*** 子育ち12章 ***
 

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「第 3-08 章」


『こだわりは 心に結ぶ 飾り紐』


 ■はじめに

 私たちの暮らしはとても快適なレベルに到達しています。
 100年前の上流社会にも今ほどの生活はできなかったはずです。
 この暮らしを支えているのは,ものをつくる精密な技術の発達です。

 いかなる製品や部品も,それを作る機械よりも精密ではあり得ない。
 そういう言葉が技術世界では大事な常識になっています。
 それが,このマガジンとどんな関係があるのかと問われそうですね。

 ビィーナスのような彫刻,モナリザのような絵画は人類の財産ですね。
 その芸術作品を生み出したのは,感性を具体化できる手の能力でした。
 そのことを忘れているから,創造性の発揮ができなくなっています。

 ナイフで鉛筆を削れない子どもたちは,表現能力が未熟ということです。
 次世代は,美術を鑑賞,批評出来ても,作者を越えることはできません。
 その作者たちの技量も低下しているはずです。

 技の世界はかつて職人技としてものづくりの力を育てていました。
 今は,器用な頭を育てるだけで,器用な手を育てていないように見えます。
 つくることへのこだわりが,創造性の発露を促してくれるはずです。



【質問3-08:あなたは,お子さんのこだわりが気になりませんか?】

 《「こだわり」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇こだわるべきこと?

 考えさえすれば分かるはずのことを考えていない稚拙さが横行しています。赤ん坊を床に叩きつけるなどの親の虐待,腹いせに火をつけて親を焼き殺す子どもの反逆,どうなるか考えることを忘れています。というより,人としての基本的思考を捨てています。

 考えることなどうざったいと思考を捨てている子どもがいます。何も考えず,自分の意見もありません。あるのは欲求だけです。欲求は今の充足を求めますから,考える必然性はありません。我慢をすれば,どうしようかと考えるチャンスが生まれるのですが。

 課題の写生が描けなくて友だちの作品を盗んで提出した少女がいました。見つかって注意を受けると,盗んだ少女も家族も教師の指導力の不足を批判するばかりです。盗まれた少女の苦境を分からず,考えようともしていません。

 障害を持った友達に「オイチニ,オイチニ」と囃し立てる学年トップの子どもがいました。その障害を持つ子どもは学校に行きたがらなくなりました。昔もそんな子はいました。でも,からかわれる痛みを思いやれないと,「将来ろくな人間にならないぞ」と,昔は周りから総すかんを食らったものでした。そういう矯正力を大人社会が備えていました。社会が持っていた「優しさへのこだわり」が力を落としていることは,大人自身が反省すべきことです。

・・・品性へのこだわりを復活しましょう。・・・


 〇わけあり?

 灰皿のあるところで喫煙するように注意書きが出ています。ところが,灰皿を持ち込んだり,勝手に移動させて喫煙する大人がいます。守るべきルールを知っていても,そのわけが分かっていません。形だけルールに従えばいいというこだわりが臆面もなく登場しています。

 ママがいけないと言うから,子どもはママの言いつけを守ります。ママが怖い顔をするから,子どもはしてはいけないことを知ります。ママが叱らなければ,してはいけないことでも平気でしてしまいます。子どもはママの言動にこだわっています。幼い間は意味が分からなくてもいいでしょう。もう一人の子どもが産まれるまで,ママがルールブックになってあげてください。

 ルールの意味が分かっていないと,細々とルールを作らなければならなくなります。応用ができないからです。ママがついて廻っていちいち言わなければなりません。

 時間を守るというルールがあります。朝時間通りに起きなければなりません。毎朝起こしてやっていると,起きる意味が分かりません。もう一人の自分がわけを納得しなければ,自分を起こそうとはしません。友だちとの約束の時間に間に合うように出かけることもできません。その場その場のルールではなくて,どんな場合でも時間を守るというわけありのこだわりをもう一人の子どもが持つように育てましょう。

・・・しつけとはよいこだわりを持たせることです。・・・


 〇共生できるこだわり?

 フランスという国は文化を大切にしています。大切にしている証拠として,文化に対する予算が多いということが言われています。国民性として文化にどのように接しているかが大事なポイントです。普段の態度に現れるようでなければ,本物ではないからです。

 かつて,パリで唐招提寺展が開催され,鑑真像が持ち込まれたことがあります。会場作りの職人たちは像の前を通るとき必ず立ち止って軽く頭を下げていました。鑑賞に来た小学生の団体はおしゃべりが盛んでしたが,像の前に来るとぴたっと静かになりました。館内の警備員は像の前を横切るとき恭しく帽子を脱いで礼をしていました。

 像の崇高さもあるかもしれませんが,フランス人にとっては単なる珍しい異文化の像に過ぎません。しかし,たとえ自分には縁のない異文化であっても,文化そのものを敬愛するというこだわりがなければ,このような礼儀は示されないことでしょう。文化を身につけるとは,頭での理解ではなく,謙虚さが自然に出てくるような振舞いができることです。これからの異文化と共生する国際化の中では特に必要になる素養です。

 地域には神社やお寺などがあります。お地蔵さんが道ばたにひっそりと立っています。信心するかどうかという宗教上のこだわりは個人の選択すべきことですが,自分には関係ないと無視したり,あげくは落書きをして恥じないようでは,文化を愛せない野蛮さ丸出しです。敬意を表することは心を開くことです。

・・・閉じこもるこだわりは,人と仲良くできません。・・・


 〇自分を生かすこだわり?

