『子育ては 手出し口出し 控えめに』
■子育て12指針■
『子育ち第11指針』
健全育成。大人が子どもについて語るとき,必ず飛び出す言葉です。それでは,そもそも健全育成とはどういうことなのでしょうか? 昔なら,真っ当な子に育てることと言われていたでしょう。健全な子ども,真っ当な子ども,どんな子どもでしょう。青少年健全育成条例があります。不健全な環境の禁止です。ピンクチラシの排除であり,いかがわしい週刊誌の隔離であり,援助交際の禁止などです。真っ当な大人には無用なものです。
もっと身近な局面に目を移すことにしましょう。大人は普通に暮らしており,その際に一つの目安を持っています。それは他人に迷惑を掛けないということです。迷惑を掛けたら,それは真っ当ではないのです。もちろん,たまには人の役に立つよいこともしなければ生きている甲斐がありません。
子どもも普通に暮らせるように育っていけばいいのです。ここで育つというプロセスをきっちりと意識しておかなければなりません。育っているときはまだ未完成だということです。子どもは失敗して周りに迷惑を掛けます。その迷惑をいったんは引き受けてやらないと,子どもは育つ機会を失います。子どもからの迷惑は子育ちの必要経費だと考えてください。代々の親たちが順送りで負担したきたツケなのですから。
大人は自分の親に迷惑を掛けて育ってきました。そのツケを今度は親として引き受けなければ債務不履行になります。それを拒否したら,自分の親を丸損の目に会わせることになります。親らしいこととは,そういう務めをきちんと果たしているかということです。「育ててもらった親に感謝しています」と語るのは子どもですが,親になったら感謝される立場に替わります。自分の親には育てるのが義務と平気ですねをかじりながら,子どもからの迷惑はごめんだというわがままな絵柄が杞憂であることを祈ります。
健全とは,子どもが迷惑を掛けたときに,もうひとりの子どもが済まないと感じて,しないようにしようと思うことです。ちょっぴり羽目を外してやりすぎたとき,迷惑を掛けます。それに気付かせることがしつけですが,それはいきなり叱りつけることではありません。親がすべきことはとにかく引き受けてやることです。失敗や不始末,ちょっとした悪さをしでかして,しまったと子どもに思わせたらそれでいいのです。
何がいけないことか,それはやってみないと分かりません。どうすればいいか,それは失敗しないと分かりません。失敗することで軌道修正する力を獲得します。育ちは自転車に乗るのと似ています。右に振れたり左に振れたりすることで,真っ直ぐに進めます。良い方や悪い方に振れることが大事であり,もしも良い方だけしか舵取りできなかったら,育ちという自転車は倒れてしまいます。
【指針31-11:子どもに失敗をさせていますか?】
■子育て第11指針■
『保護は離れて』
最近の親は過保護になっていると言われています。そういわれたとしても,子どもを保護するのが親の務めです。親は子どもを保護しようとします。その心根は決して間違ってはいません。ただ,保護の仕方が拙いだけなのです。保護という行動の意味を勘違いしているところがあります。
例えば,ナイフを持たせると危ないという心配があります。親は保護するために,子どもからナイフを取り上げました。ナイフを持っていると必ず失敗します。手に傷を負うことで,赤い血が流れます。人の身体には赤い血が流れている,傷つけると痛い,不自由をする,こうして生身の人間を体感します。その体験がないから,人を刺せば血が出ることを実感的に思いつかず,ゲーム感覚で人を抹殺しようとします。
子どもの失敗は時として痛い目に遭うことになります。しかし,失敗を取り上げたら,子どもはいつまでも育てません。そこで親の務めは,小さな失敗をさせながら,大きな失敗にならないように見守っていなければなりません。大きな失敗から守ること,それが適切な保護なのです。小さな失敗もさせないように親が先回りして対処してしまうこと,それが過保護になります。
やっと伝い歩きを始めた赤ちゃんが転んで怪我をしないように,赤ちゃんの身体を掴まえて支えるのが過保護です。赤ちゃんが転んでも頭をぶつけて怪我をしないように周りのものの方に手を添えておくのが保護です。転ばせないと歩く練習にはなりません。歩けるようになるということは,転ばないようになることです。転ばせないと練習にはなりません。できるように育てるためには,できないことを克服させなければならないのです。
繰り返しておきますが,子どもに手を添えてしまうのが過保護です。子どもは自由にさせておいて,周りの危険の方に手を添えておくのが保護です。失敗しないようになることが育ちであると知っておいてください。親がハラハラして見守ってやらなければ,子どもは育てないのです。
過保護に育てていると,子どもは親がしてくれなかったからできなかったと言うようになります。人のせいにすることを覚えていきます。そのように育てているのですから,仕方ありません。子どものことはもう一人の子どもに任せてください。親が牛耳ったら,もう一人の子どもは呑気にさぼっていつまでも眠ったままになります。過保護というのはいろんな面で子育ちを阻害しているのです。
子ども時代に些細な失敗をたくさんして程度を弁え,早い立ち直りをする習慣がついていれば,その後は深みにはまらなくて済みます。子どもの失敗は麻疹みたいなものです。もっとも次から次へと絶え間なく続きますので,保護する親からすれば,いい加減イヤになりますが,見捨てられませんね。その試練をくぐり抜けるなかで,親になれば否応なしに許しの気持ちを持たされるから,親は大人になれるのです。
失敗を人のせいにしたり,言い訳をしたり,運が悪かったと逃げたり,あげくは隠してしまったりすれば,せっかくの失敗が無駄になります。自分の失敗をちゃんと失敗として認め検証できることが,反省するということです。潔くあることです。失敗をマイナス点にするのではなく,水に流して0点にしてやれば,子どもは逃げなくなるはずです。励ますとは,子どもが失敗をしたときに「気にしなくていい」という言葉をかけてやることです。0点だからいいんだという考え方です。そして,少しでもできたらプラス評価できるので,「できたね」とほめてやることができます。(以下次号)
健全育成活動の一環で,ゲームセンターなどを見回ることがあります。コインを持ってゲーム機を渡り歩く子どもがいます。競馬を模したゲームの大画面の前で大人に混じって賭をしている子どもがいます。大人は自己責任で遊んでいるのでかまいませんが,子どもが夢中になるものではありません。ただの遊びだからどうということはないという常識があるのでしょうが,この子どもたちの将来を親はどう考えているのか,先行きを心配するばかりです。
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