*** 子育ち12章 ***
 

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「第 31-06 章」


『子育ては ものことの意味 解き明かし』


 ■子育て12指針■
『子育ち第6指針』

 子どもの生活体験が推奨されるようになりました。いろんな場面で目に付く未熟さが体験の不足から来ているということに,ようやく気がついてきたからです。以前からいわれている仮想世界に遊ぶ時間が増えるとともに現実感覚が失われてきたということへの危惧もあります。ゆとりの時間や週五日制の実施に伴って,体験機会の提供が計画実施されてきましたが,学力の低下という現実に直面して見直しがされています。

 親にすれば,子どもは結構体験しているはずとなんとなく思っています。多少は体験の種類に偏りはあるにしても,毎日何の体験もしていないということはあり得ないのでは,と高をくくっているところがあります。一方で,風潮に乗って企画されている体験行事は,子どもたちを集めて昔遊びをやらせてみたり,地域のオリエンテーリングをしたり,通学合宿をしたりと多様ですが,限られた時間だけの一過性に終わっています。

 それら全てが意味がないということではありませんが,もう一つ何かが足りないという印象を受けています。いかにもこれが体験ですよという,イベントに様変わりしているのが心許ないのです。もっと日常的で暮らしに根付いた体験でなければ,本物ではありません。生きる力というキーワードを耳にされたことがあるでしょう。その言葉に依拠すれば,生きる体験こそが求められている体験なのです。

 「疲れた」と呟きながら座ったママに,子どもがふっと思いついて寄っていき,肩たたきをしてくれます。「いい気持ち! ○○ちゃんは優しいのね」。自分がした肩たたきをママが喜んでくれたという「行為の意味」を分かり,同時にママのためにしようとした思いを「優しい」と評価されて,優しさとはどういうことを意味するのかを,体験的に理解することができます。

 何か特別の体験が必要なのではなくて,ごくありふれた体験を体験として意味づけられながら理解することが大事な子育ちなのです。その意味づけをしてやるのが,親からの適切な言葉掛けです。子ども自身による体験だけでは意味がないのです。体験に言葉がかぶせられてはじめて,意味が備わります。この日常的なフォローが疎かになっていると,どんな体験をしても理解に届かなくなります。

 単純に言葉を覚えるという場合に限っても,実物を前にして言葉を覚えなければ役に立ちません。「犬」という単語は犬を見たことのない人には分かりません。犬を見た体験を持っているから,誰にでも通じます。池しか見たことのない人が,湖という言葉は使えません。特定の異性のことが気になって胸が高鳴るようになって,それが恋だよと教えられたとき,恋という言葉の意味が分かります。そうでしたよね?



【指針31-06:子どもに理解をさせていますか?】


 ■子育て第6指針■
『どんな意味があるの』

 これから,算数の復習をしておきましょう。「3+2」はいくらですか? 5ですね。それでは,「男の子3人+女の子2人」では何人ですか? 5人ですか? 間違いないですか? 小学生の中で,3+2=5が分かっていても,男の子と女の子の足し算ができない子どもがいます。足せないというのです。皆さんは5人と思っているはずです。でも,足せないという子どもの方が正しいんです。どうしてでしょう?

 もう一つ,「電柱3本+マッチ棒2本」では何本でしょう? 答えは5本ですか? ちょっと無理ではないですか? 足せませんよね。男の子と女の子も足せないんです。違うものは足せません。では,どうして男の子と女の子を足して5人と答えたのでしょう。5人とは男の子ですか,女の子ですか? どちらでもありませんね。子どもです。男の子も女の子も子どもです。同じ子どもだから足すことができて,5人の子どもになったのです。男の子も女の子も同じ子どもと言い換えることができたということ,同じものしか足せないという計算の意味を理解していないと,分数の足し算が分からなくなります。

 1/3と1/2を足してください。2/5だったらいいんですが,そうはいきません。通分しなければなりませんね。2/6と3/6に通分してから足すと5/6になります。分数の足し算は通分するものと知ってはいますが,その意味を理解できていないままに過ぎてきませんでしたか? たとえ通分の意味を理解していなくても,手法として単純に計算することはできます。でも,やはり納得していないと気がかりを残すことになります。

 リンゴで考えてみましょう。1/3とは3つに分けた1つ,1/2は2つに分けた1つです。同じ1つですが,それぞれのリンゴの大きさは同じですか? 違いますね。違うものは足せません。言い換えなければなりません。1/3は1/6に分けたものが2つと同じであり,1/2は1/6に分けたものが3つと同じです。そこで,同じ1/6のものが2つと3つですから1/6が5つあると計算できるのです。通分するとは,同じものを足すという意味なのです。「そうだったの!」。

 算数などの知識に限らず,暮らしのあれこれに見られる普段の知恵には,どれにもちゃんとした意味があります。その意味を弁えないでいると,中途半端になります。足し算は和算ともいいますので,無理に話をこじつけて,人の和を考えると,暮らしの場での挨拶,お辞儀につながります。「ちゃんとお辞儀をしなさい」と注意されて,「すればいいんでしょう」といった投げやりな態度が出てくるのは,頂けません。そのお辞儀の形の意味は何でしょうか?

 人から頂き物をするとき,頂戴すると言います。頂も戴も「いただき」,天辺という意味です。頂き物を手で人間の天辺である頭の上に捧げるポーズから来ています。ところで親切や厚意などの形のないものを頂いたときには,手に持って頭上に捧げることができません。そこで頭を下げることで,頭頂を親切や厚意の方に向けて,頭で受け取っていますと示しているのです。最敬礼のつもりで頭頂を地面に向けてしまうほど深々とお辞儀をすると,こぼれてしまうのでおかしなことになります。意味が理解されていれば,自然にきれいなお辞儀ができるはずです。



 「脱いだ履き物はきちんと揃えなさい」。そう言われて,子どもは慌てて靴を揃えます。それでも,揃えておくという意味は分かりません。言われるからしているだけです。揃えておくとどうなるか,という続きを教えておくことが大切です。出がけに靴を履きます。そのときです。「昨日きちんと靴を揃えて置いたから,今日は靴をすぐ履けるね」。こうすればこうなる,そのつながりを理解できるとき,意味が分かります。揃えること,片づけることが次の動作とつながっているということを,靴を揃えるという例題を通して理解できます。そこまでフォローしておけば,応用が可能になります。

 「しようと思っていたのに・・・」。口では偉そうなことを言っていながら,何もしていない。有言不実行というのは,身近に散見することができます。子どもに対して「やればできる」ということが励ましや慰めになる場合もありますが,やらなければ始まらないのです。やらなくてはならないことがあります。先延ばしにしたいことがあります。今しなくても,私がしなくても,そんな言い訳をつい考えてしまいます。でもそれでは・・・。(以下次号)
 4月に内閣府から公表された「社会意識に関する世論調査」によると,自分にとって子育てを「楽しいと感じることの方が多い」と答えた者の割合が53.9%,「楽しいと感じることと辛いと感じることが同じぐらい」と答えた者の割合が35.5%,「辛いと感じることの方が多い」と答えた者の割合が5.2%となっています。楽しさは「子どもの成長に立ち会えること」が67.8%,辛さは「子どもの将来の教育にお金がかかること」が45.8%と高くなっています。どちらが多くなるか,考え方次第ということもあります。楽しくいきましょう。


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