとか知っているという段階です。例えば,マニュアルがあるということと同じです。知っているからできるかというと,そうはいかないのが現実です。辞書に載っている言葉をすべて知っているからといって,文章を書くことができるとはなりません。自分の力になるようにインストールする必要があります。そのプロセスが挑戦です。生身の人間ですから,一度の挑戦で終わるというわけにはいきません。何度も繰り返して馴染ませるための繰り返しが必要です。そのことを弁えていないと,一度してうまくいかないからと止めてしまいます。その繰り返しを練習と言う場面もあります。
育ちの程度に応じて,挑戦するポイントには個人差があります。それまでに準備できている力が一人一人違うからです。よその子どもが難なくできていることを我が子が難儀している,そのことを気にする必要はありません。逆の場合もあるのですが,親の目が我が子のできない所を捜しているので,それが見えていないだけです。挑戦しているポイントは,その子どもの育ちで今最も大事なポイントになります。そこを越えれば後はスッと進みます。もちろん,やがて新しいポイントが現れてきますが,挑戦していけばいいのです。その経験を重ねるたびに上達するという育ちをしていきます。
この30版では,「○○することができる子ども」という形式で,育って欲しい子どもについて12のイメージをまとめました。子どもの育ちと一言で言っても,その姿はいろんなイメージがあります。ここで示した12イメージは,一人の子どもを12の方向から見たイメージであり,その総合が実像になります。どのイメージが強く育っているか,それは育ちのプロセス上における個性になります。どのイメージも基本となるものなので,バランスよく育つことが望まれます。どれかイメージが弱いものがあったら,しっかりとサポートしてやってください。どのイメージもお互いにつながっているので,手抜きは厳禁です。次号はまとめです。
前にも書きましたが,週に一度のペースで小学生の帰宅を見守る活動をしています。低学年が帰る予定時間を過ぎても姿が見えないので,学校に確認に出掛けました。ネットに「小学生を殺してみる」と書き込みがあったので,急遽集団下校することになったということでした。その変更の準備のために時間がずれていたのです。後日,その書き込みをしたのが小学生と判明し、相談所に通告されました。他県の事件を真似たようです。真似てはいけないことですが,善悪の物差しの使い方を知らなかったようです。匿名のネット世界は年齢や真偽を隠します。振り回されることにも便利になった皮肉を感じます。ネットの影響の大きさは教えておくべき課題です。
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