*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 31-12 章」


『子育ては できそうなこと やって見せ』


 ■子育て12指針■
『子育ち第12指針』

 失敗を人のせいにしたり,言い訳をしたり,運が悪かったと逃げたり,あげくは隠してしまったりすれば,せっかくの失敗が無駄になります。自分の失敗をちゃんと失敗として認め検証できることが,反省するということです。潔くあることです。失敗をマイナス点にするのではなく,水に流して0点にしてやれば,子どもは逃げなくなるはずです。励ますとは,子どもが失敗をしたときに「気にしなくていい」という言葉をかけてやることです。0点だからいいんだという考え方です。そして,少しでもできたらプラス評価できるので,「できたね」とほめてやることができます。

 「反省しなさい」。そう言われて反省できるのは,もう一人の子どもです。もう一人の子どもが未熟な幼児期では,反省はまだ無理です。児童期になって反省することができるようになります。自分を客観的に眺める能力はもう一人の自分が持つものです。反省は自分を振り返ることですから,日記を書くことと通じています。自分を第三者の目で見る,それが内観です。

 自分の行為・行動を順序よく再現し,どこで失敗したかを確認します。そこには別の正しいやり方の選択があるはずです。失敗と成功の分かれ道が見つかるわけです。分かれ道があることに気付くという意味で失敗はとても大事なのです。ここに気をつけなさいというサインが見えるようになるからです。この分かれ道の存在を知ったら二度と同じ失敗はしなくなります。失敗を繰り返さないこと,それが育ちの課題になります。

 分かれ道に立ったということは,別の正しい道を見つけなければなりません。それが「学習」というステップです。最も基本的な学びは真似ることです。まねる,まねぶ,まなぶ,という変遷が示すように,学びは真似るから生まれてきました。上手にやり遂げている人を見て,そのマネをすることが学びであり,子育ちの重要なステップになります。

 子どもが習い覚えることで育っているということは,親として実感されているはずです。見習うという行為は子育ちの基本的な学習ステップだからです。親が言うようには育たず親がするように育つのは,学習しているからです。子どもが反省をしたら親がしてみせる,それがなによりの学習になります。兄弟がいれば,弟の方が要領がいいのは,兄の失敗と学習をそばにいて一緒に追体験しているからです。

 見よう見まね,それは反省と学習のステップを言い表しているのです。真似る対象は親だけではありません。お兄ちゃんやお姉ちゃん,お友だち,大人たち,周りにいる人の全てです。親が子どもによい友だちを持たせようとするのは,とても理に適っています。ただし,あまり友だち選びに口を挟むと,学習以外の点でもう一人の子どもとの軋轢を生じますので注意してください。子どものプライドを傷つけるということです。

 分かれ道に立ち止まって周りを見ると,上手にこなしている人に目が向きます。「あんなにすればいいんだ」,と別の道が見つかります。こうして学習ができていきます。もちろん,ただマネをしただけではすぐにできないこともあるでしょう。それでも,「ちゃんとやれるんだ」ということが確認できることは大切です。人ができることは自分もできるはずだと信じることができるからです。信じるからできるようになります。



【指針31-12:子どもに挑戦をさせていますか?】


 ■子育て第12指針■
『できることを考える』

 目標という言葉があります。似たような言葉に目的があります。子どもに「将来何になりたい?」と尋ねると,例えば「歌手になりたい」と答えます。「どうして歌手になりたいの?」と続けると,「大勢の人に歌を聴かせられるから」,「いっぱいお金を貰えるから」,「格好いいから」と答えるかもしれません。いろんな意味で自分の欲望を満たしたいという思い,幸せになること,それが目的です。歌手になるのは大きな目標です。

 自転車に乗れるようになりたいから練習します。それが目標です。何のために自転車に乗るのか,その答えが目的のはずですが,かなり曖昧でしょう。勉強できるようになりたいという目標が持てたら,勉強も苦にはなりません。でも,何のために勉強するのかという目的を考えはじめると,その答えは明確には得られません。入学試験に合格するためというのも,次の段階の目標に過ぎません。目的はまだ先にあります。

 目標とは基本的に今すぐに目指すことができるものです。それが達成できたら次の目標が現れてきます。子育ちは「失敗・反省・学習・挑戦」というサイクルですが,その挑戦すべきこと,それが目標です。小さな目標を達成し次の目標に挑戦する,そのプロセスを繰り返して子どもは育っていきます。何のために育つのかという目的は遠くに霞んでいていいのです。

 なりたいという夢は目的ですが,そこに向かって上る階段の一つ一つが目標になります。何になりたいかという夢に届くためには,自分には何ができるかという達成してきた目標の高さが問題になります。思っているだけでは夢は叶いません。夢に向かって何をしてきたかという実績が大事です。小さな目標であっても一つ一つ達成していけば,それでいいのです。それが学問には王道無しといわれることなのです。

 自信とは,それならやれると思うことです。ちょっとした高みにある目標なら今までも何とかやって来られたという実績が,自分の力への信頼になり,これから初めてのことに直面するときにも,その自信が自分を励ましてくれます。できたという経験が新たなできることを誘い込んでくれます。どうせやっても無理と自分を見限るのは,目標の設定が高すぎるのです。できるかもという程度のものでいいです。わずかでも育てば,それを繰り返しているうちにちゃんと育っていきます。

 挑戦とは,できなそうもないことに向かうことではありません。それは無茶であり無謀といいます。できるかもしれないと思うことに向かうのが挑戦です。できるかどうかを見極める参考として,同じ年齢の子どもにできる子がいるということがあります。確かに参考になりますが,それを決めるのはもうひとりの子どもであることには十分気をつけてください。比べるのは今までの自分であり,決して外の子どもではありません。



 山に登ろうとするとき,今いる位置から近い登山道を見つけて登りはじめます。それが今できることです。ところが,その道は遠回りであったり,険しいかもしれません。その心配をするから,楽に短時間で登れる道を探そうとします。それは山に詳しくなってはじめて分かることです。最初からどんな結末になるか分からないのが育ちを促す課題なのです。可能かどうかを考えずに,いきなりどこから登ればいいかを決めることはできません。結局は山に登れません。

 経験したことのないことはできません。育ちのためには多様な経験を積まなければなりません。本を読むことで疑似体験をすることはできますが,それも似たような実体験があってはじめて実を結びます。多様な体験とは,生活の中にこそ埋まっています。生活体験が豊かに育つことで,子どもの身の丈にあった経験が基盤として備わっていきます。土台がしっかりした育ち,大きくなっても揺るがない着実な育ちは,生活から生まれます。(以下次号)

 大学の3分の1で,正規の授業について行けない学生のための補修を実施しているということです。学力の低下の一面です。小・中・高校を卒業したことで期待される知力を身につけていないのです。現在教えている専門学校生についても状況は同じです。特に困るのは,聞き取る力の弱さです。具体的には言葉が通じないのです。教科書に書かれている言葉を理解できないようです。ドウゾ,教科書を読んで理解する国語力をまず第一の目標にしてください。


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第31-11章に戻ります
「子育ち12章」:第31-13章に進みます