『子育ては 子どもの伸ばす 手を受けて』
■子育て12指針■
『子育ち第3指針』
忙しいパパは子どもと遊んでやれません。悪いなと思いながら,仕事だからと泣く泣く自らを弁護しています。そんな親の苦労も知らずに勝手なことを言う子どもに,つい「だれのお陰で育ったと思っているんだ,お前たちのために苦労しているんだぞ」と声を荒げます。親としての逆鱗に触れるからです。中学生くらいになると,「そんなことを頼んだ覚えはない」と言い返します。「何だ,その言いぐさは」とエスカレートしていきます。
子どもは,親の苦労は分かっています。しかし,それが自分のためだと言われると辛いのです。自分がいるばっかりに父親が苦労する,父親にとって自分は余計なお荷物と宣告されているからです。子どもにとっては最も聞きたくない言葉です。だから,頼んではいないのです。それだけは言わないでという願いなのです。
忙しいママは子どもをハヤクと急かせます。子どもが園や学校に行くようになると,「やっと手が離れた」とホッとしています。朝見送ってくれるママはニコニコしてとてもうれしそうです。子どもは自分がいなくなることをママは喜んでいると感じるときがあります。そんなはずはないと打ち消せるつながりがあればいいのですが,そうでないと子どもは不安に襲われます。行きたくないとごねるようになります。離れるのが恐いからです。
子どもはいつも気にしています。自分はパパやママにとって,どんな存在なのかということを。あなたなんか産まなければよかった,ママにそう言われたら,どんな思いになるでしょう。あなたがいるばっかりに,そんなママの愚痴を子どもは受け止めることができるでしょうか? そこまであからさまではないにしても,ついつい邪魔にすることはきっとあるはずです。
バタバタしているときに限って,まとわりついてくる子ども。「あっちに行ってなさい」。ママはバタバタしているから,子どものことは眼中にありません。子どもは自分のことを目の中に入れて置いて欲しいのです。何をしてくれなくても,ただ話しかけてくれるだけで安心します。もう一人の子どもは無視されている自分を見ることが恐いのです。誰からも相手にしてもらえない自分,その不安は育つことを拒否するほどのものです。
学校でシカトすることはいじめになりますが,家庭で親は気がつかないうちにシカトしているかもしれません。それは居場所を奪うことです。そう言われても,暮らしの中でいつも子どものことばっかり気遣っていられないのが現実です。それでいいのです。ただ,子どもが何を求めているかを知っておいてください。そして,日頃のご無沙汰をきっちり埋め合わせるように,ちょっとだけ手間を掛けて下されば,子育ちは大丈夫です。
【指針31-03:子どもに安心をさせていますか?】
■子育て第3指針■
『桃太郎とキビ団子』
本を読むことはいいことです。なにかよく分からないにしても,そう信じていればいいのです。おとぎ話を長い間言い伝えてきた代々の親たちは,そうでした。しかし,教育を受けた現在の親たちは,どんなことにも納得しようという習性を身につけています。分からないことをそのままにすると,落ち着かないのです。分からないことに取り組むことを不安に感じています。意味を問うという賢さは,かえって臆病風を煽ります。
さて,おとぎ話の一つに,桃太郎の話があります。鬼ヶ島に行って,悪い鬼を退治して,奪われていた金銀財宝を取り返すというお話です。正義の勇者という教訓話としての意味を見つけたら,子どもに話して聞かせる価値があると判断できるかもしれません。でも敢えて言うなら,金銀財宝は桃太郎の家のものではないはずです。それを自分の懐に入れたなら,泥棒の上前を跳ねる仕儀となり,ちょっと困ったことになります。
冗談はさておいて,桃太郎の話の大事なところは,別のところにあります。生活の知恵を前提にしておかなければ,この話は単なる冒険談に終わってしまいます。桃太郎の家来になった犬と猿は,犬猿の仲として,最も仲の悪い組み合わせなのです。普段の生活で,犬猿の仲という言葉を使っていれば,すぐに思い浮かびます。
仲の悪い犬と猿が,どうして桃太郎といっしょに鬼退治に参加できたのでしょう。そこに桃太郎の教訓があります。最初に出会った犬と,桃太郎はキビダンゴを与えることで,仲間になりました。次ぎに出会った猿にも,同じようにキビダンゴを与えて仲間になりました。犬と猿は直接仲間になったのではなくて,犬と桃太郎,猿と桃太郎のペアになっているのです。桃太郎につながるものとして,チームが編成できました。
桃太郎の話を覚えていて,友だちづきあいを桃太郎と同じように単純に真似ていけば,大事な知恵はそれとは意識することがなくても,生かされていきます。隠された知恵があること,それを直感的にくみ取っていた親たちは,ごく自然に子育てをしていたことでしょう。桃太郎の教訓を説き明かすことは,笑い話の解説をするようなもので,野暮なことなのですが,講演の宿命とお許し下さい。
教訓とは実践しなければ無駄になります。子どもたちの留守番をしている家にママが帰ったとき,「ただいま」とみんなに声を掛けているでしょう。そうではなくて,「○○ちゃん,ただいま」,「●●ちゃん,ただいま」と,一人ひとりの名前を呼んで声を掛けてやってください。幼い子どもであれば,一人ひとりぎゅっと抱きしめてやって下さい。子どもたちとひとくくりにするのではなくて,一人ひとりと個別にキビダンゴ契約を結ぶのです。
子どもたちの感覚では,僕たちのママではなくて,ボクのママと思っているからです。その証拠に,子どもたちは,留守中にあったことを,それぞれがママに報告しようとするでしょう。いっぺんに話したら分からないでしょ,と遮りますよね。私とママが話したいのです。パパとの仲も同じです。ボクのパパであり,だからママに内緒な話を,弟に秘密な話をしてくれるのです。一対一の確かな関係,それが子どもの居場所の基本形なのです。
不安な状態は子どもを閉じ込めます。安心させなければ,子どもは育ちに向かうことができません。だからといって,一切不安な状態に子どもを置いてはいけないというのではありません。それは無理なことですし,さらには少しの不安を耐えるから,安心というものの価値に気付くことができます。塩があるから砂糖の甘さが感じられるということと同じです。不安は仕方がないけど,それより多めの安心を与えてやるようにしてください。
プチ家出をしている女の子を補導して,「お家の人が心配しているよ」と言うと,「どうして?」と問い返されるそうです。心配するのが親という図式はもう描けなくなっているようです。親離れや子離れをすれば,お互いに用はないという冷めた関係が普通なのでしょうか? 携帯電話があるから,別に家に帰って顔を合わせる必要もないという親とのつながり,その一方で誰かとつながっていたくてさまよう子ども? どうなのでしょう?(以下次号)
子どもが安心できる居場所はママの懐。それでは,ママが安心できる居場所は何処でしょう? ちゃんと居場所が確保されていますか? 両親の間柄については余計な口は差し挟みません。それ以外のところで,子育てサークルの中で同じような仲間がいれば,少しは安心できるでしょう。できるなら,親OBの方とお仲間になれたらいいですね。子どもに異年齢の友達が必要なように,親にとっても異年齢の仲間が必要です。子どもは親の真似をします。お手本を見せてやってくださいね。
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