*** 子育ち12章 ***
 

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「第 31-10 章」


『子育ては 明日への期待 持ち続け』


 ■子育て12指針■
『子育ち第10指針』

 自分の思い通りにならないとイライラするものです。そのイライラ感をどのように処理するかで,人の器量に差が出てきます。何とかしてやろうという意欲に転化できると先に進みますが,人のせいに転嫁したり,投げやりになると止まるか後退することになります。悔しさを「今に見ていろ」というバネにする切り替えが出来るためには,見えない努力から期待が生まれる経験をしておくことです。

 子どもたちはパソコンを取りあえず使っているうちに大して苦労をせずに覚えていきます。大人はまずマニュアルを読むことから始めるので,なかなか習熟できません。この取り組み方の違いはなぜでしょう? 大人は理屈から入ろうとしています。つまり,こうしたらこうなるという段取りが分かっていないと始められなくなっているのです。子どもはしなければならない目標に向かうのではなく,何となくやってみたらこうなるということを探していきます。

 パソコンをやっているうちに何となく覚える,それは使い方までです。与えられたソフト以上のことはできません。自分流にするためにはプログラムをいじらなければなりませんが,そこには命令のシステムを段取りに沿って構築する作業が不可欠です。何らかの機能を持ったものを設計しようとすれば,部品を理解し組み合わせを工夫し順序よく稼働させねばならないのです。

 機械装置とのコミュニケーションだけではなくて,人とのコミュニケーションでも同じです。言葉という部品を一つの意味を持った文章にするためには,順序よく並べることが肝要です。読むことはできても,書くことは段取りを考える力がなければ実現できません。起承転結もまた大きな段取りです。スピーチや挨拶などを聞いていると,この人は一体何を言いたいのだろうと思うことがあります。言葉や文章に段取りが施されていないからです。

 理科系離れが危惧されています。それは基本的に論理の世界です。こうすればこうなる,その連続の世界です。そんなことを考えるのはめんどくさい,うざったいと逃げている若者が多いのです。直感的な世界に育っているためです。言葉の貧困がその主な要因ですが,言葉をつなぎ,文章をつなぎ,思考を積み上げていくことに慣れていないからです。理科系離れは,段取りを構築するための言葉を使った考える力の衰退を表しています。

 格好いいという感性の世界の他に,なるほどそうかという理性の世界があります。この理性の世界が大人の社会の核です。子どもたちが「なるほどそうか」と段取りを分かる世界に楽しみを持てないと,先行きの不安が膨らんでくると同時に,人生を切り開くという手だても失うことになります。期待とは何とかできるのではないかという自らの考える力への信頼から生まれるものです。



【指針31-10:子どもに期待をさせていますか?】


 ■子育て第10指針■
『準備から始まる』

 贅沢に暮らしていると人の苦しみや哀しみが分からないという言い方も,人は体験したことしか実感できないという理屈を支える前提が壊れていることを表現しています。豊かな暮らしをしていると豊かさが実感できないと言うのは,人は違いに遭遇したときにはじめて自らを理解するという理屈の前提に着目しているのです。辛いときに掛けてくれた情けの有り難さ,困っているときに助けてくれた親切のうれしさ,あるいは失ってはじめて分かる幸せ,いろいろな前提がありますね。

 日常が平凡だから,ちょっとしたことが楽しく感じられます。この子が突然事故で死んでしまったら,そんな前提は考えたくないですね。それでも,事故のニュースを我が身に重ねたら,この子がいてくれるだけでよかったと再確認できるでしょう。事故の親への同情は本物に少し近づくことができます。うちの子でなくてよかった,単純にそう思うだけではなく,もう一つ気持ちを当事者に移してみることも,自分を知る前提になります。

 おもちゃを片づけるようにしつけたかったら,おもちゃを入れる箱を用意することが前提を満たすことです。玄関の靴を揃えさせたかったら,靴の形を床に描いておいてやることも一つの前提です。言葉を教えたかったら絵本を一緒に読み聞かせしてやることです。勉強させたかったら雰囲気を大人が作って巻き込むことです。孟母三遷の故事は環境という前提の大事さを教えているのです。

 草花やお米を植えて育てる体験も,肥料や水やりの世話をすることで生きることの前提を学び,自分の育ちの段取りを考える例題になります。人も同じように食物を食べ水を飲んで育っていると実感できることが大事です。パパとするキャッチボールも,毎日しているうちにだんだんと上手になります。できるようになるためには,毎日の練習という前提が必要です。そのような経験を積んでおけば,今は出来なくても明日には出来るはずという期待をもつ癖が備わります。

 今の子どもたちが結果だけを求めて,練習を嫌がっているのは,前提が不可欠ということを教えられていないせいです。何かが欲しいときには買ってくればすぐに手に入るというのではなくて,ママの手作りをじっくりと楽しみに待つという経験が不足しています。ママの炊事の手伝いをしていた子どもは,美味しいものができるプロセスに参加できるから,自然に面倒な前提を苦にしなくなり,かえってできあがりを楽しみにするように育っていきます。

 暮らしはいろんな前提の上に成り立っています。子どもを暮らしから切り離したことで,雑用と呼ばれている前提の大事さに気づかせる機会を子どもから取り上げてしまったのです。早起きをするためには早寝をするという前提があります。授業が分かるためには予習をしておくという前提があります。汚れたものは洗濯をする,それが清潔さをしつける前提だということを忘れないでください。



 親は子どもに対してこうあって欲しいという願いを寄せています。それはあくまでも親の期待です。もうひとりの子どもにも自分に対する期待を持たせなくてはなりません。期待は子どもが育とうとする意欲に転化するからです。明日への期待があれば,毎日が充実しますし,耐性も備わります。今日の苦労や我慢は明日になれば報いられるという前向きな考え方をするように育ててください。

 ちょっとしたことが切っ掛けになって,自分を殺したり他人を殺したり,あっさりとやってのけます。たったそれくらいのことでと思われることでしょう。本人にすればたったそれくらいのことがとても重大事に思えるのです。若者がキレルときは,たいていがそれくらいのことでという理由です。どうしてこんなに過敏な状態に育ってしまったのでしょう。ちょっとした不始末をしでかしたら,もうお終い! 子どもたちはそう思うように育てられてきたということです。(以下次号)

 オ持ち遊び=オモチアソビ→オモチャソビ→オモチャと音韻変化しました。持遊の字が使われていましたが,明治時代に玩具という漢語に訳し直されたそうです。(ベスト新書「語源を楽しむ」増井金典)。昔と違って、最近のオモチャは精巧で高価です。ただ,一体になって遊ぶオモチャではなく,遊ばせられているというゲーム玩具の隆盛は気がかりです。オモチャは単純なものがいいのではと思いますが,いかがでしょうか?


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