*** 子育ち12章 ***
 

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「第 31-13 章」


『子育ては 家庭の暮らし 基盤にし』


【指針31-12:子どもに生活をさせていますか?】

 ■子育て12指針■
『子育ち第0指針』

 経験したことのないことはできません。育ちのためには多様な経験を積まなければなりません。本を読むことで疑似体験をすることはできますが,それも似たような実体験があってはじめて実を結びます。多様な体験とは,生活の中にこそ埋まっています。生活体験が豊かに育つことで,子どもの身の丈にあった経験が基盤として備わっていきます。土台がしっかりした育ち,大きくなっても揺るがない着実な育ちは,生活から生まれます。

 兄弟がいました。ある日のこと,お兄ちゃんが遊びに行っていた友だちの家からケーキを1個頂いて帰ってきました。母親が「弟に分けてあげなさい」と言ったので,兄弟は半分にしたケーキを一緒に仲良く食べていました。

 ほほえましい光景を眺めていた父親が,尋ねました。「お母さんがケーキを二人で分けて食べるように言ったね?」,「ウン」。「お母さんはどうしてそんなことを言ったのだろうね?」。兄弟はケーキを食べる手を止めて,お父さんは何を言いだしたのだろうと顔を見合わせました。

 やがて,さすがにお兄ちゃんらしく自分が答えなくては思ったのでしょう,こんな返事をしました。「ボクが一人で食べると,弟が可哀想だから」。学校で道徳の時間に,相手を思いやることを学んでいました。弟も食べたいと思うはずだから,自分だけ食べたら,弟はきっと泣くだろうと考えたのです。弟思いの優しいお兄ちゃんらしい答えです。

 弟はお兄ちゃんが答えたから自分も何か答えなくてはと,しばらく考え込んでいました。可哀想と思われたことが少し嫌でした。お兄ちゃんに負けたくないと背伸びしている腕白な弟です。父親はじっと待っていました。やっとお兄ちゃんと違った答えを見つけたのでしょう,弟が答えました。「今度ボクがケーキをもらったときに,必ずお返しをすればいいから」。

 貰った立場にある弟は,借りができたことになります。世間の暮らしではモノを頂いたらお返しをすることでトントンになるということを,日頃の母親の行動から知っていたのです。幼い弟らしく,ケーキにはケーキを返すという約束をしたと受け止めたわけです。

 ニコニコと二人の答えをうなずきながら聞いていた父親は,二人の成長を喜んでいました。でも,胸の中では少しばかり気になることがありました。質問をした以上,父親なりの答えがありました。兄弟の答えは,その答えにまだ届いていなかったのです。無理もないことですが,二人に教えておくよい機会だと考えて,こんな質問をしたのです。父親の答えはどんなものだったのでしょうか?

 弟が可哀想だから分けてあげる。その思いやりにはちょっとした副作用があります。分けてやった方は「ありがとう」というお礼の一言ぐらい言って欲しいという気持ちを,分けて貰った方はお礼を強要されるような気持ちの負担を感じることがあります。もしも弟が黙ってケーキを食べたら,お礼も言わない奴にはもう二度と分けてやらないということになります。

 いつか必ずお返しをする。その暗黙の約束は,すぐには実現できません。早くお返しをしないと,その後ことある毎にいろんなことで「この前,ケーキをやっただろう」と恩に着せられることもあり得ます。お兄ちゃんにその気はなくても,貰った方にそんな後ろめたさが湧いてくるものです。ケーキ半分を借りたという負担は,気持ちの負担になってのしかかってくるようになります。

 でも,父親は子どもの答えを受け止めて,それに反論することはしませんでした。反論されることは子どもが最も嫌うことだからです。子どもの答えもあるということを認めてやっておかなければ,防御態勢に入って父親の答えを聞く耳を持たなくなるからです。別の答えもあるということを教えてやることが親の説得の基本です。

 父親は兄弟に話しました。「お母さんがケーキを分けて食べるように言ったのは,一つしかないケーキを兄弟で分けて食べた方が美味しいと思える子どもになって欲しいからだよ」。

 分けてあげる,お返しをするという兄弟の答えは,生きていくテクニックとして大事なことです。親によるしつけはそのことに関わります。それは大事なのですが,家族として生きていくことで生きる喜びを感じて欲しいというのが,親の願いなのです。した方がいい,しなければならないということだけではなく,したいという喜びを持って生きていって欲しいのです。

 兄弟がケーキを美味しいねとうなずき合いながら食べている様子を見て,父親はニコニコしています。お兄ちゃんが貰ってきたケーキですが,そのようなことはどうでもよくって,楽しいひとときを過ごせたらそれで十分な兄弟,仲の良さを見守っている親もうれしいことでしょう。




 親が何を願っているのか,子どもはついていくことで分かっていきます。親自身の願いを子どもとの生活の中で共に目指していく,それが親の子どもへの願いになればいいのです。最近は,親は親,子どもは子どもという意識が強すぎるようです。それでは,人としての育ちを疎かにしていることになります。職業的には違った道を進むことになるかもしれませんが,人の幸せに向かう道は同じはずです。親の幸せを背中ににじませておいてください。子どもはちゃんと見てくれていますから。

 枝があればぶら下がってみたくなります。穴があれば覗いてみたくなります。鳥が歩いていると追っかけてみたくなります。水たまりがあると棒で突いてみたくなります。影法師を踏んでみたくなります。無邪気な戯れですが,その他愛のない一つひとつが,この世界を知る手がかりになります。現場検証で手に入れた材料が多ければ多いほど,子どもの世界観は正確になります。いつまでくだらないことをしているの! その制止は育ちの邪魔です。(以下次号)

 下校時間の見守りをしているときです。子どもたちが水路の方に何かを見に道を離れています。近所の大人もそちらを眺めながら,何か言っています。遠くなので事情は分かりません。下校も終わりかけたので見守り仲間がそこに集まっていきました。6名の子どもが水路に落ちた犬の周りにいました。一人の子どもは水路の中に入って抱えようとしていますが,自分と同じ背丈ほどの大きな犬ですので無理でした。大人たちは噛みつかれるから止めなさいと言って,誰も手を貸そうとしません。

 そばに行くと犬が岸に前足をかけて子どもたちを見回しています。両前足を背中の方から抱えるようにして引き上げてやりました。「ありがとうございました」。子どもたちの声がする中,犬は周りにいる人の間をはしゃぎ回っています。ぬれた靴を手に持って裸足で帰る子どもに,「ありがとうね」と言って見送りました。これも見守りです。

 この号で第31版は結びとなります。次号からは第32版に入ります。親は子育てをしようとします。ところが,その手法が作る手法になっていて,育てる手法になっていません。親子で歩いているとき,子どもが小走りになっている姿を見かけます。子どもの歩くペースを超えているからです。育ちを急かされても,子どもはついて行けません。その辺りの注意点をテーマにお伝えしようと思っています。


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