*** 子育ち12章 ***
 

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「第 31-04 章」


『子育ては 辛いときこそ 寄り添って』


 ■子育て12指針■
『子育ち第4指針』

 我が子のために。それが親であるための基本的な心構えですが,少しばかり補足しておく必要があります。賢い親ばかであれと,但し書きを入れておかなければなりません。溺愛したり,子どものためだからと強制することばかりでは,過ぎたるは及ばざるが如しで,逆効果です。もちろん,そんなことは言われるまでもないと思われていることでしょう。

 親との間に余人に代え難いという絆ができると,もう一人の子どもは,「私は,このパパとママの子どもである」と思います。その確信が人とのつながりを信頼する種となり,信頼される自分という自尊心の入り口になります。信頼関係は信頼するだけの一方通行ではなくて,信頼される自分もいるという相互関係です。ここで,自尊心の中身を紐解いておきましょう。正体が分からなければ,自尊心を育ててやることができないからです。

 自尊心を辞書を引くと,「自分という存在に誇りを持つこと」とあります。では,誇りとは? 「自分の置かれた立場にやましい点は一つもないと自信を抱く気持ち」と書いてあります。子育て風に翻訳しておきましょう。自分は親に望まれている存在(wanted child)であるという思いが安心をもたらしますが,その上にさらに,自分がこの親の子どもであることを喜びとするとき,自尊心が芽ばえるのです。

 もう少し説明をしておきましょう。日本人の学者が南米で遺跡の発掘をしていたときです。金製の遺物が多量に出てきました。詳しく調べるために近くの大学に期間限定で持ち帰ろうとしたら,住民が持ち出しを拒否したのです。どのように返却の約束をしても承知してくれません。信用されないのです。切羽詰まってとうとう,その学者は「俺は侍の子だ」と叫びました。住民は近くの大学ではなくて,日本に持ち出すこと,それも無期限で許してくれました。

 ○○の子ども,子孫という系譜を持っていることが,信用されたのです。なにも系図や家系といった代物ではなくて,命の連鎖を心の拠り所にしている生き様,その誇り高さが人の信頼を呼び込んだのです。同じことは,老舗の信用,それを支える誇りから生まれる自尊心にも言えることです。自尊心を失った企業がごまかしという過ちを犯し、信頼を裏切ったことはご存知の通りです。

 父親は,かわいい娘をさらっていこうとする若い男性に対して,「どこの馬の骨とも分からない奴」と難癖を言い放っています。表面的には家柄の良し悪しを思い起こさせますが,もっと深いところで,親から子どもに伝えられている誇りを確認したいという気持ちの表れです。住所不定がいかがわしさを醸し出すのも,信頼関係という輪の中に入っていないことを伺わせるからです。

 例え話は大げさですが,基本的な構造はイメージしていただけたはずです。「パパとママの子どもでよかった」,その誇りを受け継ぐことができたとき,子どもは自尊心を手に入れることができるのです。何も世間的に立派な親である必要はありません。信頼できる親でありさえすれば,それで十分なのです。では,信頼される親には,どうすればなれるのでしょうか?



【指針31-04:子どもに信頼をさせていますか?】


 ■子育て第4指針■
『味方であること』

 親は子どもを見守っている積もりです。でも,子どもは見張られていると感じるときがあります。参観の時のママの目は,どちらでしょうか? 意識して気をつけておかないと,ママの目は見張りの目になりたがっています。子どもの至らない点はすぐにいくつでも言えますよね。常日頃から,見張っているからです。

 見守りと見張りとはどう違うのでしょうか? 対象をどう思っているかという,見る際の前提が違っているのです。見守るのは味方です。一方で,見張るのは敵方です。この関係は,受ける方にも当てはまります。敵が見回していれば,見張っていると受け止めるのは自然です。見張り,見張られの間柄ということになります。

 親の思いは分かりようがないのに,それでも子どもが見張られていると察知するのはどうしてでしょう。日頃の親子の会話はどうでしょうか? 子どもが何かしくじったとき,「ダメじゃないの」と叱ってばかりいませんか? 自分のあら探しをしている目であることが一目瞭然です。子どもがいったんそう思いこんでしまうと,信頼の芽を自ら摘み取ってしまいます。どうせ私なんか信頼してもらってない,とふてくされるだけです。

 「大丈夫?」と,子どものことを気遣っていますか? それなら,普通です。その意味は,その程度のことであれば,通りがかりの他人でさえ言ってくれる言葉だということです。親らしい言葉掛けとは,「大丈夫,ママがついている」と受け止めることです。もちろん,ケースバイケースですが,いざというときはママがついているという言い方ができるようになってくださいね。それが味方の言葉です。

 子どもが何か不都合をしでかしたとき,「どうしてそんなことをしたの?」と責任追及をします。例えば,野球で守備のミスがあったとき,どうしてミスしたのかと真っ先に詰め寄るでしょうか? まず味方としてすることは,ミスをカバーすること,フォローすることです。取りあえず味方として引き受けてしまうことです。責める前に庇ってやることを優先していれば,味方としての信頼感が培われていくはずです。

 子どもが思い描いている親への信頼感とは,親らしいことをしてくれたかということで判定されます。不始末をいっしょに片づけてくれる,親だから,親しかできないことです。子どもは親がいっしょに泥を被ってくれると信じたいのです。守るというのは,そこまでの覚悟が必要であり,それだからこそ,親とはありがたい存在になるのです。ママ自身,そういう親に守られて育ってきたのではないですか?



 親業という言葉があります。どうもあまり好きにはなれません。親を業務と考えることは明らかに間違いだからです。親としての務めとか,役割といった言い方もあります。その言い回しに引きずられて,役割を果たしていれば親であるという短絡的な結論を何となく引き出してはいないでしょうか? 親の役割にこだわると,あなたでなくても構わないということになります。子どもに自分の親はこの人しかいないと思われたとき,親であることができるのです。親として信頼されるということです。

 優しい子どもに育って欲しいのなら,優しい言葉を与えなければなりません。優しく育てれば優しい言葉を使うようになるというのは,育ちとは逆なのです。はじめに言葉ありきなのです。乱暴な言葉遣いをしているから,乱暴になっていきます。この順序を間違えないでくださいね。美しい言葉を使えることは,最も基本的なおしゃれであり,身だしなみなのです。嫁ぐ娘に,「あなたには何も物は持たせられないけど,美しい言葉だけはしっかりと持たせてあげたからね」,そう言って送り出すフランスの母親がいます。母から母へ伝えられた財産,大事にしてくださいね。(以下次号)

 早寝早起き朝ご飯。いま子育ての場で言われているので,見聞きされていることでしょう。「そんなの関係ね〜」。かつて,子どもは9時には寝るものでした。当然早く目が覚めます。お母さんの作ってくれた朝ご飯を食べて,「行ってきます」。お日様と一緒の生活,それが自然な暮らしです。人は生きています。生きるためには自然のリズムが必要です。育ちは生きることによって進みます。自然食を願うのなら,自然時間を生きていなくては矛盾します。分かってはいるのですが・・・?


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