*** 子育ち12章 ***
 

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「第 3-07 章」


『夢に見る わが子はいつも 幼い日』


 ■はじめに

 いつまでも幼稚で手がかかるんだからと愚痴が出てきます。
 いつまで言わなければならないの,早く大きくなってと思います。
 しつけをする意欲は,幼稚なままでは困っちゃうということです。

 子どもが成長しめでたく反抗期になると,ママの言うことを聞きません。
 ママの気持ちが伝わらなくなって,急に子どもが離れてしまいます。
 ママーと甘えてくれた小さいころが良かったと思ったりします。

 いつまでも子どもと思っていたら,とんでもないことをしでかします。
 ある日パパは娘にどこの誰かも分からない男性をいきなり紹介されます。
 パパは適齢期の娘をいつまでも子どもだと思っていたいのに。

 親である喜びは,私がいなければという思いこみから生まれます。
 内心では,いつまでも手がかかることがうれしいと感じています。
 でも,そのことに気がつくのは子どもが離れてしまった後です。

 子どもは幼稚であることによって,大人を親に育ててくれています。
 親は幼稚である子を可愛いと愛おしむ気持ちに支えられています。
 幼い子どもの愛らしさは,親になったママへの手みやげなのかも?



【質問3-07:あなたは,お子さんの幼稚さが気になりませんか?】

 《「幼稚さ」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇夢から覚める?

 人は夢を見ます。夢の中では何でもできます。幼少期の子どもは夢がいっぱいです。子どもは無限の可能性を持っていると言われますが,もう一人の子どもが無限の設計図を持っていることです。何でも思った通りになると信じています。幼少期の万能感です。その幼稚さが可愛くもあります。

 夢は覚めます。覚めると現実があります。現実は何でも思い通りにはなりません。子どもの育ちも,夢から覚める過程と同じようなところがあります。幼稚な万能感が挫折や失敗に出会うことで少しずつ現実に引き戻されていきます。それが大人になることだと言われていますね。

 夢が破れるとがっかりしたり,落ち込んだりします。子どもの場合,もう一人の子どもが傷ついた弱い自分を認めたくありません。そこで周りの弱者へ暴力的な言動をすることで,心が壊れないように自衛しようとするケースもあります。

 人が失敗するとみんなで笑います。人の弱点を暴き出してからかいます。自分は違うんだという優越感を自己確認したいのです。しかし,それは相手には暴力に等しいものになります。弱みをからかわれ自分を嫌いになり不登校になる子どもがいます。どちらも不幸です。そう思いませんか?

 現実世界では人は誰でも弱いものです。万能ではありません。自分の弱さをかろうじて抑えています。だとしたら,人の弱さにも情けをかけることです。責めたりあざ笑っていては人の温かな関係は成り立ちません。行き止まったり追いつめたりするだけです。弱くて当たり前と認め合う関係が必要です。

・・・弱くていいという開き直りも大事な育ちです。・・・


 〇子どもの目?

 子どもの手を引いてお出かけをしているとき,向こうから犬がやってきます。犬が近づいてくると子どもは怖がってママの陰に隠れます。パパなら意気地がないなと思うかもしれません。人に馴れている犬だから安心と大人は思いますが,子どもはそうは思えないのだろうと考えてしまいます。だから,「何もしないよ」と安心させるように声かけをするはずです。

 登山のために九州の久住高原を歩いたことがあります。放牧されている牛の傍を通っているときです。牛はのんびりと草を食べていましたが,人が来たのでじっとこちらを見ています。正直に言えば怖いと感じました。馴れていると思いはするのですが,その大きさに怖れが湧いてきました。

 向こうから自分の目の高さまである牛のような犬がやってきたら,問答無用に怖いと感じるでしょう。子どもは自分の目の高さまである犬を前にして,怖いのです。大人の目から見れば,犬は見下ろす大きさなので怖さは感じません。子どもを育てるときには子どもの目線を持つように言われますが,その一つの例です。

 大人は「何だこれくらいのことで」と子どもを叱ることがあります。大人の目線で子どもを見れば,幼稚に見えて当たり前です。それは子どもに過剰な要求をすることになります。

・・・子どもの目で子どもを見てやって下さい。・・・


 〇遊んでいますか?

 子どもはパパと遊ぶのが好きです。どうしてでしょうか? パパは子どもと同じように,「あなたって,ほんとにバカね!」と言われています。ママたちが寄ると,「大きな子どもがもう一人いるみたい」と評されています。子どもからすれば,幼稚なパパは気の合う仲間なのです。

 ママは公園で子どもを遊ばせています。危ないことをしないか見張り,汚いものに触れないか注意し,文字通りの保護者になっています。ママたちは子どもをそっちのけでおしゃべりをすることができます。パパは違います。子どもと一緒に遊びます。子どもに遊んでもらっているように見えるときさえあります。だから,子どもはパパが好きなのです。

 ママから見れば愚にもつかない他愛のない遊びに,子どもとパパは夢中になります。「いつまで遊んでいるの?」と声を掛けるのはママです。「私が止めなければいつまでも遊んでいて,パパは何も考えていないから,しようがないでしょ!」。

・・・ママも一緒に遊んでみませんか?・・・


 〇いい加減?

