『できない子 だからママが 傍にいる』
■はじめに
これまでの教育は,創造性や個性化の面で弱点があると言われています。
いずれにしても,基本は自分を上手に出すことです。
どうして,子どもたちは自分を出すのが下手なのでしょうか?
こういう指摘がなされると,学校だけがいけない風に聞こえます。
でも,学校は力を伸ばすところで,力をつけるのは家庭です。
発端は,パパやママの力が強すぎて,押さえつけてきたからです。
親はどんなに優しくしても,立場的に子どもの上にいます。
未熟な子どもに任せられないという心配が,輪をかけます。
自然に任せていると,子どもは受け身の立場に放置されます。
創造性や個性化は能動的な体験の積み重ねから生まれます。
子どもは本来親の目を盗んで冒険するものです。
少子化の中であまねくすべてを見守られていると冒険できません。
子どもはどのように育っていくのでしょうか?
そのことを明確に弁えない限り,事態は改善できません。
子どもの育ちのプロセスについて考えてみましょう。
【質問3-11:あなたは,お子さんの中途半端さが気になりませんか?】
《「中途半端さ」という内容について,説明が必要ですね!》
〇考えが浅い?
どんな名人戦でも囲碁や将棋で第一手を打った途端に勝敗がつくことはありません。結果の予測ができないから勝負事になります。天気予報も明日のことさえ分からないのですから,予報止まりです。同じように人が生まれた途端に一生がすべて読み切れるものではありません。
極端な例を挙げているようですが,何事も人の思い通りにはいかないのが当たり前ですよね。あれほど好き合って結婚したのに,数年で破局という関係も珍しくありません。だからといって,何もしないことがベストだと言うつもりはありません。先のことは分からないということを言いたいだけです。
人が生きていくプロセスはやってみて,その都度見えてくることに対処していくしかないのです。もちろん,見通しの浅いへぼ将棋のようにポカの連続ということもあるでしょう。「待った」の繰り返しで,傍迷惑な生き方をする羽目にもなります。子どもの育ちはまさにそのへぼ将棋並なのです。端から見ている親は岡目八目でよく成り行きが分かってしまうので,つい余計な口出しをします。「下手だな〜」。
・・・下手でも,しないよりはましだと思いますが?・・・
〇負ける練習?
千三つということばがあります。千回のうち三回だけ実現すればいいということです。3という数字を覚えておいてください。会議等の議決のルールとして,過半数の出席で成立し,その過半数の賛成で決まるというのが一般的です。半分の半分以上ですから26%の賛成者がいれば,多数決で決まります。野球の打者は打率が3割あれば上等です。ライオンの餌の捕獲率は2割5分程度です。ファッションも3人中の1人まで広がれば流行と認められます。PTAの集まりでも,40人中10人が集まる程度ですが,ほぼ3割です。
世の中の物事はよくて7割,悪くすれば99.7%までは自分の意に染まないようになっています。人生は自分の思うようにはならない,負けるばかりで勝つのは稀ということです。負けたり,意に染まないことは嫌ですね。そこで嫌な気持ちをぶつけるために当たり散らしたり,責めたり,因縁をつけたりします。あるいは,課題を避けたり,先送りにしたりします。
逃げたくても逃げられないとき,潔く負けてしまうことです。「失敗を気にするな,負けるときはさらりと負けるが良い,口惜しいときはこんちくしょうと正直に叫ぶがいい,弁解なんか一切するな,泣きたいときには思いっきり泣くがよい」。負けるのが普通だと知ることが大事です。
・・・負ける練習は生き抜く力を与えてくれます。・・・
〇あきらめる?
子どもの育ちに対して,パパやママが出来ることは大したことではありません。力まない方が賢明です。きちんとした教育や躾の中でしか育てられないというのは思いこみです。大人の思い通りには育てられないとあきらめられたときに,見守ることができるようになります。
きちんとしたとか,思い通りにといったことは単なる一時しのぎです。きちんとしたしつけとは自分があれこれ考えてこれでいいと思えるものでしかないのです。神様でない以上きちんとしたものなど考えることは無理です。その証拠に,子どもはママが思いもしなかった行動をしてくれます。だからこそママは自分のしつけ方がきちんとしていなかったことを思い知らされます。そこでさらにもっときちんとしたしつけを探そうとすれば,いたちごっこになりますので,いい加減にあきらめてください。
あきらめるというのは,望みを捨てるとか,断念することではありません。「あきらめる=明らめる」のように,はっきりさせることなのです。いったん立ち止まってじっくりと子どもを見守り,もつれたしつけの糸口を見つけようとすることです。
もちろん,今はどう考えても無理なことがあり,そのときは一時的に本当にあきらめるべきでしょう。でも時が経てば成長したり,事態が変わったりしますので,改めて取り組むチャンスが出てきます。それまで保留することも大切です。そのチャンスを掴むためにも,「明らめる」という見守りをお勧めします。
・・・育ちには適時性という段取りがあります。・・・
〇立ちすくむ?