 ダーティハリーが,不愉快なゲームをしている男に向かって,「ゲームを楽しみたけりゃ ルールを勉強するんだな」と忠告します。同じルールに従うからゲームは成り立ち,楽しむことができます。ルールを無視すれば優位に立つことができるでしょうが,それはもはやゲームではなくなります。

 社会で生きていくためにはそれなりのルールがあります。そのルールを教えようとママは子どものしつけをしています。乗り物の運賃は子どもは半額です。半額なのに一人前の座席を占領させている親子がいます。乗るときは順番に並んでいますが,子どもは脇から滑り込みます。ルールを無視しています。そこには何のこだわりも見られません。それくらいのことで目くじらを立てては大人げないですか?

 クラーク博士は札幌農学校で細かな学則は制定しませんでした。「私がこの学校に望む規則は Be Gentleman。(紳士であれ)。ただこの一言に尽きる」という理由からです。もう一人の自分が「自分を紳士にしたい」というこだわりを持てという意味です。

 ルールは普通,規則で束縛するという形になります。してはいけませんと禁止されます。このやり方では紳士の教育はできません。奴隷の教育になるからです。禁止されるのではなくて,自ら進んで封鎖するのです。禁止されていると思うからルール破りをしたくなります。もう一人の自分が「こうありたい」というこだわりを持っていれば,そのためのルールは苦にならず気持ちよく受け入れることができます。そういう育ちをさせたいものですね。

・・・芯のある子とは,こだわりの持てる子です。・・・


 〇変なこだわり?

 個性的な人とはどういう人のことを言うのでしょうか? 個人的な関心を傾倒するこだわりが持てる人です。大なり小なり誰でもこだわりは持っているのですが,ちょっと変わったこだわりであると感じられるとき,個性的と評されます。

 最もよい例が趣味の世界で発揮されます。石にこだわって集める人,流木の旅にこだわり集める人,昆虫の多様性にこだわり集める人,草花の可憐さにこだわる人,ラーメンのこくにこだわる人,酒の銘柄にこだわる人,ファッションのブランドにこだわる人など,いろんな個性がありますね。

 人の悩みの根っこにもこだわりがあります。こだわりとは「拘り」と書くように,心を拘束するからです。自分の心との相性が悪いものにこだわると,心が痺れてきます。悩む人に対するときは,その拘りという紐を見つけてゆるめてあげなければなりません。解く必要はありません。こだわりは個性でもあるのですから,解き放せば心が不安定になります。個性的であることを認めてあげれば,隠れていた結び目が見つかるはずです。

 子どもにも何か特別なこだわりを持つ物があります。寝るときは決まったぬいぐるみを抱いていないといけないとか,決まったバスタオルでないといけないとか,お出かけはこの服でないといけない,バスの席はこの席,などです。たとえママの目には気になるこだわりでも,許されないものでない限り無理に取り上げることは要注意です。こだわりは心に直接まとわりついているので,心を傷つける心配があるからです。

・・・こだわりは個性なので,他人には変に見えるものです。・・・


 〇こだわりの行く末?

 ペットが家族だという人がいます。ペットと暮らせることを売り言葉にするマンションもあります。生き物にこだわると愛情という気持ちに転化します。考えてみれば,男女の結びつきも「この人でなければ」というこだわりです。

 子どもにペットを飼わせることが情操教育として有効だと言われます。優しさを育み,また世話をする忍耐を教えます。子どもは小さな動物を可愛いと感じるとき,飼いたいと思ってパパにねだります。ママは自分でちゃんと世話ができるのと念を押します。世話はわが子だけで手一杯です。

 ペットの行く末は二つに分かれます。一つは家族の一員としての地位を与えられて天寿を全うします。そうではないケースもあります。子どもが育ってくると勉強やクラブなどで忙しくなり,ペットも大きくなって可愛さが薄れ,また興味も変わります。結局ママが生き物を放置することもできずに世話をしなければならなくなります。ペットが邪魔な存在に転落していきます。

 処分という最悪の結末を迎えるとき,それを子どもが悲しむからと内緒にはしないで,きちんと説き伏せる厳しさが必要です。一時の気まぐれが悲しい結果になる事実に直面させて,痛みを感じさせなければ,ペットは文字通り犬死になります。

 人にまつわる生老病死という四苦から逃れるためには,こだわりを捨てることだと諭されています。心の平安を得るためにはそれしかないのでしょう。しかし,その境地に至るためには,こだわりに振り回される修行が前提になります。

・・・こだわりは喜怒哀楽のタネです。・・・



《こだわりは,生きることを楽しくもし,辛くもします。》

 ○ある作詞家が演歌の傾向を今と昔で比較していました。昔の演歌は「遠く,皆で」という広がりを持っていて,視点は「LONG」であったが,今の歌は「近く,二人」という狭さになり,視点は「CLOSE UP」であるということです。カラオケブームは自分が歌うことの快感を求めており,みんなで歌を聞く,みんなに聞かせる快感が喪失しています。歌への見えないこだわりが狭いものに閉じこもっている傾向は,時代の姿なのかもしれません。

 【質問3-08:あなたは,お子さんのこだわりが気になりませんか?】

   ●答は?・・・どちらかと言えば,「ノー」ですよね!?

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