*** 子育ち12章 ***
 

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「第 3-05 章」


『我がママは わがまま気まま するがまま』


 ■はじめに

 育つのは誰かと問いかけて,「もう一人の子ども」が育つと答えました。
 物心がついてくるときに,もう一人の子どもが産まれてきます。
 叱られたときにらみ返してくる目の向こうに,もう一人の子どもがいます。

 自制するということは,もう一人の自分が自分の激情を制することです。
 つい「我を忘れる」ことがありますが,もう一人の自分がサボっています。
 「我に返る」ことが自分を救いますが,もう一人の自分がガンバってます。

 子どもは育つのに一所懸命ですから,自分のことしか眼中にありません。
 それがママにはわがままと感じられて,無理矢理押さえ込もうとします。
 しつけという親に課された大義名分が,ママの背中を押してくるからです。

 「自分を大切に」というスローガンを鵜呑みにすれば,無軌道になります。
 いつでも人はバランスを保たなければ,転けて泥まみれになります。
 「自分さえ意識」と「自分たち意識」とのバランスがしつけの目標です。

 わがままであることはいけないと考えるあまり,消去しようとします。
 大切なことはわがままという野獣に首輪をつけることなのです。
 わがままを飼い慣らすことのできるもう一人の子どもを育てましょう。



【質問3-05:あなたは,お子さんのわがままが気になりませんか?】

 《「わがまま」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇可愛くない?

 ママは子どもが思い通りにならないと可愛くないと思います。反抗されるとかっとなって声のトーンが跳ね上がります。ママにすればわざと嫌がらせをされているような感じがするかもしれませんが,子どもにはそんなつもりはありません。子どもはどうしてママがそんなに怒るのか不思議です。

 少子化の中では,ほとんどの子どもが一人っ子状態です。周りの大人たちには一人の子どものわがままなど大したことではなく,かえって可愛く見えて,ついつい見過ごしていきます。そのツケがママに廻っていきます。

 一人の時には,誰でもわがままです。鬼の居ぬ間の洗濯は,わがままができる解放感です。わがままをしてはいけないのは,人と共同生活をするときです。ママは子どもと一緒に暮らす時間が多いので,どうしても子どもとママのわがままがたくさん衝突することになります。

 ママが仕事を終えてほっとしたいのに,子どもが「ママ,お腹がすいた」,「ママ,ジュースこぼした」,「ママ,オモチャ出して」と余計な用事を持ち込んできます。ママの都合などお構いなしです。夜になって帰宅したパパまでがあれこれと相乗りして来るようになると,ママはキレます。

 子どものわがままは少しなら可愛いのですが,親の許容量を超えるほどに肥大すると憎らしくなってきます。そうならないようにするためには,甘えを徐々に取り除いておく必要があります。だからといって子どもの要求を拒否することではありません。自分のことは自分でできるように,手助けをしてやるのです。オモチャは自分で出せるところに箱に入れておく,手の届くところに置いたおやつのそばに可愛い時計を置いて,「3時の印」で食べるように教えるなどの工夫です。生活様式を子どもにもできるように見直してみれば,わがままの一部は解消できるはずです。

・・・子どもがわがままを言わないで済むように工夫を。・・・


 〇素直とわがまま?

 小学一年生の息子を持つママがいます。友だちの母親が「よそのこはわがままだから,一緒に遊ばせたくない」と言っているのを耳にしました。なるほど,その子は聞き分けがよくて親の言うことに素直で従順です。遊んでいても「お母さんがイカンと言う」,「お母さんに怒られる」という言葉が素直に出てきます。

 キツネ憑きならぬ,母さん憑きのように,心が母親に牛耳られているようで,素直を突き抜けて頼りなげです。一見しっかりしているようで,足が地に着いていない不安定さを感じさせます。そのわけは,もう一人の子どもが眠らされているからです。

 きちんと手早くことを進めているママには,子どもの自己主張はわがままに見えます。いちいち子どもの言うことにつきあっている暇がないので,ママの言うとおりにさせる管理型しつけを採用します。会社で上司の指示にあれこれ意見を返しているとわがままな部下だと評価されるのと同じです。

 管理の行き届いた社会はすこぶる効率的ですが,温かくありません。わがままという自己主張を完全に剥奪されているからです。少しはわがままが言える環境でこそ,人は自分らしさを発揮できるものです。

・・・自分らしさは,他人にはわがままに見えます。・・・


 〇こわいわがまま?