 あるときママが言います。「いい加減にしなさい!」。子どもが小遣いの値上げをしつこく言い立てるときなどです。あるときママは言います。「いい加減にしちゃダメ!」。手伝いをダラダラしているように見えるときなどです。

 いい湯加減だからと言われてお風呂にはいると,熱かったりぬるかったりすることがあります。いい加減は人によって違うようです。冬や夏の気候に比べて,春や秋はともに過ごしやすいいい季節です。ところで,春分の日の温度は約10度,秋分の日は約22度で10度以上も違っています。人が感じる気候のいい加減さも,いい加減なようです。

 「神様はきっと凡人を愛しておられるに違いない。だから神様は凡人をたくさん作っておられるんだ」とリンカーンが語っています。「世の中の役に立つ人間になりなさい」と,役に立ち方による評価・査定が無意識に行われ,人間がランク付されています。平凡な普通に生きている私たち,神様はそんな人を愛していると思いましょう?

 イギリス紳士の信条に「ジェントルマンのC」というものがあります。紳士たるものは学校の成績はCを取れということです。学校の評価である通信簿ではオール3を取れということです。いい加減とは中道,真ん中,ほどほどと考えるべきことです。何かに秀でた専門家は紳士にはなれないようです。

 校則やしつけによる押しつけをいい加減にしないと,自律の精神が育てなくなります。「〇〇しなければならない」という押しつけの過剰さは,子どもが幼稚だからという思いこみから生まれます。ママの目が子どもを幼稚とみる色眼鏡でないことを祈ります。管理されると息が詰まると言われますが,自由を与えられずに息が詰まると同時に,「しっかりしなくっちゃ」という自律への芽も摘まれることになります。

・・・いい加減なママがいいようですよ!・・・


 〇幼稚に見えても?

 ママが生け花をしようとハサミを使っています。そばで見ている子どもが「お花さん,かわいそう」とつぶやきます。花は痛いと思うわけがない,つまらないことを考えちゃいけませんと,その幼稚さを叱りますか?

 花は誰のために美しいのでしょうか? 次世代を残すための受粉を手伝ってくれる虫たちのためです。人は花の美しさに横恋慕して,拉致し,自分の美を完成させるという狂気によって,花を陵辱しています。花に対する思いやりを失っていることに気づいていないことが,狂気なのです。子どもの目はそれを見ています。

 教育は方向性を持っています。つまり,人の行為を正と負の価値に分けて,正(プラス)の価値を追求する方向性です。教育的であることは,負の価値を否定します。もちろん,そのことは教育においては正しいことです。しかし,この二者択一ばかりでは,子育ては行き詰まってしまいます。

 教育的には負の価値に見えることでも,個性を伸す材料になりますし,正の価値を生み出すこともあります。おとなしい子は優しい子です。のんびりしている子は確実な子です。そして幼稚な子は感性の鋭い子です。別の尺度を当てると,無駄なものはありません。

・・・ママは教育者ではありません。・・・


 〇し忘れたしつけ?

 子どもは家庭や学校でお客様として育っていると言われています。余計なことはさせないように管理されています。さらに社会的なしつけの仕上げを受ける時期の二十歳前後は親元を離れて,自由奔放な環境に入ります。大人として幼稚なままに留め置かれることになります。

 ある会合で,ドアを開け放しにして入ってくる女性がいます。「閉めて下さい」と言っても,平然としています。「ドアは自然に閉るものだと思いますが」と言いながら,「あれ違ったかな」とドアを見ているだけで,それでも立とうとしません。

 研修の場で昼食の仕出し弁当を喜々として配っています。「あれ一つ余っちゃった?」と見回して,「ああ,そうか,先生の分だわ」と気がついて持っていきます。社会の中では,まず先生に真っ先に持っていくものというしつけを受けていません。自分中心のままで育ちがストップしています。場の流れに従うという「礼儀」が欠落しているのは,大人社会におけるしつけの仕上げを受ける機会が失われているからです。

 このような幼稚さはよその親である大人が,そのときにあらためて教えれば解消できます。幼稚さをとがめるのではなく,社会が教え忘れていることに気づくべきです。大事なことはしつけの機会は今だということ,しつけをするのは大人だということです。何歳までに親がしつけておくべきことというテキストにあまりこだわらないほうがいいでしょう。

・・・よその子のしつけも忘れないように。・・・



《幼稚さは,簡単に切り捨てられない大切な意味を含んでいます。》

 ○あるタレントの後にたまたまトイレに入ったご婦人が,ロールペーパーの端がきちんと折ってあったことを感心しておられました。次の方へのやさしい思いやりを感じられたようです。ところが,この話に異議を唱えるご婦人もおられます。良かれと思ってする気持ちは分かるが,余計なお世話だというのです。前の人が触ったペーパーは汚いと感じるそうです。偽という字は人の為と書きますが,偽善なのでしょうか?

 【質問3-07:あなたは,お子さんの幼稚さが気になりませんか?】

   ●答は?・・・どちらかと言えば,「ノー」ですよね!?

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