*** 子育ち12章 ***
 

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「第 31-01 章」


『子育ては 育ちに沿って ゆったりと』


 ■子育て12指針■
『子育ち第1指針』

 あまりうれしくないのですが,自殺という言葉があります。字を思い出してください。自分を殺すと書きます。殺すのですから殺人事件です。犯人がいるはずです。犯人は誰でしょうか? 自分ですね。殺されるのは自分,殺すのも自分。自分が二人いることになります。そこで,自分ともう一人の自分と呼び分けることにします。死んではいけないと止めてくれるのも,もう一人の自分です。もう一人の自分が自分を生かしていると考えることができます。

 我思う故に我あり。思う我がもう一人の自分です。このもう一人の自分を昔の人は物心がつくと言い表してきました。すなわち,子どもは赤ちゃんとして生まれて育っていきますが,3歳ごろになってもう一人の子どもが生まれてくるのです。第二の誕生です。

 自分の名前を理解し,自分のことを○○ちゃんと名前で呼ぶようになった頃,もう一人の子どもが生まれています。このもう一人の子どもを育てなければならないのです。産みの親から育ての親に変わるときです。ドラマで産みの親と育ての親が子どもをめぐって争うという設定が出てくることがありますが,子どもは育ての親を選ぶことが多いですね。もう一人の子どもを産み育てているのが育ての親だからです。

 このもう一人の子どもの誕生には,父親の参画が不可欠です。乳児のときには,子どもは母親と一心同体です。もう一人の子どもはまだ母親の懐に抱かれている状態なので眠っています。その母親が時折子どもを一人にしておくことがあります。自分の一部である母親が離れていきます。何が起こったのだろう,母親はどこに行ったのだろう,そう思わせられるのです。このときが,もう一人の子どもの誕生の瞬間です。

 母親の子離れが陣痛となって,子どもの母離れが進みます。母親が自分よりも別の人に寄り添っていることがある,あれは何? 自分から母親を奪う嫌な奴,でも母親が仲良くしているからいい奴かもしれない,そんなことは考えないでしょうが,感じ取ります。この気になる奴が父親であり,父親の最初の役割です。つまり,子離れ,母離れを促すのが父親であり,母親を妻にして自分の方に引きつける夫としての魅力を持つことが求められているのです。

 こうして産まれてきたもう一人の子どもを,私たちは育ててきたでしょうか? ただ漠然と単純に子どもを育てていると思っていたのではないでしょうか? 次に,そのことを確かめてみることにしましょう。



【指針31-01:子どもに決定をさせていますか?】


 ■子育て第1指針■
『指図は最小限に』

 子どもたちが母親についてどんなイメージを持っているか,中学生に対して調査をしたことがあります。経年変化を見ると,一つの特徴が現れてきました。かつては,母親とは自分を理解してくれる人でしたが,このところは指導してくれる人に様変わりしていたのです。

 子どもを受け入れるのではなくて,指図している母親の姿が浮かんできました。子育てとはあれこれ指導することなりというわけです。子どものためによかれと心を砕いている気持ちは分かります。しかし,そのやり方がとても危ういのです。

 「勉強する時間でしょ」と子どもを追い立てます。子どもは「しようと思っていたのに」と呟きます。「何をぐずぐず言ってるの,早く」と追い打ちをかけます。親や大人は子どもを指導しているつもりです。ところが,子どもにすればそれは余計なお世話,干渉と感じています。どうしてでしょうか?

 指導と干渉の違いは何でしょう? それは子育てをする側の考え方の違いでもあります。結論を言えば,決定権をどちらが持っているかという違いです。指導とは「こうしたら」と導くことです。それに従うかどうかは,もう一人の子どもが決めるのです。子どもに決めさせないのが干渉です。もう一人の子どもに決定権を持たせるのが適切な子育て,親が決めるのが行き過ぎた子育てとなります。

 校門で生徒たちを出迎えて,「おはよう」と声を掛ける指導的な運動があります。ほとんどの生徒は挨拶を返すでしょう。その中には,渋々挨拶を返させられている生徒もいるはずです。それが最も顕著になるのは,挨拶を返さない生徒に対して,「返事はちゃんとする」と強制してしまうことです。それでは指導になりません。

 指導とはあくまでも生徒に決定権を与えておくことです。挨拶を返すかどうかは,生徒が決めることです。したくないと決めてもいいのです。返事がなくても繰り返し挨拶をしていきます。そのうち,気分がいいときに,たまたま返事をしてみようかなという気になって返事を返してきます。自分で決めたのです。このとき子育ちをしています。返事をすると気持ちがいいじゃないか,そんなことに気付きます。それは自分から返事を返したからです。

 子育てとは,もう一人の子どもが決定するチャンスをたくさん与えることです。言うことを聞かせようとする高飛車な指導は禁物です。こうしたら気持ちがいいよ,いいことがあるよ,そんな機会に立ち会わせるだけに留めておいてください。このことは実は子どもが既に親に対して伝えていることなのですが,親が気がついていないだけなのです。



 親や先生の顔色をうかがって,自分では何も決められない子ども,言わないとしない子ども,そのような子どもはそうなるように育てられたとも言えます。自分でこうしようと決める経験を積めば,その結果が良くても悪くても,自分が引き受けることができます。言われてしたことがうまくいかなかったとき,その責任はそうさせた方にあると逃げるようになります。自己責任を持つことができるという育ちは,自己決定が前提になります。

 自分に関わることを決めるためには,いろんなことを判断しなければなりません。したいようにするということが基盤にありますが,その決定がわがままや無茶にならないように考えることが必要です。もう一人の自分は,自分が置かれている状況,周りとの関係などを勘案して,最もよいと思われる決定を選択します。その選択をすること,それが判断するということになります。(以下次号)

 この第31版は,講演でお話ししている内容の一部を抜粋してお届けいたします。一期一会の講演という出会いの中では,お伝えできることは基本的なものに絞り込まれてしまいます。それは内容の豊かさに対して限界となるのですが,一方ではエッセンスが選び抜かれているということにもなります。もちろん核となる原則はこれまでも繰り返しお伝えしているので変わることはないのですが,講演のパターンでご案内をしてみるのも一興かなと思っています。


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