 ある中学のクラスに見るからにツッパッている子がいました。授業参観の日も態度に現れていました。母親たちは「嫌ネ,あんな子がいるから!」とひそひそと話していました。そのときです。一人の母親がつかつかとその子の後ろに近づいて,「チャントセンネ」と背中をポンと叩きました。あっという間のことで,みんなびっくりしました。

 その中学生の母親は参観には来ていませんでした。背中を叩いたのは隣の家の母親でした。家庭の事情を知っており,その子のこともよく知っています。背中を叩くことで,「ツッパッて見せなくても,おばさんにはちゃんと分かっているからね」と伝えたのです。そのためかその中学生は素直な態度に戻ることができました。まず丸ごと受け止めて,それから諭すのが本当の母親です。たとえ,隣の子どもでも。

 あんな子がいるからと遠巻きに非難するような雰囲気の中では,ツッパッて見せた子どもは逃げ場を閉ざされて,ツッパリ続けるしかなくなります。事態は悪い方に動きます。心がおぼれている子どもの足を引っ張るようなものです。あっさりと受け止めてやれば,ツッパリ風船はスーッとしぼんでいけます。

 過激なわがままであるツッパリも,その見せかけの外見にレッテルを貼るのではなく,その患部である理由を分かってやることが親たちの務めです。悪さをするのは許されませんが,ただツッパッている程度なら,「無理もないと分かっている。でも,負けるな。いつも見守っているから」というメッセージを送ることが親としてのしつけです。

・・・見守らずに見張ってはいませんか?・・・


 〇わがままだらけですか?

 子どもの自己主張とわがままを区別してください。そうはいっても,どちらも自分の思いを押し出してくることですから見分けにくいでしょう。子どもの言っていることが他人に迷惑を掛けることになるならば,それがわがままです。ママの手を煩わせることについては,多少大目に見てください。

 友だち関係では相手に害を与えるかもしれない振る舞いはしっかりと釘を差しておきます。例えば,気に入らないことがあるとすぐに手を挙げるとか,噛みつくとか,蹴るとか,引っ掻くといった行動です。大人にとってはどうということのない弱いものかも知れませんが,同世代にとっては危険だからです。

 口によるわがままは,友だち関係の中で小さな衝突を経験しながら,加減を覚えていくことになるでしょう。泣いたり泣かせたりしながら,育ちはじめたもう一人の子どもが学びますので,その機会を十分に与えるようにしましょう。ママが適切なアドバイスをしてくれたら,分かりも早いでしょう。友だちにオモチャを貸さなかったときには,友だちの気持ちをママが代弁してもう一人の子どもに考えさせるといったことです。

 もしオモチャを貸してあげていたら黙って見過ごすのではなくて,「貸してあげたのね。えらいね」ときちんと認めてあげることを忘れないでください。大人は間違いを正すことには敏感ですが,正しいことは当たり前として見逃しやすいものです。子どもにはまだ何が正しいのか分かっていないので,それをしっかりと意識させる必要があります。わがままを治したいと思われるなら,このことはとても大事なことです。

・・・わがままでなかった時を見つけてください。・・・


 〇ノック?

 誰かが部屋の扉をノックします。「ハイ」と返事をして入り口の方に振り返ると,目の前に若者が立っています。どうということのない風景ですね。でも,一瞬ドキンとします。なぜなのでしょうか?

 ノックは「ごめんください」という挨拶の省略形です。お訪ねしましたという自分の主張です。「ハイ」という返事は訪ねてきたことを認知しましたという返事です。そこで少しの間があって,「どうぞ」という声でドアを開けて入るのが通常の礼儀です。この少しの間が大事です。訪ねていく方は訪問の態勢にありますが,訪ねられる方は不意打ちなので,迎え入れる態勢を整える時間が必要になります。それを与えることが相手への礼儀なのです。

 いまでは,ノックは「入ります」という自分の都合だけを押しつける合図になっています。相手のことなどお構いなしです。だから,ノックと同時に入っていきますし,迎える方がいきなりのお出迎えに遭遇しドキンとすることになります。人に無礼なと思わせるとき,たとえ当人にはそのつもりがないとしても,その行為はわがままな行為になります。

・・・相手への気配りがないことをわがままと言います。・・・


 〇アイデンティティ?

 エリクソンによる「アイデンティティ人間」の定義は,次の通りです。
  1.自分が何者であるかを明確に定義し,価値観を持つ人
  2.内的な道徳律と自己コントロールがあり,
    自我理想に従って行動する人
  3.複数の社会的役割としての自分を秩序づけており,
    自己と他者に対して行動に責任を持っている人

 もう一人の自分が,自分を知り,自分を導き,社会人として自分を生かしている,ということです。言い換えれば,もう一人の自分がちゃんと育つことです。子育てとは,もう一人の子どもを育てることだと言ってきた理由は,ここでも見つかりました。

 わがままとは,もう一人の自分が未熟なために,自分を導けず,自分を社会に生かそうとしていないことなのです。自分の裸の主張をもう一人の自分が社会的な形に装いし直すことができないことです。自分がこうしたら,相手はどう感じてどう対応してくるかということを考えることができるのは,自分と相手を同時に見ることのできるもう一人の自分です。

・・・自己同一性とは,もう一人の自分が自分を掌握することです。・・・



《わがままとは,他人をないがしろにする無自覚性です。》

 ○近隣関係における三大トラブルは,騒音,ペット,迷惑駐車です。自分の都合を優先することは権利かもしれませんが,それが近隣に漏れ出たときに,権利の衝突が起こります。そのことに無頓着な場合,わがままというベールが被せられ,近隣の堪忍袋がキレルとトラブルに発展します。孤島に住まいしているのでない限り,気をつけましょう。

 【質問3-05:あなたは,お子さんのわがままが気になりませんか?】

   ●答は?・・・どちらかと言えば,「ノー」ですよね!?

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