子どもたちの悩みのほとんどは,「行動しないでの悩み」,「努力すれば解決できる問題での悩み」であるようです。立ちすくむのにはそれなりのわけがあります。闇雲に背中を押し出すような無茶なことはしないようにしてください。できそうなことを一緒に見つけてやることがママの務めです。
悩んでいるときは,いろんなことがあれもこれも一度に押し寄せてきているものです。ものの成り行きには順序があることを見失っています。ものの道理にしたがって具体的に順序よく整理すれば,一つ一つの苦労になりますので,何とかなりそうだという道が見えてくるはずです。問題は分けることで解決できると前に述べたことがありますが,悩みという問題も同じです。もちろん,新しい選択肢を持ち込むことも有効です。
それから悩みは夜に考えるものではありません。夜型の暮らしが普通になり,部屋に閉じこもるとつい自分のことに目が向き,考え込むことになります。それも夜は特に事態を悪い方に考えていきます。朝になると夜に悩んでいたことが案外と軽く見えるものです。夜の悩みの増幅を避けるためには,早寝早起きの習慣を身につけることです。夜になって一人になるのが怖くて夜更かしをして遊び回る若者たちの選択は逆効果なのです。
・・・朝の光には迷いをほどく力があります。・・・
〇よい学校?
よい学校の条件を挙げている方がいます。補足を加えてご紹介しておきます。
(1)子どもが自信を持てる,自尊できる環境であること。子どもの力を認めて,どこかを「よくやったね」と見つけてやれる学校であること。
(2)安心感・信頼感のある関係を持てること。何を言ってもきちんと聞いてくれること。必ずしも子どもの言うことを適えるということではなくて,まずは子どもの言い分を受け止めること。今できないと大変だと脅かさない,ダメだと切り捨てないこと。
(3)具体的な問題解決の方法を与えていること。しっかりしなさい,ガンバレ,ちゃんとしなさいなどの曖昧なことばを多用しないこと。子どもが今できることを見抜いて,的確な行動を教えられること。
家庭も同じです。はじめの二つは前の章でも別の形で触れてきたことですが,三つ目はこの章に関わるテーマです。あれもこれもできないとママが思っていたら,適切なアドバイスはできません。今できないのは何か?,そのことだけを見守ってください。そうすれば「してみせる」こともできるでしょう。
・・・よい家庭とは焦らずに一つずつつきあうゆとりです。・・・
〇何一つできない?
何でもかんでも中途半端なんだからとか,何一つ満足にできないんだからと言ってはいないでしょうね。誰のこと? 子どものこと? それともパパのこと? ママは何でもきっちりできてうらやましいです。母であり,妻であり,嫁であり,娘であり,世話役であり,社会人であり,そして女です。
先日,ある小学校のPTAの会長さんと話をしました。父親のことが話題になり,「父親は生き様をしっかり見せるべきだ」と話されました。その通りなのですが,子どもに見せるだけでは不十分です。どういうこと? それは子どもに何を見ればよいかという具体的な手がかりを持たせることです。何の手がかりもなければ,子どもは親を見ていても何も捕まえることができないからです。
例えば,「男の子はどんなことがあっても決して弱いものに手を挙げてはいけない」と態度で示しながら,しっかりと言い聞かせることです。子どもがその一つの信条を理解していれば,人を傷つけるような言動をしないとか,人に優しくすることとか,ママを手伝うこととか,大切なことが芋蔓式に分かるようになります。あれもこれもいっぺんに持たせようとするから,子どもはわけが分からなくなります。
・・・何か一つだけきっちりと教えてください。・・・
《中途半端さは,子どもが育っているときの自然な姿なのです。》
○手伝いでお茶をお盆に載せて運んでいるとき,子どもは落とさないように運ぶことで精一杯です。こぼすことは仕方がありません。こぼさなくなるのは次の課題です。外で遊ぶと服を汚してきます。遊ぶことに一所懸命だからです。服を汚さないように気をつけていては遊べません。新聞を取りに行っても破いてくることがあります。破れないように取り出すのは次からです。子どもの育ちは「次の課題を見つける」ことの連続なのです。
【質問3-11:あなたは,お子さんの中途半端さが気になりませんか?】
●答は?・・・どちらかと言えば,「
ノー」ですよね!?