『子育ては 自分と対話 できる子に』
■子育て12指針■
『子育ち第5指針』
インスタント食品ばかりでは健康によくありませんが,もう一人の子どもの糧である言葉に対してはどうでしょうか? 子どもたちはテレビから流れ出るインスタント的な言葉を取り込んでいます。語彙の良し悪しもさることながら,言葉の使い方に偏食の気味が現れています。さらに,日常の大人の家庭での言葉遣いも子どもにとっては必ずしも望ましいものではないようです。どういうことが心配なのでしょうか?
夕餉の後,ママは後片付けをしています。パパはテレビを見ながら,「お〜い,お茶」と言っています。普段であれば「ハーイ」と答えているのですが,その日はなぜかちょっと違っていました。「お茶がどうかしましたか?」という素っ気ない返事です。和やかな雰囲気ではないようです。他に何か原因があるのかもしれませんが,「おーい,お茶」という物言いも気に障っているようです。「お茶」という言葉はその辺に放り出されている捨てぜりふなのです。聞こうと思うと,放り出されたお茶という言葉をわざわざ拾いに行かなければなりません。そんな失礼な物言いはありませんよね。それがカンに障るのです。
テレビの言葉も同じです。アナウンサーが「おはようございます」と挨拶をしても,だれも返礼はせずに無視していますよね。勝手に言っているだけ,お茶の間に言葉が捨てられているのです。拾いたければ勝手にどうぞという物言いです。子どもはテレビの前で,言葉とはその辺に放り出すものと覚えていきます。こうして言葉は聞かせるものだということを教えられないままに育ってしまいます。
「ママ,後でいいから,お茶を一杯入れてくれないか」,せめてこういう物言いが最低限のルールでしょう。つまり,だれに向けて話しているかをはっきりさせ,相手の都合に気配りし,こちらの願いを伝えることです。言葉遣いとは,だれに向けて言うのか,だれに聞いて欲しいのかということをはっきりさせることです。言葉遣いを注意するとき,「だれに向かって言っているんだ」と言うのは,このことです。だれに向けて話しているかに気を遣えば,自然に敬語が出てきます。ところが,捨てぜりふにはそんな気配りは必要ありません。
腕白息子が帰って来るなり「お腹空いた」と言っています。その言葉にママは「冷蔵庫にケーキが入っているから食べなさい」と即応します。それは言葉のしつけにはなりません。「お腹空いた」という言い方は誰にも向けていない捨てぜりふ,あるいは独り言なのです。ママとすれば勝手に言わせておけばいいのです。捨てぜりふで用が足りると子どもに思わせたら,社会に出てから困ります。「ママ,お腹が空いているんだけど,何か食べるものがあったらちょうだい」。子どもにちゃんと話させる癖をつけること,それを待って聞き届けることがしつけです。
言葉を相手に届けようとすれば,言葉を選ぼうとしますし,誤解のないように言葉をつないでいくようになります。そのやりとりが対話になります。分かってくれないという甘えは,分かってもらえる話し方が育っていないということです。言葉をつなぐ訓練は,本などを読んで文章に慣れることです。慣れたら自然に使えるようになります。歌を覚えることもいいでしょう。「見た?」,「うん,見た」。そんな単語生活の中で育っていては,対話は不可能です。
【指針31-05:子どもに対話をさせていますか?】
■子育て第5指針■
『自分との対話を』
子どもは口まねが上手ですね。ママの言い方をそっくり再現できます。それにはそれなりのわけがあります。もう一人の子どもは単純にママの口まねで言葉を取り込んでいるのです。そこに,しつけの勘所があります。もう一人の子どもがそのまま使える言葉を教えるというしつけ方です。この簡単なしつけが忘れられてしまっています。言葉はもう一人の子どものものということを見過ごしているからです。これだけでは分かりにくいですね。
おしめが濡れてもじもじしている子どもに,「おしっこ出た?」とママが言うので,「おしっこ出た」とオウム替えしに言葉を覚えます。おしめが外れても,「おしっこ出た」と下着を濡らして言ってきます。「どうして早く言わないの」と言っても,その言い方を教えられていなければ無理です。何かしら兆候を見せたときに,「おしっこ出そう?」と言葉を教えると,「おしっこ出そう」と言うことができます。それからトイレに連れて行きましょう。
「ママ,お菓子食べていい?」。「だめ,もうすぐゴハンだから」。ママに禁止されます。「イヤだ,今食べたい」と言い出すかもしれませんね。違った対応をしましょう。「お菓子食べていい?」,「お腹空いたのね」,「うん」,「ママもお腹空いてるのよ,もうすぐゴハンができるから我慢しようね」。もう一人の子どもは自分がお腹が空いているということを確認できて,ママも同じだと知り,自分も「我慢しよう」という風に導かれていきます。
「ダメ」という拒否はママ対子どもの言葉であり,「お腹が空いたのね」という言葉はもう一人の子どもが言う言葉になっています。子どもの立場になって言葉掛けをするというのは,こういうことです。ママの言葉がそっくりそのまま,もう一人の子どもに移っています。もう一人の子どもは自分に対して言い聞かせる言葉遣いを手に入れることができたことになります。我慢させられるのではなくて,我慢するという導きができます。
「廊下を走ってはいけません」という否定形の言葉が直に子どもに向けられます。もう一人の子どもの出番が奪われています。だから,子どもは言うことを聞きません。「廊下を走らないようにしよう」という肯定形に変えてみると,それはもう一人の子どもに言葉をかけていることになります。走るか走らないかを決めているのはもう一人の子どもですから,走らないようにしようとそのままもう一人の子どもの言葉になります。
学校でも地域でも,子どもに掛けられる言葉は直接的です。ああしろこうしろという指図が多いでしょう。もう一人の子どもがしっかり育つまでは,ママの言葉が頼りです。子育てをよろしくお願いしておきますね。もう一人の子どもがそのまま使えるような言葉を与えるようにしてください。ママの支配権をもう一人の子どもに委譲する手続は,ママの言葉を移し込むことです。もう一人の子どもが自分と対話するようにしつけましょう。
言葉には向きが必要だと言いました。そのためには,言葉をつないでいかなければなりません。取りあえず,文章化することから始まります。片言が文章につながり,いくつかの文章を順序よく並べ,小さな話に組み上げるのです。話すというのは,話になっていなければなりません。お話にならない,それは文脈が整っていないことを指します。普段から文章のやりとりに慣れていないと,人の話を理解できなくなります。例えば,学校で先生は話をします。単語的な表現しか聞き取れないと,やがて先生が何を言っているのか分からないということになります。
言葉はコミュニケーションの道具ですが,それは同時に言語生活が社会生活でもあるということです。赤ちゃんが何か話していても,周りには意味不明ということがあります。ママには分かりますが,一般には通じません。通じる言葉とはどういうものかを聞き分け,通じている言葉を理解することで,社会とつながることができるようになります。個人的な表現から普遍的な表現にバージョンアップする必要があります。具体から抽象へのアップも伴います。(以下次号)
ママ自身は自分の思い通りになっていますか? 頭では分かっていますが,なかなか思い通りに事は運びません。自分をコントロールするのは難しいものです。ましてや他人はこちらの思い通りになるはずもありません。ママと子どもの関係も同じでしょう。子どもにこうあって欲しいと思っても,裏切られることが多いでしょう。しつけをしても,いくら言っても聞いてもらえません。イライラしないでゆっくりと諦めない,その根気が親の務めでしょう。焦らずに・・・。
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